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左の君は  作者: バランガ
1/9

第一部その一

左の君はたいそう雅だと評判である。

ま、僕のことなんだけどね。


「さすがは左大臣のご子息、まだ準備のうちからここまで絢爛豪華とは。他ではこうはまいりますまい」


僕にとっては当たり前の装飾を、父上の取り巻きの一人が必死で誉めたたえる。

飾りつけは門から僕の部屋まで延々とあるので、さっきからずっとこの調子だ。


「いえいえ、そのようなことは…まあ、曲がりなりにも一人息子ですからね。初めてのことで父も勝手が分からぬのでしょう」


にしても誰だったかな、こいつ。

知らない顔にも返事してやるなんて我ながらやっさしー。


「またまたご謙遜を。みな噂しておりますよ、ここまでの元服式は右大臣も及ばないのではありませぬか?」


「はっはっはっ困りますね、そんなはっきりと言われては」


んなこと言われなくても分かってんだよ。

単に位というだけでなく、我が左大臣家は格式、実力、どれをとっても右大臣家を上回る。

当然だ。

成り上がりに負けてたまるか。

父上も手を焼いているようだが、僕が参内した暁には京から叩き出してやる。

思わずにやりと口角が上がる。

さあて、どういたぶってやろうかと妄想を膨らませようとしたら、間抜けな声に思考を遮られた。


「こんなとこに居たんですか狭霧様、さっさと戻ってこいって女房達かんかんっすよ」



この地味なのっぽは草野。僕の乳兄弟だ。






「うるさいな草野、お前もゆくゆくは僕の従者になるんだ。そういう細々したことで主人の手を煩わせるなよ」



「完璧な元服式にしたいって言ったの、あんたでしょうが。ほらとっとと行きますよ」



たいていの使用人は、たとえ猫がわんと鳴こうが僕に意見なぞしない。

それだけの存在なのだ、左大臣というのは。

その子息に軽口をたたける草野は文字通り兄弟同然であり、家族以外には唯一信用できる人間だ。

今世の光源氏といっても過言じゃない僕の従者としては地味すぎるがな。



「あ、あの」



おっと、忘れてた。

手を引かれながら、へのへのもへじに言ってやる。


「ではこれにて…元服式でお会いいたしましょう」


もうすぐこの狭霧が左遷してやるからな。



中身はともかく見た目は小さいしなよっちいし、まるで子供なんだから人一倍注意しとかないと。なんかあったら俺の首がとぶんで」


はっきり、ちびだと言っている。握られた手に思いっきり爪を立ててやったが効果はなかった。

くそ、なんでこんなに淡々としてるんだ。

今に見てろよ、お前もその内こき使ってやるからな。

じっとりした視線をものともせず、珍しく草野がほんのり笑う。


「ま。なんにせよいよいよ明日ですね、元服式。噛まないよう祈ってます」









翌朝。邸はいつになく騒がしかった。

そりゃあ元服式だから当然だろうって?

いや違う、その反対!


