サイゼリヤー②
居るか居ないか分からない読者に説明すると、サイゼリヤは大きく分けて二つに分類される。店舗型とテナント型である。店舗型とは、サイゼリヤ単体で建つ、いわばサイゼリヤのためだけの店舗。テナント型とはイオン等、大型ショッピングモール内に数あるテナントの一つとして入れられる。各々利点や欠点はあるが、その安さ旨さは変わらない。男逹が向かったのは店舗型であった。
「緑を基調とし、どこか落ち着くレトロで洗練されたデザイン。美しいな」
「あぁ。俺がミラノに実家を持てば、こんな外観になるだろうな。もしかすると人類はミラノから始まり、サイゼリヤに辿り着く事を終点としているのかもしれんな。それぐらい、この外観にはなつかしさを感じる。」
誰しもが納得した。なるほど。そうなればサイゼリヤ(くちなしの花)という聞き慣れない言葉になつかしさを覚えるのはつまりそういうことなのだろう。
男逹は口々にサイゼリヤの外観を賛美した。看板は緑色の中に赤い文字でサイゼリヤと描かれている。これはクリスマスカラーと呼ばれるほど相性の良い組み合わせであり、互いの色を引き立てる役目を担っている。この何気ない看板一つとってしても、人間の本能に訴えかけようと試みる。一体、サイゼリヤとは何者なのであろうか。男逹は野球選手が試合前における期待であったり高揚であったり。そして、ほんの少しの恐怖。それは緊張感となり、男逹の魂を引き立てた。つまりは心身ともに理想の状態となっていたのである。男は店のドアに手をかけ、そこで一度、動作を止めた。
「いいか。」
後ろに居る男逹に向き直り、それだけ言った。男逹は覚悟を決めた男に各々、頷いた。皆、覚悟は決まったようであった。男はドアを開けサイゼリヤへと入っていった。
じんわりと暖かな空気が流れるそこは異世界であった。どこの言葉とも判別がつかない、しっとりともじっとりとも言える『奇妙』としかいいようのない音楽が流れる。それは他のファミリーレストランとは一線を画す。壁には西洋の絵画が飾られている。裸の天使や美女が見守るように配置され、初めてサイゼリヤに来た人間は、美術館と勘違いするであろうが、なんとここはファミリーレストランなのである。
「お前ら気は確かだな?」
初めに入店した男は後続へ続いた男逹の生存を確認した。ここで気をしっかり保てない方は入店を断念した方が良い。あまりに現実と隔離された空間は様々な障害を生む。過去に二人サイゼリヤに入店し消息を絶った者もいる。(まだ行方不明)ある男はサイゼリヤから出たあと、あまりの現実との違いに苦しみ二時間行方をくらませたあと焼死体となって発見された。このような事件は一切サイゼリヤには関係なく男逹の精神の弱さが招いたいわば事故であるとここに記しておく。
「間違い探しだけは見るな」
返事は無かったが、男逹の間に緊張が走ったのは誰しもに伝わった。それ以上、誰も声を発することはなく席へとついた。
ある男が遺影を掲げた。ピザの男とドリアの男である。二人はいい顔で笑っていた。その笑顔を見て、男逹はようやく緊張がほぐれたようであった。
「ふふ、死んでもサイゼに来るなんて、どれだけサイゼが好きなんだよ。」
男が遺影を優しく撫でた。その指先には労りや優しさが込められていた。
「とりあえず、バッファローピザとドリアを頼もう。」
この言葉に異を唱える者はいなかった。
サイゼリヤでは、専用の用紙にアルファベットと数字を記入し注文を取るという方法をとっている。これは一見まどろっこしいが、コロナ対策としてこの方法を採用した。(さすが!)紙とペンを使う大変古くさい方法ではあるが、コロナ対策としてとても有効であると個人的な学会では称賛されまくりである。(すごい!)ちなみに作者は酔いが回ると紙に書かずに普通に声を出して注文する。店員さんは嫌な顔一つせず注文を復唱してくれる。こういった細部に渡る柔軟さもサイゼリヤの魅力の一つである。
男は用紙に PZ02 DG01 と書いた。暗号のようだが、これが正式な注文方法なのである。ほどなくしてミラノ風ドリアとバッファローモッツァレラのピザが運ばれてきた。店員は遺影を前に少し狼狽えたが、テーブルの真ん中に置くことが無難な回答だろうと経験から得た知識により事なきを得た。男逹は持っていた遺影を立て、二人の前に運ばれてきた料理を置き黙祷をした。
「死んだらサイゼは食えねえんだぜ。」
誰かがポツリと言った言葉は男逹を打ち、嗚咽が漏れた。「バカだなあ」と泣き笑いでもしているかのように口々に言い合った。奇妙な音楽は男逹を優しく包み込みギターを持った天使が男逹を優しい眼差しで見つめる。教会と間違える方もいらっしゃるかもしれないがサイゼリヤはファミリーレストランなのである。税込み300円と500円 人間の争いは何も物の価値によって引き起こされるわけではない。そこには沸き立つ魂や己を賭けるに足る安いプライドさえあれば人間は戦えるのである。