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八月十五日 午前八時 (2)

 「あ、古川さん。僕の携帯番号教えておきます。お互いに連絡取れたほうが、


なにかと便利でしょうから」


 横殴りの雨の中、二人はエンジンをスタートさせた。間もなくT字路に差し掛かり、


並んで走っていたバイクが停まった。圭がヘルメットのシールド部分をぬぐいな


がら、左側を指差す。彼に向かって親指を立てると、古川正行は右へと進路をとっ


た。古川正行は島の北側から、圭は南側からぐるりと島を回る予定だった。どこかに


車を停めてサーフィンをしていれば、どちらかが見つけられるはずだった。仮に


見逃したとしても、一本しか道路のないこの島では、二人はどこかでぶつかる。


そうなればそこで次のプランを練ればいい。


 黄色い車体の表面を、水が滝のように流れていった。水滴がシールドに付着し、


視界を狭めた。人を探すには最悪のコンディションである。空を厚い雲が覆い、


まだ日が高い時間帯にもかかわらず、あたりは薄暗かった。うねり、濁る海は


荒れていた。いくらサーフィンが波に乗るスポーツとはいえ、この海に漕ぎ出


すのは自殺行為に思えた。降りしきる雨はむき出しの両手をぬらし、気化して熱


を奪っていく。路面も濡れて滑りやすくなっていた。圭はある程度、速度を落とし


て走ることを余儀なくされた。


 走り出して二十分ほどで、路肩に青のピックアップトラックが停められてい


るのを見つけた。予想外にあっさりと見つかったことで、圭はほっと胸を撫で下ろ


した。正直この天気の中を、これ以上走り回るのは気が進まなかった。見れば


トラックの荷台にはサーフボードも積まれていた。圭がその脇にバイクを止め、


運転席へと近づいた。ぼやけた視界の中、運転席に人が座っているのが見えた。


こぶしで軽く窓を叩くが、反応がない。


 眠っているのか?


 水滴の付いて見えにくくなったシールド部分を持ち上げた。強い風に吹かれた


雨が顔を叩く。腕で窓の表面を拭った。顔を近づけて中を覗き込んだ圭の動きが


止まった。


 運転席では勇太が胸の中心にナイフを突き立てられていた。


 ドアレバーを引くが、ロックされていて開かない。


 なにか使えるものはないか?


