八月十八日 午前十一時 (2)
圭が大げさに首を振りながら答えた。
「これはあくまでも『彼女にも犯行が可能だった』ということを示しているに
過ぎません。裏を返せば、僕にも、そしてあなたにも可能だったということです」
それを聞いた信太郎が声を荒げた。
「私を殺人犯呼ばわりするのか!」
「落ち着いてください。可能だった、というだけであなたが犯人だなんて
言っていません」
信太郎を落ち着かせると、圭は推理の続きを話し始めた。
「次に第三の事件。信也さんが亡くなった事件です。犯人は信也さんが起きる
前に、窓から部屋に侵入したんでしょう。窓は鍵も開いていましたしね。
あとは犯行後にもう一度窓から出て、自分の部屋に戻った。塩素ガスを中和した
とき、僕にも簡単にやれましたよ」
「あの、信也さんの隣は、やはり遠藤さんの部屋です」
古川正行が言い難そうに補足する。
「そう、確かに遠藤さんの部屋は信也さんの部屋の隣だ。けれど隣の部屋は
もう一つある」
全員の視線が一人に集まった。圭の目線がまっすぐにその一人に向けられる。
「犯人はあなたです。あなたが三人を殺し、遠藤さんを脅して遺書を書かせ、
薬を飲ませたんだ」
隣に座っていた松田玲子が少し椅子を引いた。柏木達也が引きつった笑顔で
否定する。
「言いがかりだ。第一あのとき、私は食堂で健太さんが亡くなった晩の話を
聞いていた。午前中ずっとだ。」
それを聞いても圭の表情は変わらなかった。
「すぐに戻ります」
そう言うと厨房に消え、何かを手にして戻ってきた。
「こういうものを使えば、なにもその場にいなくても洗剤を混ぜられます」
圭の手に載せられていたのは氷だった。立方体の氷をいくつか組み合わせ、
大きな立方体を形成している。
「まずは信也さんに当て身でも食らわせて、気絶させます」
それを聞いて嘲るように柏木達也が笑った。
「そんなことをすればアザが残ってしまう」
「ええ、アザが残ってしまう。ですが残っても構わなかったんです」
柏木達也を除く全員がわけがわからない、という表情を浮かべていた。
「実に上手い手でしたよ。あの前夜、娯楽室で留学生との間にひと悶着あった。
あの状況ならアザの一つや二つできていてもおかしくない」
柏木達也が呻くような声を出した気がした。
「気絶した信也さんをバスルームに運んだあなたは、床に洗剤を一種類撒いた。
あとはこの氷を傾けたもう一種類の洗剤ボトルの下に噛ませればいい。時間が
経てば氷が溶けて、二種類の洗剤が混ざり合うという寸法です」
全員が驚いたような顔で柏木達也を見ていた。
「だが、それは遠藤にもやれたことだ。さっき君自身がそう言ったじゃないか」
それを聞いて圭が満足げに頷く。
「実は皆さんに謝らなくてはならないことが一つあります。私は先ほど嘘を
つきました。彼女にも犯行が可能だった、というのがそれです」
僅かに腰を折り、詫びたような姿勢を見せると、再び柏木達也の方に向き直った。
「ところで柏木さん、遠藤さんが書き残した遺書には、健太さんの殺害について、
どう書かれていたか覚えていますか?」
突然話題を変えられ、柏木達也が怪訝な顔をした。
「部屋を訪れて、薬物の過剰摂取に見せかけて殺した、と書かれていたと思うが」
それを聞いて圭がにやっと笑った。
「ええ、その通り。そう書いてありました」
圭が右手の中指で、眉間をトントンと叩いた。
「ですがそれは絶対に不可能なんですよ。なぜなら彼女にはアリバイがあった。
あなたが健太さんを連れて娯楽室を出てから、彼女は僕のそばを片時も離れな
かったんです」
そういえば、と松田玲子が目を見張った。
「一度食堂に移って、そのあとは朝まで同じベッドの中にいました。その彼女に
健太さんの部屋を訪れることなんてできたはずがないんです」
柏木達也は酸欠になった金魚のように、口をパクパクとさせていた。
「だからといって、私がやったことには」
やっとのことで搾り出した言い訳が、圭に通用するはずもなかった。
「あなたはあの前日、僕がロビーのソファで寝ているのを見た。だからあの晩も
僕がそこにいるはずだと思い込んだんだ。テラスの構造上、身を乗り出して覗き
込まないとロビーは見えないし、ドアが開いてもロビーからは見えませんからね」
「だから、それならここにいる全員が」
圭は首を横に振った。
「そうはならないんですよ。あの日僕が遠藤さんの部屋で寝たことは、みなさん
ご存知なんです。部屋を出たところで古川さんに会いましたし、食堂に降りて
松田さんともその話になりました。工藤夫妻もその場にいた。僕が起き出すより
早く、ロビーにいた留学生も除外できます。誰かが遺書を書かせたとして、
あんな内容を指示するはずがないんですよ。そのことを知らなかったあなた
以外にはね」
それでも柏木達也は諦めなかった。それどころかここへきて少し落ち着きを
取り戻して見えた。
「確かにそうかもしれない。だが証拠がない。私がやったという証拠があるなら、
今すぐ見せてもらおうか」
それを聞いた圭の表情が曇る。
「証拠は、証拠はありません」
勝ち誇ったように柏木達也が笑った。
「状況証拠だけとは、とんだ名探偵だな」
圭はテーブルの上のピッチャーから水を一杯注いだ。
「どうやら、失態を犯してしまったようですね。これだけ追い詰めれば自白して
くれるかと思ったのですが、甘かったようです」
そう言うと圭はポケットから錠剤の入った小瓶を取り出した。
「昨日遠藤さんの部屋から出るときに、こっそりと持ち出してきました」
圭の手の中で白い錠剤がからからと音を立てる。
「それではショーを終わりにしましょう。醜態を晒した探偵は、自らの命を絶っ
て幕を引きます」
言うが速いか、掌に乗せた錠剤を口に入れ、水で流し込んだ。途端に圭が苦しみ、
喉を押さえ、膝を折った。




