十一話「第一小隊の休日」
最早見慣れた天井を見上げて、将真は酷く疲れたようにため息をつく。
目線を窓の外に移すと、もう大分暗くなっていた。
一体、何時間寝ていたのだろうか。
「……ごめん、悪かったから、その顔やめてくんない?」
ちなみに、将真が視線を外に移したのは、外の様子が気になったからだけではない。
傍に座るリンの視線から逃げるためでもあった。
将真が目を覚ました直後、安心したように表情を綻ばせたが、それも一瞬の事ですぐ不機嫌そうに眉を顰めて頬を膨らませてしまったのだ。
理由は、将真にも何となく察しがついていた。
「……あんな無茶して、どういうつもりなの」
「……悪かったよ。俺も予想してなかったんだって」
負担は織り込み済みだったが、まさかここまで酷いと思っていなかったのも事実だ。見通しが甘いと言われれば、返す言葉もない。
「__おっ、将真さん目が覚めたんスね」
「莉緒……、リンもそうだけど、お前も怪我してんのか」
「まあもろにブレス食らっちゃいましたからねぇ。とは言え、大したダメージでもないっすよ」
「ボクもちょっと打ち身があった程度だからね。将真くんは人の心配してる場合じゃないんだよ?」
「耳が痛いな……」
莉緒が来るまでの少しの間、将真の両頬を抓って引っ張っていたリンだったが、多少は気が済んだようだ。
確かに、二人の怪我はすぐにでも治る程度のものに対して、将真の怪我は虎生と戦った時よりも酷い。まして自傷ダメージともなれば救いようがない。
「いやー、でもあれ何だったんスか? 結構ヤバい感じの力だった気がするんすけど」
「だから俺も知らないんだって」
知ってたらリスクを冒してまで態々使わない。
尤も、自分を省みる余裕もないほどの危機が迫っていればその限りではないだろうが。
「それで、俺が気を失ってる間になんかあったか?」
「特にないッスよ。将真さんを医務室に放り込んで、リンさんが看てるって言うんで、自分が柚葉さんに報告しときました」
「……何から何まで、足引っ張ってばっかで悪いな」
「最初はそんなもんッスよ。自傷ダメージは痛手ッスけど、将真さんがこんなに早くB級魔獣をソロ討伐出来たことを喜びましょう」
殊更に明るく務めてそう言う莉緒に、将真もリンもため息混じりの苦笑を浮かべた。
とりあえず、今回の任務は無事成功での終了となった。
任務のランクは、莉緒の報告によりC級からB級に上昇。その分報酬もいいし、貰える単位も大きい。
本来ならば、最初はもっとランクの低い簡単な任務を熟すのが通常であるところを、外の任務の経験者である莉緒の判断の元で今回は例外的に許可されたのだ。
これで失敗なんてしようものならば、暫く外の任務に出して貰えなかったかもしれないと莉緒は少し青い顔で言った。
だが、成功したとはいえ、やはり将真がこのままでは不安要素が大きいため、難易度が高めの任務を今後も受注したければ、将真の基礎能力向上に務めるようにも言いつけられているらしい。
ちなみに、任務の報酬とは別で、討伐系任務には報酬たり得るものが在る。
それが、魔道具などに必要となる魔石や素材だ。
あれだけの数を倒したのだから、さぞかし素材が沢山手に入った事だろう、とそう思っていた将真だったが。
「魔石は討伐の証拠にも必要だから回収したッスよ」
「でも将真くんがそんな怪我してる状態でゆっくり素材採取をしている訳にも行かなかったから、素材は取ってないね」
「…………ホントごめん」
申し訳なくなって、将真はまたも深々と頭を下げるのだった。
結局、その日のうちに腕の怪我は治らず、夕飯はリンに食べさせてもらうという、羞恥を煽るような罰を受ける事になった。
ちなみにその煽りで同じく恥ずかしい思いをしたリンは納得いかないと憤慨したが、莉緒は素知らぬ顔だった。
