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八月十四日 午後一時 (1)

 「到着です。大丈夫ですか?」


 古川正行が外側から扉を開けた。圭が軽く右手を上げて答えた。酷いフライトだっ


た。唯一の救いはその時間が短かったこと。ヘリコプターは対馬空港を飛び立って、


わずか二十分ほどで目的の島へ到着した。そこはコンクリートで舗装されたようなヘリ


ポートではなく、一面に短い草の生えた空き地だった。圭が先に降り、有紀に手を貸し


た。


 「地面が揺れないって素晴らしいです」


 青い顔をした有紀がこぼす。


 「冗談を言う余裕があるなら大丈夫」


 圭が笑うと、本気ですと有紀は少し口を尖らせた。三人がヘリコプターから離れる


と、まだ完全に停止していないローターが回転を上げ、爆音を立てて飛び立った。ゆっ


くりと上昇していく機に古川正行が手を振る。右手で日差しをさえぎると、パイロットが


コクピットで敬礼しているのがちらりと見えた。ヘリコプターが頭を対馬の方角に向け、


すべるように飛び去っていくのを見届けると、二人分の荷物を抱えて古川正行が歩き


出した。空き地の隅には青いピックアップトラックが停まっていた。荷台部分に荷物を


載せると、古川正行が助手席側のドアを開け、前方にシートを倒した。


 「ツードアですが、一応五人乗りです」


 二人が後部座席に乗り込むと、シートを戻して運転席側に回った。未舗装の空き地


を走る間、トラックはがたがた揺れ、有紀が両手をぎゅっと握り締めた。力が入って


白くなった手を圭が包み込むように握ると、有紀は少しだけ微笑んだ。揺れたのは


ほんの少しの間だけで、トラックはすぐにコンクリートで舗装された道路へと乗り入れ


た。別荘までは十分足らずで着くという。窓が半分ほど開け放たれていて、心地よい


風が二人の頬をなでた。


 車は美しい海岸線を走っていた。真っ白い砂浜にパステルブルーの海が広がる。


いかにも南国といった雰囲気だ。都内に比べると非常に広く作られた道路も、その


雰囲気作りに一役買っていた。湾の中は静かなもので、ほとんど波も無く、太陽の


光を受けてきらきらと水面が輝いている。外海はかなり荒れているのだろう。リーフが


途切れる辺りに、押し寄せては砕ける白波が見えていた。そのうちに車は海岸線を


離れ、緩やかな坂道を登ったかと思うと、別荘に到着した。


 別荘はやや小高い丘の上に位置していた。地中海風二階建ての建物で、白く塗ら


れた壁に水色の窓枠がはまっている。青く塗られたアーチ型のドアを抜けると、そこは


ホールになっていた。一階と二階部分を区切る天井が取り払われ、吹き抜けになって


いる。高い天井はホールを実際以上に広く見せた。石畳の敷かれた床の上に、革張


りのソファと木製のテーブルが置かれていた。窓はそれほど大きくないが、白い壁に


光が反射して非常に明るい。壁際に階段があり、それがテラスのように突き出した


二階部分に続いている。二人の後ろから入ってきた古川正行が、扉を指差して説明


した。


 「あのドアの向こうが食堂、正面のドアは娯楽室です。ここの娯楽室はなかなかの


設備ですよ。そこの階段を上って二階部分が客室になってます」


 「あのドアは?」


 説明の無かったドアを指差して圭が尋ねた。


 「ああ、あれは私たち夫婦の部屋ですよ」


 古川正行は荷物を下ろすと、二回三回と首を回した。


 「座って待っていてください。鍵を取ってきますから」


 そう言うと古川正行は自分の部屋に入っていった。


 二人がソファーに腰掛けていると、食堂から恰幅の良い男が現れた。対照的に後ろ


からついてくる女性は病的に細い。


 「工藤信太郎です」


 男は二人の前に立つと、笑みを浮かべて右手を差し出した。金のロレックスが音を


立てた。


 「いやあ、わざわざ遠いところどうも」


 立ち上がり、圭が握手に応じる。


 圭は昔読んだ児童書を思い出していた。ふとっちょとやせの兄弟が、乗る列車を


間違えて、とある駅にたどり着く。そこには二つの国があり、体型でデブの国とノッポ


の国に強制的に分けられるのだ。二つの国は習慣が異なり、そのうちに戦争が始ま


るのだが、結局は兄弟の尽力により二つの国が一つになる。体型で人を差別しては


いけません。人類皆兄弟。といった、ありがちな内容の本だった。


 圭がまったく別のことに思いを巡らせているとも知らず、信太郎が笑みをたたえて妻


を紹介した。


 「こっちは妻の奈緒子です。昨年はせがれが大変なご迷惑をおかけしました。その


お詫びといっては何ですが、ぜひ楽しんでいってください。サーフボードや小型


クルーザーからバイクまでなんでも揃っています」


 「それはどうも」


 圭も笑顔で答えた。男の周りには堂々たるオーラが漂った。それにどこか抜け目の


ないような、両手離しに信頼することができない雰囲気を兼ね備えている。そうでなく


ては大企業の社長は務まらないのかもしれない。そこへ古川正行が戻ってきた。手に


は二本の鍵が握られていた。部屋まで案内するという古川正行の申し出を丁寧に


辞退し、二人は階段を上った。ロビーに立つ三人に背を向けると、圭の顔から笑顔が


消えた。


 「謝罪の気持ちでいっぱい、という雰囲気じゃなかったな」


 「そうですね」


 有紀のキャリーバッグを持ち上げ、並んで歩いていると、テラスから声をかけられ


た。


 「あれ、遠藤さんじゃないっすか」


 階段を上りきると、学生風の男が一人近づいてきた。長袖のシャツに半ズボン。


かなり明るい茶色に染まった髪の毛。胸元には鮫の歯を模した、白いペンダントが


ぶら下がっている。


 「遠藤さんも呼ばれてたんすね。こんなところで会えるなんて嬉しいなあ。一緒に


コーヒーでもどうっすか?」


 有紀が気乗りしないという雰囲気で半歩下がった。


 「はじめまして。彼女の友人の水野です。せっかくのお誘いなんですが、僕らはこれ


からバイクに乗りに行く予定なので」


 圭が一歩踏み出し、有紀と男との間に体を割り込ませた。


 「あ、すんません。俺は中野っていいます」


 男はたった今、圭がそこに立っていることに気がついた、という雰囲気で自己紹介を


した。笑顔だったが目は笑っておらず、「お前は誘ってないんだよ」という意思をはらん


で見えた。


 「おい、兄貴!」


 食堂からもう一人似たような男が顔を出し、中野に呼びかけた。


 「じゃあ、またあとで」


 馴れ馴れしく有紀の肩に触れると、中野は食堂へ消えていった。

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