23.どれだけ窮せど、幾らでも
白露は、骨が分かれたかのように痛む胸元を抑えながら、息を荒く立ち上がる。
目の前に見えるのは、倒れた日加の姿であった。
その上には、動かなくなった日加を見下す土岐に。その傍らで、泣き声をあげる加夜の姿があった。
「畜生…!」
思わず、白露の口から悔しさが出る。
件の元凶である土岐は、そのままゆっくりと加夜に振り向くと、ゆっくりと近づき始めた。
その目は、加夜の首元を狙っていた。
「やめろ!!」
これ以上、犠牲を増やしてたまるか。白露は急ぎ駆け出す。
走り出した途端、全身の骨が軋み、激痛が走った。
「っ!!」
思わず、痛みにまた倒れこみそうになるが、足を踏ん張らせて、止まらず駆ける。
「君、何度か目にもとまらぬ速さを見せていたが、だいぶ体に負担を掛けるみたいだね? ざっと見て、短期間では3,4回ぐらいが限界か?」
図星だった。
白露は、確かに突発的な力であるのなら、ビルの壁から反対のビルの壁へ、室内なら床から天井、また天井は。驚異的なバネをもってして、敵の目を盗み、瞬発的に敵を討つことができた。
しかし、そのパワーに、人狼である自分の肉体が、ついていけない。
短期間で回数を重ねれば、肉体が壊れ、無力化してしまうほどであった。
だが、例えそうだとしても今は関係ない。
何としても、目の前でこれ以上の犠牲を出させはしない。
白露は、ふらつく体を振り絞り、目の前へ向かって走り続ける。
「通り水」
土岐は、再び嫌な笑みを浮かべて、手のひらから真っ黒な水を大量に沸かし、地にぶちまけた。
それらの黒い水は、太い蛇のようになって、何度も形を崩しながら白露に向かって飛び込んでいく。
『落ち着け、冷静になれ、白露。ここで相手のペースのままに自分が捕まってしまえば。もう、後がない』
白露は息を落ち着かせ、目の前の脅威をまっすぐとらえる。
なんとしても、これ以上目の前で、誰かを犠牲にさせないんだ。
「すぅっ……」
「ん…?」
白露は深く息を吸い、目に青白い炎を宿した。
次の瞬間、白露の視界が、暗い紺色の世界に変わった。
「妖視」
白紙族の隠れ家跡でも使った、気の観察術だ。
本来、使い残された気の跡を追う探索術のものだが、相手が、妖力や神力の塊だとすれば。
「!」
見えた。
紺色の世界の中、うねり自分に迫る黒い水の影が、青白く、さらにくっきりと見えた。
白露に向かって、ヘビは跳ぶ。白露は自分にそれが巻き付くよりも先に、ひらりと交わした。
次。着地した足元に、床から青い炎が染み出てくるのが目に見えた。
「っ! てやぁっ!!」
跳んだ。白露はその場から高く跳ぶ。
その直後、白露が居た足元から、黒い水が噴き出し、まるで地面に縛り付ける予定だったかのように、とぐろを巻き、からぶった。
「なっ!? まだ見えていなかったものを、避けた!?」
驚く土岐。
そこに、白露が体をひねり回転しながら飛び込んでいく。
「てやぁああああぁぁっっ!!」
白露が、落下の勢いと回転を合わせた、回し蹴りを土岐に叩き込む。
土岐はすかさず、両手をかざし。思述壁で攻撃を防いだ。
「その瞬間を待ってた!」
「なっ!?」
白露は、思述壁を踏み場にして、壁の上に着地して衝撃をころし、すぐに地面に着地する。
「加夜!」
そして、倒れている日加を担ぎ、加夜の襟首の後ろ側を掴むと、土岐から距離を取った。
「ひゃっ!? あ、ありがとう。人狼のお兄ちゃん」
「ふぅ、良かった。間に合った……」
白露は、震えながらも謝る加夜の頭を、ぽんと手を置き撫でた。
「くっ。ほんと、生身でややこしい動きばっかりするな、君は…」
「はぁ……どうだ、この野郎。取り返してやったぞ。数えきれんぐらいの妖怪の力使える自分なら、無敵だとでも思ったか?」
「ふふっ、あはは、あっはっはっは! いまだ変わらず、負け戦をしている身で、一つ上手取れたからって、何を言ってるんだ!」
土岐の高笑いが空間内に響き渡る。
確かに、現状を見れば変わらず、土岐の方が優勢だ。だがしかし、白露は土岐の表情に青筋が走っているのが見て取れた。
どうやら、目の前のこの男は、力に溺れるあまり、プライドが高すぎるらしい。たった一つ、上手を取られただけで、この怒りようだ。
もしかすると、自分よりも何段も上のこの敵を討つとするならば、ここがねらい目かもしれない。
「ほんと馬鹿な奴らだ。よえぇ癖に引きもしねえで、本当に引くべきだと思える頃には、もう私から、逃げる余裕すらない!!」
土岐は力強く、白露と加夜を指さす。それに驚いた加夜は、びくっと体を跳ね上がらせると頭を押さえてうずくまってしまった。
白露は、その小さな体を抱き包みながら、土岐を睨み続ける。
「ならば、これで貴様らを廃人どころか、からっからのミイラに変えてやる」
手から大量の通り水を沸かし、それを大きく振りかぶる。
「くたばれえぇぇええ!!!」
そして、土岐は思いっきり振りかぶり、大量の通り水を白露達に発射した。
白露は、動けない3人を急ぎ抱きかかえ、走ろうとする。
「! ……?」
間に合わない。
……そう思ったが、次に来る、自分を飲み込む沼の感覚は来なかった。
「あ!?」
土岐からも、困惑の声があがる。
白露がゆっくり目の前を見てみれば、あたり一帯に、灰色の霧のようなものが漂っている。そして、今まさに白露達を飲み込もうとしていた通り水は、その全体を灰色に変色させゆっくりと砂になって崩れていっていた。
「これは!?」
「精霊風呪術、魔風」
静かに、凛とした女性の声が、空間内に響き渡った。
「何が何でも戦うっていうその気持ち。馬鹿らしくて、それで面白いわ」
灰色化し、崩れて砂埃をあげる通り水。
砂埃が晴れると、その中心に、精霊風の築炉が立っていた。
「! 築炉!!」
静かな顔持ちをした築炉は、自分の手の内で灰になって崩れていくメモ帳とペンを見届けると。ゆっくりと白露に顔を向けた。




