逃亡の国のアリス
名前が分かってしまいました。
さて、
城の中は緩やかな氷河みたいで、その静けさが返って恐ろしかった。だけども、もう僕はこの世界に止まらない決断をしたんだ。氷のようにツルピカに滑る床を登山家のように歩く。
「女王様、手紙を抱えて泣き崩れてたんだ。それでようやく泣きつかれて眠ってくれたよ、、。」
廊下に声がして、はっと魂が飛び出るのを慌てて拾う。どうやら、休憩室で花札の女中たちが駄弁っていたようだ。
「そうかい、そうかい、それは大変だったね。」
あの手紙は女王の寝室にあるんだ。俺は急いでそこへ向かう。城の構造なんて分からないはずなのに俺は廊下を迷わず進んだ。今の僕は自分の靴音でさえも操れるようなそんな心強い気分だった。
(女王の寝室はこの廊下を左に曲がって、3つ目の扉だ!)そう思えて仕方なかった。
左に曲がり、1 2 3番目の扉が僕を迎える。さすがにこの扉の向こうに女王がいると思うと緊張して靴音を立ててしまった。もしかしたら、女王はまだ起きているかもしれない。泣く声は聞こえないが、読書でもしているかもしれないと余計なことを考える。
(大丈夫、きっと、ここは僕の創った世界なんだ!)
ーキーン……
女王は寝ていた。それも寝息をたてながらぐっすりと。寝顔は僕のかあさんのそれと全く同じだった。だから、自然と僕を終身刑にしたような人には見えず、怖さは少しずつ安らぎへと変わっていく。
それでも、僕はこの世界から出るためにあの手紙を取り返す必要がある。手紙は眠っている女王の手に握られていた。
ーコトコトコトコト
そおぅっと近づく。
ーすぅーすぅー
もはや自分の息しか聞こえない。
手紙に僕の手が触れた。あとはこの手紙をそうっと力の抜けた女王の手から取り出すだけであった。
「絶対に元の世界には帰さないわ、、、。」
(起きた!?)
女王の寝言は死ぬほど大きかった。これは僕のかあさんとは大違いだった。かあさんは寝言を言っている所を一度も見たことがない。眠りが浅いんだ。むしろ、寝言を言っていたのはとうさんだった。だから、これはやっぱり花札の女王なんだと名残惜しさは消え去った。はずだったのに。
女王の寝室にはいっぱいの家族写真があった。それも僕たちが実際に撮った思い出の家族写真だ。
あれは京都だ。あれは沖縄。あれは近くの公園での花見。あれは...。全部を覚えていて、全部が昨日起きた出来事みたいだ。
この人は花札の女王なのか、それとも僕のかあさんなのか。気の迷いが次第に指先に行き、僕は手紙を落とした。
ー
どんな音がしたかも分からないほど些細な音だった。拾い上げて立ち上がるときの骨の動く音の方が大きいほどだ。それが音を出していたのに気がついたのは、女王が目を覚ましてしまったからだった。
「あなた、ここで何をしているの!?」
僕の足はすぐに逃げる準備をした。女王が命令を下す前に。
「もしかして、その手紙、、、。」
ドアの前すれすれの所まで来て、もうすぐこの部屋から出られるところだった。
「その手紙を帰しなさい!!!!」
足がピタリと止まった。女王の命令だ。逆らうことが出来ない。もしかしたら、僕がこの家族写真を見たせいで、いやもっと前に女王の顔がかあさんとそっくりな時点で、命令にしたがっていれば居心地がいいことに甘えていたのかもしない。それを自分の身体が言うことを聞かないと言い訳していたんだ。
(動け!!)
足の小指の先まで動かない。女王はまた一歩近づく。
(動け!!ここにずっと居ていいのか!?)
足の親指の爪が少し動いた気がした。女王はまた一歩近づく。
「僕はもとの世界に帰りたいんだ!!!!」
叫ぶと同時に足がドアの方に向かって、ぶつかりそうになった。そして、僕は勢いよくドアを開ける。
「どうして!?」と後ろで女王が嘆く声が聞こえる。しかし、僕はもう二度と後ろを振り返らない。さようなら、花札の女王。さようなら、かあさん。
「逃亡者を捕まえなさい!!!!」
僕は一目散で走った。城の中はわざと通せん坊しているみたいに入り組んでいて、兵士たちは蟻のように多かった。けれど、僕はもう止まらなかった。太陽を追いかけるみたいに速かったんだ。
「捕まえろ!!!!」と兵士たちの声が聞こえてくる。それはお城の外に出て、森に入ってもずうとだった。ようやく森の茂みに隠れた時に僕は持っていた手紙の重さに気がついた。
(これを読んだら出られる、)
(僕の本当の名前、、、、。)
僕は走って溜めた唾を全て飲み込んだ。手紙をゆっくりと開く。
~名もない少年アリスへ
あなたの創った世界はどうですか。楽しんでいますか。きっと、おかしな人が沢山出てきて困惑してしまっているのではないでしょうか。でも、懐かしくも感じているはずです。
あなたがもしもこの世界から帰る決意が出来た時この手紙の先を最後まで読んでみてください。そこにはあなたが帰る方法が書かれています。
あなたの本当の名前は有栖川るい
祖母より
ああ、そういうことか。そういうことだったのか。僕の名前は有栖川るいだ。るいだ。みんなが僕の名前を呼ぶ声が月の方から聞こえる。僕はようやく全てを思い出した。
僕がここに来た理由を。