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せんぱい、取引のお時間です  作者: シーダサマー
第三章 現実主義は靡かない
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第55話

「いいよ、悠馬の好きなタイミングでスタートして」


 美優ちゃんは俺の胸元に顔を埋めながら、どこか甘えたような声を出す。


「……俺、まだやるとは言ってないんだけどな」


 正直に言ってあまり乗り気ではなかった。

 だって普通に恥ずかしいし。


 しかし、こうしてずっと抱きつかれたままでいるわけにもいかない。

 今もなお、エレベーターの扉は開いたままだ。誰が来ないとも限らない。この膠着状態が続けばバカップルぶりを目撃されてしまうのは時間の問題だった。


 かといって、ここで提案を無碍にして無理やり美優ちゃん引き剥がすのもあまり得策とは思えない。

 少なくとも昼食を奢らされるのはまず間違いないだろう。彼女がそれくらいの理不尽くらいは容易に突き通してくることはよく知っている。


 故に、美優ちゃんが自分から引いてくれないかと一抹の望みをかけて呟いた一言。

 しかし顔を上げた彼女の挑発的な笑みを見て、それは逆効果であったことを悟る。


「ふうん、逃げるんだ。童貞の悠馬には刺激が強すぎるかな? ま、怯懦で薄志弱行な悠馬だし仕方ないね」

「カッチーン」

「それ口に出す人初めて見た」


 うるせえ。

 怯懦も薄志弱行も意味はよくわからなったが、しかし馬鹿にされているというのはよくわかる。

 そこまで言われて引き下がるほど男は廃っていないつもりだった。

 

 ふんっ、いいだろう。乗ってやる。

 キスならともかく、ハグ程度で興奮したりするものか。

 ここから先は――羞恥心なしだ。


「後悔するなよ」

「あんたのそういうの、フラグでしかないでしょ」


 美優ちゃんは俺の胸元でクスクス笑う。


 俺はそれを無視し、荷物で手が塞がるなか器用に指を伸ばして9階の行き先ボタンと閉扉ボタンを押す。

 チィンと小気味いい音を立てて閉まるドア。

 その動きと連動するようにして、俺は美優ちゃんの背中にそろりと腕を回す。


 エレベーターの位置を知らせるランプが1階から2階に移り変わる。

 ――これはあくまでゲームだ。何の問題もない。


「んんっ」


 美優ちゃんの口から安心したように吐息が漏れる。


 荷物がぶら下がったままの手では、手のひらを使って抱きしめることは難しかった。

 代わりに二の腕と三の腕、つまりは肩から先全体を使い、彼女の身体全体を包み込むようにして力を入れていく。

 薄着の美優ちゃんからじんわりと伝わってくる温かみが妙に生々しく、艶めかしい。


 俺と美優ちゃんの身長差はおよそ十五センチ程度。彼女の履いているサンダルが多少底上げされていることを加味しても俺の方が身長は高い。

 彼女の吐息が俺の首元を撫で、()()()と思わず身震いする。


 3階、4階と少しずつエレベーターは上昇を続けていく。

 ――大丈夫、これくらいはまだ恥ずかしくない。


「あ、んっ」

「ちょっ!?」


 俺の息が耳元にでもかかったか、美優ちゃんはくすぐったそうに身をよじる。

 意図せず零れた甘い声に、俺は思わず声をあげる。ちょっと、そういう声をあげるのは反則だろう。

 俺は腕を解くことなくほんの少しだけ顔を上げると、抗議の意も込めて彼女の瞳をじっと睨みつける。


 5階。既に折り返しは過ぎている。

 ――あと、少し。


「んっ……」


 しかし美優ちゃんは何を思ったか、はたまた何かを勘違いしたか、静かに目を閉じてそっと唇をこちらに差し出す。

 何かを待ち、期待する表情。

 何を待っているかは明らかであった。


 6階を通り過ぎる。

 ――9階に達するまでの時間がとても長く感じる。


「悠馬っ……」


 じれったそうに呟くと、ゆっくり顔をこちらに近づけてくる。


 7階。

 ――いや、さすがに()()は想定していない。

 というかダメだろう。エレベーターの中だぞ! いやエレベーターの中じゃなくてもダメだけど。


 俺は遠ざかろうと上半身を離そうとするが、美優ちゃんの腕が俺の脇下をガッチリと固めており、距離をとることができない。


 8階。

 ――もはや余裕はない。


 美優ちゃんの顔が眼前に迫る。

 お互いの吐息が顔にかかるほどの位置。仮にエレベーターが強めに揺れでもしたらくっついてしまうであろうレベルの距離感。なんなら、この距離を四捨五入できるとすれば既にくっついている判定を受けてしまうかもしれない。

 そんな計算も、あと一秒もすれば不要となるだろう。そう確信する。


 9階。

 再びチィンと音を立てて扉が開いていく。

 

「――ッ!」


 気が付けば、俺は彼女の肩を手提げ袋ごとグイと押し退けていた。

 それは即ち、俺の負けを意味する。


 エレベーターの外、レストラン街から差し込む光。

 その傍らで、美優ちゃんがニコリと笑う。


「じゃあ、お昼いこっか? 何食べよっかな~」


 どうやら、俺は美優ちゃんの作戦にまんまとはまってしまったようだった。

 彼女が顔を近づければ、俺が逃げることはわかっていたのだろう。


「人のお金で食べるお昼ご飯がこの世で一番おいしいのよね。今日は思い切って特上カツ丼でも食べようかなっ。キャビアトッピングとかできないのかしら」

「……ねえ、もしかしてなんだけど、これはただの直感なんだけど、俺の勘違いかもしれないんだけれど、美優ちゃん怒っていらっしゃる?」

「しーらないっ」


 その後、特大のカツ丼を幸せそうに頬張る美優ちゃんを眺めながら思う。

 何が彼女を怒らせたのかはわからないけれど――彼女とゲームするのは暫くはやめておこう、と。

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