翌日が学園が休みで助かった、と将真は心底安心したように息をついた。
何せ、翌日になっても腕の怪我は完治に至らなかったのだから。
何とか動かせるものの、力を入れるだけで痛みが発生し、拳を握ることも難しい。
改めて、昨日の愚行を後悔させられる形となった。
痛みに耐えながら、昨日は入る余裕すらなかった風呂で体を洗い流した時には昼間近になっていた。
そもそも目が覚めた時、既に日は高く登っていたのだから無理もないのだが。
ちなみに、将真がこんな状態ではあるが、三人は現在外出していた。
将真とリン、莉緒では主な目的が違うが。
莉緒は、将真の異常な威力の技による負担を考慮し、東区で負担軽減用の魔道具を探した方がいい、という考えでいた。
故に、彼女が二人について行く理由は、ついででしかない。
将真とリンの目的は、先日の街案内を中断させてしまったことの埋め合わせだ。
「気にしなくていいのに……」
「そういう訳にもいくか。わざわざ時間作って貰ってたのに、不意にしたままじゃ流石に悪いだろ」
「デートしてたんスか?」
「「違う!!」」
二人の会話からそんな事を連想した莉緒だったが、食い気味の突っ込みをハモらせる二人の勢いに思わずのけ反った。
「ま、まあ落ち着くッスよ二人とも。幸い、何するにもお金はあるんスし」
「それなんだけど、おかしくないか? 幾らB級の任務は高めのランクだって言っても……」
そう言って将真が思い出したのは、昨日の任務で渡された報酬。お金と単位が貰えただけだが、その額が尋常ではなかった。
なんと小隊で百万である。
将真が三等分を遠慮した結果、将真に二〇万、リンと莉緒で四〇万という配分になったが。
「……絶対金銭感覚狂うぞ、これ」
「まあ魔術師の為の施設は、どれもこれも物価が高いんで、実はこれでも足りない時はある、みたいなんスよねぇ」
「それは絶対金遣いがおかしいだけだろ」
ともあれ、三人が入ったのはスイーツ店。
これはリンの希望によるものだった。
「ちょっと気になっちゃって……」
と言っていたが、どうやら甘いお菓子が好きなようだ。
(わかるぞ、甘味は美味いよな)
ちなみに将真も甘党だった。
尤も、こんな可愛らしい店には入った事もなければ、入ろうと考えたことすらなく、正直肩身が狭い思いをしているのだが。
周りから見られているような気がして、将真はメニューに目を落とす。
「うっ……」
「どうしたの?」
思わず呻き声を漏らす将真に、不思議そうに首を傾げるリン。
将真の反応の原因は、メニューに表記された金額だった。
(どれもこれも四桁オーバー、げっ、これ五桁がある……!? 莉緒が言ってた物価ってこういう事なのか!?)
なるほど、確かにこれは異常な高さだ。一般人向けでないことは明らかで、これなら確かに、あれだけの報酬を貰っていても足りなくなるかもしれない。
とは言え、店に入って何も注文しない訳にはいかず、将真と莉緒は適当に一つずつ注文してみる。
対してリンは既に三つほど、ケーキの注文をしていた。
暫くしてケーキが出されると、その光景に三人はそれぞれ目を見開いたり、感嘆の声を漏らしてそれを見た。
見栄えが重視されたそのケーキは、食べるのが勿体ないと思わせるほどのもので、この小ささでありながらまるで芸術品だ。確かにメニューで見た通りではあるのだが。
更にケーキを口に運ぶと、将真は口の中に広がる甘味と共に、一つの確信を得る。
(……なるほど、高い訳だ)
その手の知識があるわけでもない将真にすら分かるほど、そのケーキは絶品だった。ゆっくりと、味わって食べたいくらいだ。
魔術師向けの、味良し見た目良しともなれば、この値段は納得だった。
だが、何となく理解した。
どうやらこの店は、所謂高級スイーツ店のようだ。娯楽の少ない世界だと思ってはいたが、全く無いわけではないようだ。
