八月十七日 午前四時 (3)
キケン。塩素ガス発生中。
太いペンで殴り書きされたその紙をみて、奈緒子がドアノブに飛びついた。
「開けるなっ! 」
圭が慌ててそれを制する。
「どうして! 信也が、信也が! 」
半狂乱と化している奈緒子を抑えながら、一度部屋を出た。騒ぎを聞きつけて、
食堂にいた人間が階段を上がってきた。奈緒子を信太郎に預け、圭が状況を
説明した。
「部屋の中で塩素ガスが発生している可能性があります」
「放して! 早くドアを開けないと信也が」
この間も奈緒子はわめき散らしていた。必死に奈緒子を抑えながら、信太郎が
尋ねた。
「どうしてドアを開けちゃいかんのだ? 」
「二次中毒の危険があります。医療設備のないこの島で、そんなことになれば全員
死にますよ」
「ではこのまま放って置くというのか! 」
「放ってはおきません。皆さん指示通りにしてください。まず開いている窓やドアが
あったらすべて閉めてください。それからいくつか道具が必要なんですが」
圭が挙げたのは、ホース、消石灰、ガムテープ、そして水中眼鏡だった。
「それなら確か車庫にあったと思います」
全員が別荘内に散った。両隣の部屋の鍵を開ける。左隣が柏木達也の部屋、
右隣は有紀の部屋だった。圭は信也の部屋に戻り、窓を開けた。鍵はかかって
いなかった。風向きを確かめると、風は左から右に向かって吹いていた。圭が
部屋を出ると、古川正行が頼んだ道具を持ってきた。二人はホース以外の道具を
信也の部屋に入れ、柏木達也の部屋のバスルームにホースを繋いだ。圭がホースの
先を咥え、柏木達也の部屋の窓から外に出た。雨どいに手をかけ、僅かな足場に
つま先を引っ掛けると、窓から信也の部屋に入り、ガムテープで信也の部屋と廊下
を繋ぐ扉を目張りした。
圭は窓から顔を出し、大きく一つ深呼吸した。水中眼鏡をかけ、バスルームの前
まで戻る。そして一気に扉をぶち破る。床の上には二種類の洗剤のボトルが
転がっていた。そしてバスタブにはまるようにして、信也が倒れていた。すでに息を
していない。圭はバスタブの外に向かってシャワーを全開にし、ぐったりとしている
信也を担いだ。信也を窓の下に横たえると、再び窓から柏木の部屋へと戻った。
雨で濡れた雨どいは滑りやすく、危うく地面に落ちかけた。窓から顔を出す
古川正行が、息を飲む音が聞こえた気がした。
「はあ、ホースの、水を、はあ、出して、ください」
さすがの圭も息が上がっていた。古川正行が水を出す。ホースの先は、便座の上に
固定されていた。圭はホースを潰さないよう、慎重に窓を閉めた。
「体についた塩素ガスを流さないと」
圭は服を脱ぎ、シャワーで体をよく流した。
全員が食堂に集まっていた。皆沈んだ表情を浮かべていたが、中でも工藤夫妻は
酷かった。圭が食堂に入ると、奈緒子が立ち上がった。先ほどまでに比べると
いくらか落ち着いたようにも見える。
「信也はどうでした? 」
圭は一度目を瞑り、ゆっくりと開いた。
「バスルームの中にいました。厳しい状況だと思います」
「そんな……」
奈緒子が椅子の上に崩れ落ちた。信太郎が慰めるようにその肩を抱いた。
「それで、これからどうするんですか?」
古川正行が尋ねた。
「三十分ほど待ちましょう。今ホースとシャワーで水をまいています。塩素ガスは
非常に水に溶けやすいんです」




