八月十七日 午前四時 (1)
物音が聞こえた気がして、圭は目を開けた。明け方四時。古川夫妻が朝食の
仕込をしているにしても、早過ぎる時間だった。隣では有紀が静かに寝息を
立てている。
カタン。
じっと耳を澄ますと、今度ははっきりと聞こえた。椅子の足が床に当たる
ような音だ。眠っている有紀を起こさないように、頭の下からそっと腕を
引き抜いた。体を滑らせるようにベッドから出ると、ジーンズを履いてシャツを
被った。ベルトのバックルが小さな金属音を立て、有紀が寝返りを打った。
「今、何時ですか?」
「すみません。起こしてしまいましたか」
圭は静かに微笑んだ。
「物音がしたので、ちょっと見てきます。まだ早いですから、もう一眠りして
いてください」
そう言って有紀に掛かっている布団を直し、有紀の肩に手を置いた。
部屋を出て鍵を掛けた。テラス部分には誰もいなかった。再び物音が聞こえ、
思わず圭が姿勢を低くする。さっきよりもはっきりとした音、ドアが閉まる音の
ようだ。手すりから身を乗り出して覗き込むと、食堂からチラチラと光が漏れて
いて、そこへ向かって歩く影があった。背格好からは男性に見える。古川正行
かもしれない。すると今の音は、彼が部屋を出る音だったのか。
そのまま部屋に戻っても良かったが、なんとなく胸騒ぎを覚えて、足音を
立てずに歩き出した。さっきの音の主が古川正行だったとして、その前の物音は
なんだろうか。それに食堂にいるのは誰なのか。別荘内の誰かが空腹か喉の
渇きを覚え、食堂を訪れていると考えるのが自然だが、だとすれば漏れている光
の説明がつかない。それだったら照明を点ければいいはずだ。ときおり漏れる
光は細く、懐中電灯のように見える。古川正行が食堂内に消えるのとほぼ同時に、
階段を降り始める。
「何してるんだ!」
照明が点き、食堂から古川正行の声が聞こえた。一段飛ばしで階段を下り、
食堂に入ると、古川正行が留学生三人と対峙していた。
「どうしました?」
「ああ、水野さん。物音がしたので来てみたら、あの三人がアレを」
見れば一人が懐中電灯を持ち、もう一人が鞄の口を押さえていた。そして三人目は
飾られていたアンティークの銀食器を手に立っていた。食堂には木製の飾り棚が
設えてあった。細かな細工を施された、よく磨き上げられている棚。そこには
アンティークの食器が飾られており、当然のことながら、棚以上に良く磨かれていた。
圭自身、古川夏美がそれを磨いているのを、既に二度ほど目にしていた。松田玲子の
説明によれば、それらの食器は売れば車の一台や二台買えてしまうほどの価値が
あるらしい。
「元に、戻すんだ」
圭が日本語ではっきりと伝えると、一瞬考えるようにお互いを見つめ、手にしていた
皿を棚に戻した。
「鞄の中のものも」
鞄を指差すと、意味がわからないという風に首を傾げてみせた。圭が中身を確認し
ようと、三人に二歩三歩と近づくと、諦めたように鞄から銀食器を取り出し、それも
棚に戻した。
「これで全部揃っていますか?」
古川正行が棚を念入りに確認し、大丈夫だと頷いた。圭が部屋に戻るよう促すと、
三人はしぶしぶドアに向かって歩き出した。だが食堂を出るより先に、信太郎がドアの
前に現れた。
「何の騒ぎだ?」
五人の間に奇妙な沈黙が流れた。