かれんの気持ち
「かれんちゃん!」
音楽室前にスラリと伸びる廊下を、和葉は駆けていった。いつからか降り出した雨は校舎の窓を濡らす。階段を下ると、和葉は廊下で踞る少女を見つけた。
「…いた」
「せ、先輩…」
お互いの呼吸が浅いのがわかる。和葉が息切れによるものだと知るのは容易だったが、かれんのそれは間違いなく恐怖だった。
「ごめんなさいっ、折角和葉先輩に声をかけていただいたのに全然、出来なくて…」
「そんなの、まだ始めたばかりじゃん。出来なくても…」
「ダメなんです!1年生だから、始めてだから、って言われるのかどれほど悔しいか!出来ないのが、私、悔しくて」
かれんの目の奥が再び潤むのがわかった。
「先輩方にご迷惑をかけるのが、苦しくて」
「迷惑なんかじゃない!私だって、悠人だって美奈だって綾音だって、そんなこと微塵も思ってない!迷惑なんてかけて当然だ!」
「で、でも…」
「美奈が怖い?」
かれんはコクリと頷いた。
「言い方きついけど悪い子じゃないの。頑張ってる人には悪態つかないよ。あの子はただ、一緒に金賞を取る仲間が欲しいだけ。コンクールのやるせなさをこっちにぶつけてるだけだから、さ」
「かれんちゃんもコンクール悔しかったでしょ?」
「はい。すごく悔しかったです」
「じゃあその悔しさをアンコンでぶつけよう!金賞取ってやろう!」
「はい。あ、でも先輩」
「どうしたの?」
「1年生だからしょうがない、って言うの辞めて貰ってもいいですか?すごく、悔しく感じるので。先輩たちと肩を並べたいので」
かれんの目は真っ直ぐ和葉を捉えた。吸い寄せられそうなほど綺麗だった。
「わかった。戻ろう、音楽室に」
「はいっ!」
一方綾音、悠人、美奈は3人で練習していた。
「ストップ」
「悠人、もっと音量出して。トランペットが掻き消されたらダメでしょ」
「ごめん。美奈もCのとこもっと刻んだ方が良いかも」
「わかった。…ねえ、綾音は何も意見ないの?」
「別に」
「やる気ないの?」
「別に」
「吹奏楽って個人が出来てれば良いわけじゃないと思うんだけど」
「まあまあ、美奈もその位にさ。綾音も、もうちょっと周りの音聴いてくれると嬉しいかも」
「…」
綾音は無言で頷いた。美奈がイラついてるのもわかった。悠人も困り顔だった。
ガチャ、と音を立てて扉が開いた。
「ただいまー!綾音、どこまで進んだ?」
「…Eの前まで」
「おー!じゃあ大分進んだね!続きやろ!」
「か、和葉、かれんは?」
「ご心配おかけしました」
かれんが扉の前で頭を下げた。
「特に、美奈先輩。私、これからもっともっと頑張るので、金賞を取るために頑張るので、御指導よろしくお願いします!」
「…かれん。私は絶対金が取りたい。だから、付いてきなさい。私の足を引っ張らないで」
それが嫌味では無いことがかれんにもわかっている様だった。音楽室には一見、暖かな春風のような雰囲気が漂っているようだったが、先ほどまで練習をしていた3人には微塵もそんなことを感じなかった。それほどまでに先程の音楽室の空気は凍てついていたのだ。
そんなことも知らず、和葉とかれんが席に着く。
「じゃあ最初からEの前まで通そうか」
「はいっ!」
かれんのやる気は充分だ。ただ、一難去ってまた一難と言うべきか、2年生の仲は拗れていた。
「1、2」
メトロノームの音に合わせて全員が息を吸う。トランペットのユニゾンが音楽室に響いた。最初とは打って変わって、少しやけくそ気味に。華やかの対義語がお似合いだった。
「ストップ」
「どうしたの、悠人」
和葉が心配そうに尋ねる。
「…ごめん。もう1回お願い」
「和葉も焦りが音に出てる」
美奈が言った。
「ご、ごめん」
「部内オーディションまであと何日?」
「2週間」
「進度は?」
「半分…」
「じゃあ間に合う。和葉、あなたが不安がってどうすんの」
「うん、そうだね。きっと間に合う。ありがとう美奈」
「…なあ、今日はもう個人練にしないか?」
「悠人?」
「まずは個人のレベル上げよう。そしたらきっと合奏も良くなる」
「確かに…みんなはどう?」
「私は賛成。もっと自分の音研究したいし」
「私もOKです。さっき出来なかった所、練習したい」
「綾音は?」
「私は…」
美奈が睨んだ。
「賛成で」
「じゃあ今日の残りの時間は個人練習で。18時には練習終了してね。空き教室も使っていいから」
「了解」
みんなが移動していった後、音楽室に残ったのは綾音と和葉だった。
綾音はチューバなので、あまり音楽室から動きたくない。いつ和葉が移動してくれるのか待っていると、和葉が口を開いた。
「綾音、アンサンブルしよう?」
唐突に聞こえたその言葉。その言葉が、綾音には少し懐かしく感じた。
お久しぶりです。オーディション編なんてまだまだでした。次回は和葉と綾音の過去なんかに触れてみようかな。