「はぁ!?盗まれたあ!?僕の直衣束帯が!?」

「そうみたいっすね」


なんと、よりによって今日着るはずの晴れ着が盗まれたのである。

女房の証言によると、床につく前に確認した時はちゃんと衣桁に掛けてあったらしい。

その後、何やらけたたましい音がしたので急いで来てみればなくなっていたとのこと。

何度も言うが、ここは今一番の権勢を誇る左大臣の邸である。

そこらへんの輩がおいそれと手を出せるもんじゃない。

むむ、これは陰謀の匂いがするぞ。


「右大臣の差金か?」

「いや、たぶん賊でしょう。他にも金目の物がいくつかなくなってますし。あーあれ高かったのに残念でしたね。まあ確か倉に予備があったかと思うんで取ってきます」

草野があっさり否定する。

そのまま倉の方へと向かう奴の袖を慌てて引っ張る。


「待て待て待て」

「えぇ?何すか」

「あの装束は一年以上前から父上が一から織らせたものなんだぞ」

「ああ、そういえば」


京でも指折りの機織り女に織らせたって自慢されてたなあ左大臣、との呟きにすかさず返す。


「それをたかが賊が持っていったからって諦められるか!追いかけるぞ草野」

「えぇー無理でしょ」

「無理じゃないっ」

「じゃあ具体的にどうやって取り戻すんです?」


う…。


「賊は一人とは限りませんし。もしかしたら数十人規模かもしれない」


うう。


「金目の物目当てで盗んでったのに、それを追いかけたからってすんなり渡しますかね。危ないだけです」


……。


「悔しいのはわかりますけど、諦めた方が賢明っすよ」


ぽんと頭に手を置かれる。子供扱いしやがって。


「…………………………………わかった」

「じゃあ俺は倉に行ってきますんで。間違っても自分だけで賊を追ったりしないでくださいよ」


釘をさしていくあたり、僕のことをよく分かっている。が。まだまだ甘いな。


「反対されると燃えるんだよな、僕」



左の君はたいそう勇敢なことでも有名なのである。




左の君はたいそうな糞餓鬼だと評判である。

あ、一応俺のご主人様なんすけどね。




「はぁ!?いない!?」




現に今も、人の忠告を無視して一人で賊の後を追いかけていきやがった。




「申し訳ございませぬ…少しお姿が見えないと思ったら」



女房が頭を垂れる。

その肩は震えて見てるこっちがいたたまれない。まあ無理もない。

目に入れても痛くない左大臣の一人息子が伴もつけずに外出、しかも賊を追うだなんて他に知れたらとんでもない醜聞だ。




「はぁー…」


あー左大臣になんて言おう。

京でも噂になるほどの親馬鹿だからなぁ、自ら連れ戻しに行くとか抜かしかねない。手に持った替えの衣を見やる。

年季こそ多少入っているが、品は申し分ない。


「…これ虫干ししといて。あと弓矢の用意を」


大事になる前にちゃっちゃと連れ戻してしまおう。

それにしても狭霧様、賊を追うったって何かあてでもあるのだろうか。

どうせそこら辺で迷ってるに違いない。


左の君はたいそうな方向音痴でも有名なのである。










「…ここはどこだ」


いや、山の中というのは分かってる。

ちゃんと途中まで道案内をつけたからな。

…まあ、それとはぐれたからこんなことになってるんだけど。

迷ってるわけじゃないぞ。

ただ、賊がどっちに行ったか分からない。

まずいな…すぐ帰るつもりだったのに、これじゃあ日をまたぎそうだ。

草野に何と言われるか、考えただけでうんざりする。


「…とりあえず進むか」


そうだ狭霧、今は直衣束帯を取り返すのが先決だ。

元服というのは冠だけ被ればいいってもんじゃない。

正装して初めて儀式に成りうるんだ。

それをだ。賊がなんだ!ここで何とかしなければ、この先ずっと陰口たたかれるんだぞ!


“左の君は元服のための晴れ着を盗まれて、急きょ古めかしいものをお召しになったとか”


“まあお気の毒に…”


“用意していた衣は賊に盗まれてそのままだそうな”


“きっと運気がよくなかったのでしょう”


“それにしても品はよいとはいえ、ずいぶん年季の入ったお召し物でしたねえ”


“これからは『古着の君』とお呼びすべきかしら”




なーんてひそひそ言われ続けるに違いない。僕はごめんだね。絶対あれを着て元服するんだ。

固い決意を持って獣道を進んでいく。…本音を言うと一人は心細いし、腹も減ってきた。

しかし諦めるわけにはいかない。

貴族はなによりも高貴さが大事なのである。

腹は二の次だ。

なんだかんだと自分に言い聞かせながら直感に従って(決して当てずっぽうじゃないぞ!)

ずんずん歩く。

ひたすら歩く。

やんごとなき身分でこんなに肉体労働していいんだろうかってくらい歩く。

でも景色は変わらない。

行っても行っても木と草ばかりだ。

桜でもあれば詠みつつ行けるものを、花らしい花も咲いてない。

せめて川に出れば水が飲めるのに。

自覚すると、とたんにのども渇いてきた。ああもうっなんで僕がこんな目にあわなきゃなんないんだ!この件が終わったらお祓いでも受けようかな。

切なく空腹を訴えてくる腹とひりひり痛むのどからなるべく意識をそらして、足を動かすことのみに集中する。

でないと今にも倒れてしまいそうだ。

その足もやがてなかなか前へ出なくなり、ふらつき始める。


「うう、水…」


も、もうだめだ、僕はきっとこのまま儚くなってしまうんだ。

草野はいったい何やってるんだ。


「草、野…」



視界は暗転した。




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