第39話 勝ち取れ円満退社
院長との面談は3日後の昼と決まった。
退職時は院長から嫌味を言われるスタッフ・脅されるスタッフ・退職時期を大幅に伸ばされるスタッフがいる。
その反面、辞めさせたいスタッフが退職を申し出ると、簡単に受理され、最後は「今までありがとうね」と言われ、笑顔で見送られる。
クリニックを去った先輩からそう聞いていた。
脅されるのは嫌だが、ニコニコされるのもあまり気分が良いものではない。
勿論、どんな態度に出てこようが私のやることは決まっている。
退職に至った経緯については、曖昧な理由や引き留められる可能性がある話はしない。
クリニックへの不平不満は避け、ポジティブな理由のみ伝える。
円満退社に向けていざ出陣!
その日は、いつもより早く出社し院長室の前で待っていた。
「まずはハナコさんの退職理由から聞きます。これまでの私の言動の数々で不適切な言葉もあったかと思いますが、あくまでもそれは私の一意見であり、それが絶対というものではない。何か不満に思っているなら言ってください。退職する人には一応形式上理由を聞くことになっているので」
不機嫌そうに現れるや否や牽制してくる院長。
一応形式上理由を聞くって事は、本当は理由なんて聞きたくない。
文句言わずに辞めろって事ね。
それに今更、辞める本当の理由を言ったとしてもこちらにメリットは一つもない。
「クリニックに対して不満は一切ありません。大変お世話になり感謝しています。ですが、私には以前から夢があり、それに向かって今後は邁進していきたいと考え退職を決意致しました」
事前に用意していた建前を口にする。
「どうして今辞めなくちゃならないんだ?」
院長はさらに深く理由を聞いてくる。
本当の理由を言ったら怒られるだけでしょ?
「私の都合だけで申し訳ないのですが、年齢的にも新しい事を始めるには今がラストチャンスと考えたからです」
ここで働くことに限界を感じたからです。
「そちらにとっては都合が良くても、こちらにとっては都合が悪いんだ。契約書では一か月前に言えば良い事になっているが、一緒に働いたメンバーに迷惑かけることになる」
「仲間のことを考えないで辞めるなんて人としてどうかって話だ」
いちいち憎らしいことを言う人だ。
でもそんな脅しには乗らない。
一緒に働いたメンバーには二か月前から伝えています。だから問題ないです。
「物書きなんてもっと後からでもできるでしょう?一日書き物ばかりしているわけじゃなし」
確かにその通りだ。
でも私は押し切る。
「どうしても小説だけを書いて過ごしたい感情に駆られてしまい、それを抑えることが出来なくなってしまったんです」
不毛な話し合いは辞めましょうよ。
「ハナコさんを入れての受付人数で考えているんだ。ハナコさんが抜けた分は新しい人を入れないと、残る人に仕事の負担がかかる」
私に罪悪感を持たせようとしているの?
「私はこれまでずっと辞めていった人の穴埋めをしてきました。それなのに自分が辞める時は残る人に穴埋めをさせないと言う事ですか?」
オープン時からの受付スタッフは全員辞めた。
私はその穴埋めをずっとしてきた。
辞める時くらい気持ちよく送りだしてくれてもいいじゃない?
「辞めていく人間より残るスタッフの方が大切だ」
なるほど、もう私の事は大切ではないって事ですね?
そして使い捨てると?
院長はその後有り得ない事を口にした。
「ハナコさんが社員になりたいとい言うから、その熱意を汲んで社員にしたんだ」
それ反対でしょう?
「それなのに社員が辛いからパートにも戻りたいと我儘を言う」
それって我がままなんですか?
「それも認めてあげたのに今度は辞めると言う」
院長は”裸の王様”
「ハナコさんの事、自分勝手で残念な人だと思わざるを得ない」
ふざけるな~(ドカーン)
ムカムカムカ
サービス残業三昧の中で!
心が病んだセッカチさんを支え!
理不尽にもボーナスを減額された挙句!
その理由は直接関わってもいない上司からの評価だとふざけたこと言われ!
コロナになってたった10日間休んだだけで、がっかりしただの残念だのぬかす!
これまで誠実にクリニックのために働いてきた私の忠誠心を踏みにじり!
他のスタッフは日曜出勤したら手当が出るというのに、皆が嫌がる日曜出勤を進んで協力している私だけは日曜手当が出ないだと!
そんな理不尽な扱いをされても、ぐっと耐えて文句を言わない私は自分勝手で残念な人間なんですか?
そんな事されて心身ともにぼろぼろになったから辞めると言っているんです!
ぶちまけたい。
全部吐き出してしまいたい。
しかしそれでは今まで穏便に話を進めてきた努力が水の泡だ。
こぶしを握り締め堪える。
「ハナコさんを社員にする時、イケメン課長から、「本当にハナコさんを社員にするんですか?」と反対されていたが、今となっては彼の言葉が当たっていたことになる」
だから何?
辞めたイケメン課長の名前まで出して私を牽制したいのですか?
その手には乗りませんよ!
因みに、イケメン課長は、私に「こんな職場で社員になったら後悔するからならない方がいい」と言っていた。
言いたい!言いたい!言ってやりたい!
”ここで社員になることはどういう事か分かっているの? ”イケメン課長の言葉がフラッシュバックする。
イケメン課長……
確かに私は納得して社員になった。
だからそれは自己責任であり“社員にならなければ良かった”なんて言葉に出すつもりは毛頭ない。
しかし、院長にこんな事を言われたら黙っているわけにはいかない。
「院長、一つだけ訂正させていただきたい事があります。」
私は自分が社員になった経緯を院長に説明した。
「私の記憶では、三年前に院長とセッカチさんから、社員になって欲しいと頼まれて社員になったと記憶しています。本当はパートのままで良かったんです。
でもお二人から社員になって欲しいと言われた事がとても嬉しくて、その気持ちに答えて社員になりました。
言わば院長とセッカチさんのために社員になったようなものです。
それなのに社員にしてあげたと言われるのは心外です」
すると突然、院長は諦めた様に苦笑いをした。
「そうだったか~」
惚けた様に頭を書きながら椅子にのけぞる。
数秒の沈黙のあと、院長は穏やかな表情にかわった。
「ここからは雑談にしよう」
これ以上の話はメリットがないと判断したのだろうか?院長の態度が変わったことで私の緊張はほぐれた。
「退職は了承しました。今後は残る受付の人とシフトを含めて話します。ハナコさんのシフトを埋められるか話し合って大丈夫そうなら一か月後に退職でいいです。ダメそうなら少し協力してもらうかもしれません。要は保険です」
数分前までとは人が変わったように、スムーズに話を進めていく院長。
けたけたと笑う彼の顔はまるで少年のようであり、言い知れぬ不気味さが醸し出されていた。
それはともかく、長引かずクリニックを辞められることとなり、私の目的は無事達成されたのだった。
その日私は、夕食を食べてすぐに床に就いた。
コロナにかかって休んでいた時以来、久々に深い睡眠をとれたような気がする。
独り言
院長との面談は一時間にも及んだ。
雑談になり穏やかな話の中「私は嘘つきが一番嫌いだ」と頻りに言う院長。
貴方こそ嘘ばかりついているのによくもそんなことが言えたもんだと感心する私。
更に「ハナコさんは70歳まで働きたい」と言っていたから社員にしたのに嘘だったんだな」というではないか。
私は優しく微笑む。
「院長、人の心は変わるものです。そうですよ、社員になったころの私は、70歳までここで働こうと張り切っていました。でも、事情が変わったんです。嘘をついたわけではないですから」
伝わったかどうかわからない。