 大きな石でもあれば、窓ガラスを割ってドアを開けられる。周りを見渡すが、


落ちているのは小石ばかり。それに漂着したゴミがあるだけだった。ここは昨日見た


海岸ほど酷くはないが、いろいろなものが流れ着いていた。圭は少し離れた場所で


ひらひらと飛んでいたビニール袋を捕まえた。そして足元の小石をその中に拾い集め


ると、助手席側に回り、フレイルの要領で叩きつけた。


 鈍い音がしてヒビが入る。


 もう一度袋を振りかぶり、頭の上で一回転させると、十字に入ったヒビをめがけて


振り下ろした。弾けるような音とともに、窓ガラスが割れた。袋が裂け、中に詰め


ていた小石が零れ落ちた。残ったガラスを肘で落とし、ロックを解除した。助手席側


から車内に入り、脈を取ったが、勇太は既に冷たくなっていた。


 車から降りた圭は、まず古川正行に電話をかけた。自分が今いる場所を大まかに


伝え、中島勇太を見つけたこと、そして今すぐ柏木達也を連れてきて欲しいと言った。


詳しい事情は別荘に戻って聞いて欲しいと言って電話を切った。次に有紀の携帯を


呼び出した。じっと電話の前で待っていたのだろう、一度目のコールのあと有紀が


出た。


 「勇太さんの遺体を見つけました」


 電話の向こうで有紀が息を呑むのを感じた。


 「じきに古川さんが柏木さんを迎えに戻ります。すぐに出られるよう、柏木さんを起こ


しておいてください」


 有紀の消え入るような返事を聞いて、電話を切った。


 柏木達也を連れて古川正行が到着した頃、圭の濡れようはさらに酷くなっていた。


気温は低くなかったが、濡れたせいで体温が奪われ、体の芯から震えがきた。


柏木達也が青白い顔をしているのは、遺体が見つかったからか、それもと二日酔いの


せいか。青白い顔を流れる雨だれが、その表情を尚一層悲惨に見せていた。柏木


達也はポケットから、ラテックス製の薄い手袋を取り出すと両手にはめた。


古川正行がポケットからもう一組手袋を取り出して、それを圭に手渡した。


 「掃除用に、買ってあったものを、持ってきました。役に、立つかと、思って」


 圭もそれに手を突っ込んだが、濡れていて滑りが悪いのと、かじかんで上手く


動かないせいで、なかなかはめられなかった。


 柏木達也が中島勇太の首筋に指を当て、脈を取ったが、すぐに諦めたように


離れた。


トラックの周りをぐるりと回り、バイクのそばに立っていた圭の元へ歩み寄った。


 「見つけたときは、もう、この状態、だったんですか?」


 轟々と風が唸るせいで、会話は大声で叫ぶようになる。柏木達也の息はまだ


酒臭かった。


 「助手席のドアは閉まっていて、鍵も、掛かっていました。僕が窓を割って、ドアを、


開けたんです」


 「車の、周りに、足跡は?」


 「たぶん、なかったと、思います」


 柏木達也は改めて周りを見たが、たった今自分がつけた足跡しか残っていな


かった。トラックのタイヤ痕はもとより、圭の足跡も、乗ってきたバイクのタイヤ


痕も残っていない。強い雨がすべてを洗い流してしまっていた。


 「遺体を、このままには、しておけません」


 圭は柏木達也と一緒に、中島勇太の遺体を助手席へずらした。柏木達也がトラック


を運転し、二人がバイクで戻ることができれば一度で済んだが、アルコールが残る


柏木達也に運転は無理だった。やむを得ずドゥカティを置いて、いったん別荘に戻る


ことにした。圭が運転席に乗り込み、刺さったままになっていたキーを回して、


エンジンはスタートさせる。古川正行が運転するマジェスティがトラックを先導する形


になり、二台は別荘へと戻った。


 トラックを車庫に収めると、古川正行の後ろに乗って着たばかりの道を戻った。


雨ざらしになっていたドゥカティに跨り、別荘へ戻る。二人がバイクを停めて玄関の扉


を開けると、心配そうな顔をした有紀が迎えてくれた。鼻をすすり、手渡されたタオル


で頭を拭いた。体が冷えたせいで、水のような鼻水がぐずぐずと垂れた。


 「シャワーを浴びて、着替えてきてください。風邪をひいたら困ります」


 一足先に戻った柏木達也は、すでにシャワーを浴びているという。着替えを済ませ


てから、食堂で説明をするというので、圭も部屋に戻った。


 熱いシャワーが冷え切った体の上で弾けた。熱いお湯がかかると、手足の指先が


痛んだ。こんなときは熱いお湯に浸かりたかったが、流石に湯船にお湯を張る時間は


ないように思われた。髪の毛と体も洗い、泡を流しているとドアの外から声を掛けら


れた。


 「勝手に入ってすみません。新しいタオルを持ってきたんですが」


 有紀がタオルを持ってきてくれたのだった。シャワーカーテンが引かれているから、


ドアを開けても圭は見えない。


 「ありがとうございます。ドアを開けても大丈夫ですよ」


 カーテンの向こうでドアが開く音が聞こえた。壁とカーテンの隙間からタオルを渡す


と、有紀は逃げるように出て行った。


 新しいタオルで水分を拭い、シャツに袖を通した。無造作に脱ぎ捨てた服が、


丁寧に干されていた。黒のスラックスにスリッパ履きという、ちぐはぐな格好で


外に出ると、ドアの外には有紀が立っていた。


 「すみません。ずいぶん迷ったんですが、勝手ついでかと思いまして」


 圭が服を干してくれたことにお礼を言うと、有紀は逆に謝った。


 「あの、大丈夫ですか?」


 圭は黙って頷いた。

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