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プロローグ (1)

 のしかかる男を押しのけるようにして、女が立ち上がった。テーブルの上に積んであった


ダイレクトメールが崩れて落ちた。


 「辞めさせてもらいます」


 乱れた服を直しながら女が言った。男の表情が固まる。


 「辞める?そんなこと許すわけねえだろ」


 激昂こそしていないが、男の口調には明らかに怒気が含まれていた。男が立ち上がり、


女が一歩あとずさる。男が更に一歩前に出た瞬間、インターホンが鳴った。


 女は自分の鞄を引っつかむと、扉に飛びつく。誰でもいい、人が居合わせてくれるのは


ありがたかった。


 「遠藤有紀さんで間違いありませんね?」


 予想外に自分の名前を呼ばれ、女が戸惑いの表情を浮かべた。そこには男が一人


立っていた。


 「遠藤由紀さんで間違いありませんね?」


 「あ、は、はい」


 同じ質問を繰り返され、遠藤有紀と呼ばれた女はやっと返事をした。


 「斉藤さんに頼まれてあなたを迎えに来ました。荷物はそれだけですか?」


 有紀が頷くと、男は外へ出るように促した。


 「おい!」


 有紀と同様にこの状況に戸惑い、固まっていた男が声を荒げた。お前はなんだと


喚きたてる声は、既に落ち着きを失っていて、怒声に近い。


 「聞こえませんでしたか?」


 取り乱す男とは対照的に、あくまでも冷静な、抑制の効いた声が答える。


 「僕は彼女を迎えに来たと言ったんです」


 低いけれどよく通る声だ。顔は男の方へ向けたまま、彼は再び有紀に外へ出るよう促した。


有紀が扉の外へ出たのを確認し、続いて自分も外に出ると、ゆっくりと扉を閉めた。


その間も、射るような視線は男から一瞬たりとも逸らさない。エレベーターホールへ出て、


ボタンを押す。エレベーターは一階にいた。


 「あの、あなたは誰ですか?」


 無事に部屋を出られたとはいえ、有紀はあいかわらず状況が飲み込めない。


 「僕は水野圭といいます。さっきも言いましたけど、斉藤さんに頼まれてあなたを迎えに


来ました」


 先ほどよりはいくらか表情が柔らかく見えた。声も少し高い。と、二人の後を追いかけるよう


にして部屋の扉が開いた。手近にあったものを掴んできたのだろう、男はマグカップを


手にしていた。


 エレベーターはまだ一階にいた。


 勢いよく飛び出してきた男だったが、扉のすぐ外で足が止まった。有紀を庇うように立つ圭。


その顔からはまた表情が消えていた。圭に射るような目線を向けられ、男は気勢を


そがれた。


 「くそっ!」


 苦し紛れにマグカップを投げつける。圭は右足をひょいと上げ、足元に飛んでくるそれを


避けた。床にぶつかったカップが砕け、中に僅かに残っていたコーヒーが飛び散った。男は


出てきたときと同じように、勢いよく部屋の中へ戻っていった。圭はそれを見届けると、


再びエレベーターへと目をやった。


 表示が刻々と変化する。三階。四階、五階・・・。


 エレベーターは二人の待つ六階を通過し、七階で止まった。有紀はちらちらと背後の扉を


気にしながら、再び尋ねた。


 「あの、どうして私を迎えに来たんですか?」


 「だから、斉藤さんに頼まれたんですよ」


 圭はエレベーターのデジタル表示をじっと見つめている。その声にはさっきも言ったでしょう、


という呆れたような色が混ざっていた。


 「いや、そうではなくて、なんで斉藤先生はそんなことをあなたに頼んだんですか?」


 「・・・エレベーター、降りて来ませんね」


 質問には答えず、一瞬の間を空けて圭はそう呟いた。


 「もしかしたら」


 あいかわらず圭はデジタル表示を睨んだままだ。


 「このマンション、七階も彼の部屋なんです。部屋の中にある階段で自由に行き来が


出来ますから、もしかしたら彼が七階でエレベーターを止めているのかも」


 子供じみた抵抗、というわけか。


 「非常階段を使いましょう」


 有紀の手を取ると、非常階段へと続く扉を開けた。


 「さっきの質問の答えですけど」


 手を引きながら、階段を下りる圭が話し出した。


 「僕は英会話の講師なんですけどね。副業で探偵みたいなこともやっています。


依頼されれば素行調査から引越しの手伝いまで、なんでもやります。まあ、引越しの手伝い


の依頼はまだ来たことがありませんけど」


 口調こそ少し柔らかいが、その表情は相変わらず固い。


 「あなたが今日別れ話をするが、相手の男が素直に飲まないかもしれない。だからあなたを


無事連れ出して欲しい。それが今回僕の受けた依頼です」


 圭はあえて「別れ話」という言い方をした。

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