埋め合わせ、と言った以上、ここでの支払いは将真が済ませるつもりでいたが、その金額はケーキ五つで約三万。恐ろしい。
それでも、短い間でリンには色々と迷惑や心配をかける事も多く、そんな彼女は今、幸せそうに表情を綻ばせている。
(……まあいいか)
そんな風に思えるくらいには、リンが喜んでくれる事に満足し、そしてそんな自分に少なからず将真は驚いていた。
ところで、この世界は魔法と科学が上手く融合しているため、恐ろしく進んだ技術があったりもする。
例えば、魔術師ならば学生だろうと例外なく埋め込まれる超高性能マイクロチップ。
これは、端末やパソコンがなくても通信や調べ物まで可能で、更に〈裏世界〉では主流となっている電子マネーでの支払いが、手を翳すだけで出来てしまう優れものだ。〈表世界〉で言うGPSのような効果もあるらしい。
そのマイクロチップだが、魔力に反応するようにできているから、一般人では使えないそうだ。将真も来たばかりの頃に実は埋め込まれたのだ。
そんな訳で、将真がまとめて支払いをしようとしたのだが、慌てたようにリンがその手を止める。
「えっ、ちょ、待ってよ将真くん」
「どうかしたか?」
「ボクも払うよ! ボクが一番食べたんだし……」
「いや、普段ならともかく、今回は埋め合わせできてるんだぞ。気にすんなよ」
別に、男が奢るべきだとは将真は考えてはいないが、今日は話が別だ。ここで払わせたら、何のための埋め合わせか。
それに、確かに大した額になりはしたが、恐らく柚葉からの入学祝いか何かだろう。初めから百万くらい入っていたから、すぐにお金に困るようなことも無い。〈表世界〉で余ってた分もある。
任務達成分がなくても相当な額だ。
「うー、わかった。お願いします……」
「何でそんな不服そうなんだよ……」
将真が埋め合わせの事を考えているのは分かっているので、観念して奢られる事にするリン。
ちなみに莉緒の分も将真が支払った。莉緒の用事よりも先に、リンに対する埋め合わせに付き合わせてしまったのだから、これくらいはどうということも無い。
その後向かったのは薬屋。
虎生との試合の時は普通の包帯を使ったが、昨日の将真は黒い包帯が巻かれていた。
凄まじい厨二病感を醸し出すその包帯は、どうやら治癒促進の効果が付与された特別性なんだそうだ。
だが、持続する効力というものがある。時間が過ぎればただの包帯だ。
それ以外にも、昨日の任務で怪我を負った事を踏まえて、備えとなる傷薬や救急セットなどを購入していく。
そしてそれ以外に、外での任務を行う魔術師にとっての必需品。
「……本当に売ってんのか、この薬」
魔術師は生徒も自警団員も関係なく、街の外へ出る時に定期的に飲まなければならない薬がある。任務に行く前に将真たちも服用を義務付けられていた。
街の外というのは恐ろしく濃密な魔力が漂っているらしい。
魔術師ですら何の対策もなく外に出ると、一時間と持たずに死に至るという、猛毒と言っても過言ではない程の濃度。
魔科学薬物と名づけられているそれは、そんな有害な魔力から魔術師を守る薬なのだそうだ。
必要なのだから仕方がないが、購入した物はどれもこれも値が張っていた。
「……金の使い方間違えると、あんだけ貰ってもすぐ無くなりそうだな」
「そうなんスよねー。それじゃあ、早速リンさんが贔屓にしてるところに向かいましょう」
南区で店を回っていた三人が東区に足を向けた頃には、もう昼時を過ぎていた。
「__すいませーん、親方いらっしゃいますかー?」
工房、と呼ぶべきその場所に辿り着くと、慣れたように扉を開けたリンがそんな風に呼びかける。
鬼塚工房という看板の掲げられたその店は、周りの近代的な工場等が多い中で、昔ながらの雰囲気を残していた。
中からは熱気が漂い、金属同士の接触音が何度も聞こえてくる。
「__お前か、時雨の」
(で、でけぇ……)
そんな中現れたのは中年の男性だ。
厳しい仏頂面で、響弥よりも体格がいい。職人気質な雰囲気の人物だ。
そして彼を見た莉緒が、驚いたように目を見開く。
「……貴方が親方? 鬼塚工房って事は……」
「鬼塚鉄心だ。心当たりあるみたいだな」
「……ええ、そうッスね」
莉緒の反応を見る限りでは、知り合いではないが知っている、というような感じだ。
「……確か二十年前くらい前。当時の学園序列四位にいた、紛れもない猛者ッス。そんでちょっとした有名人だったんスけど……、まさか鍛冶師になってるとは」
「よく知ってるじゃないか。とは言え、歴代でも最も化物揃いなんて言われてるお前たちからそんなふうに言われるのは、違和感があるな」
厳しい表情のまま鉄心はそう言うが、時代がいつだろうと学園序列でそれだけ優秀な成績を残していたのならば、今でも十分戦えるのではないか。
その凄さは、将真でも分かる。
「それで、今日は何の用だ? 友人引き連れてきて武器のメンテって訳じゃあないだろ」
「あ、はい。彼は片桐将真って言うんですけど」
「……どうも」
「……片桐? もしやあのじゃじゃ馬娘の……、弟か? 姉と違い、随分と落ち着いてるな」
「そうですかね」
色んなところで有名だなあの姉は、と思いながら、遠い目をする将真。
その目の原因は姉だけでなく、落ち着いているという評価もそうだ。
落ち着いているように見えるのは、繰り返し自信を完膚無きまでに叩き潰されているからだと、そう自分で思ってしまうとどうしても気持ちが落ち込んでしまうのだ。
ちなみに、後に知ることになるが、彼は嘗て柚葉の教師をしていた事もあるそうだ。知っている訳だ。
将真の暗い様子に気がついたのか、リンが慌てて話を進める。
「あの、えっと、それでですね。まだ魔力制御が甘くて、強い力を使おうとすると負担が大きいみたいなんです」
「……つまり負荷を減らす魔道具が欲しいと」
「そんなところです。……ありますか?」
「無くはない。だが、時雨のの紹介だしな。せっかくだし改めて作ってみるか。……おい坊主、手を出せ」
「坊主……、いや、なんでもないです」
彼からしてみれば将真が子供であることは事実だ。抗議しても意味が無い。
大人しく指示通りに手を差し出す将真。その手を鉄心は躊躇いなく握るが、もちろん握手のためではなく。
「……じっとしてろよ」
「何をするつもりで……、グギィッ!?」
疑問を浮かべたその瞬間、握られた手から異様な感覚が発生し、思わず変な声を上げながら将真は仰け反る。
慌てて手を離すが、鉄心はそれに構わず、握っていた手を訝しげに見つめていた。
「……なんだお前、随分キモい体してるな」
「何を言い出すかと思えば失礼だな!」
「お、落ち着いて将真くん。……それで、何がわかったんですか?」
「いや、流し込んだはずの魔力が帰ってこない。魔力が使えてたって言うなら、魔力詰まりって事はないだろうが、俺では原因がわからなんな……」
ブツブツと呟きながら、難しい顔で頭を悩ませる鉄心。少しすると、彼はため息と共に体の力を抜いた。
「改めて作ろうと思ったが、これは俺の手には負えんな。汎用性の高いものなら置いてあるから、それで良ければ買っていけ」
そう言われて提示されたのは、軽量の篭手だ。
果たしてこれが、どれほどの効果を齎してくれるかは分からなかったが、リンの友人だからと支払いは効果が確認出来たらでいいと言われた。
飛んだ太っ腹である。
将真の腕が治り、何度か任務に出たことで効果が少なからず確認出来たあとは、きちんと支払いを終えた。そしてついでに、一瞬で使い物にならなくなった篭手の追加購入を。
将真のあの攻撃は、結局防具だけでは目に見えるほどの負担軽減は望めない。
やはり改めて基礎から叩き上げなければいけない、と三人は理解させられるのであった。