7・わたし島をゆく(1)
そんなに長くもない、平和な日常編が始まります。
そして、〇十年後。
『おばーちゃん、ミユキおばーちゃーん。ニホンのお話してー』
孫たちの声で目が覚めた。縁側で、日向ぼっこで、少しウトウトしていた。
十二をかしらに七人の孫。男の子が三人に女の子が四人。みな褐色の肌で、わたしが慣れるのに時間がかかった短い腰布を巻いて。目をキラキラさせ、仔犬のようにまとわりついてくる。
一番のおチビさんをひざにのせてやって、わたしは微笑んだ。
『なぁに、またなのかい? おばあちゃん、もうニホンのことはぜんぶ話しちゃったわよ』
『えー。なんでもいいから話してよー、おーねーがーいー』
『そうねえ……』
今は遠いふるさと、人生のごく初めのころ数年だけ過ごした、あの懐かしい場所。
いろんな魚の名が漢字で書かれた大ぶりの湯飲みから、お茶を一口すすって……霞の向こうに消えゆきつつある思い出をたぐりよせ……そうね、今日は子供たちの大好きな、ニンジャとVチューバーの話をしてあげようかしら……
「わあああああ!!」
「うおっ。なんだなんだ」
跳ね起きたらまだ真夜中でした。小さな灯し火だけがゆらめく闇の中、驚いたカイが、猫みたいな半身で固まってました。
*
「カイ。すこしお散歩したいんですけど、つきあってもらえませんか?」
夢見は悪くとも朝は来ます。
あくる朝。わたしは、寝ずの番を終えて帰ろうとするカイを引きとめました。
「ていうか、村を案内してくれたらうれしいなって」
「……すまない、今日はもう家でやすみたい。ベルに頼んでくれ」
ずいぶんおねむみたい、大きな目をシパシパさせるカイ。うーん、これは無理言えないかな。
髪に花飾りの少女、ベルが、横から抱きつくようにわたしの腕をからめとって、
「まっかせてミユキ、つきあい悪い誰かさんはほっといてあたしと行こう。島のことなーんでも、虚実ないまぜに教えてあげるー」
ないまぜに。
カイが低くうめきました。
「……仕方ない。私が行く」
*
「さ。まずここが、村の真ん中の広場。なにかの時の集会所でもある」
家を出るなりガイドが始まりました。さすがカイ、やるならキッチリやるつもりです。
百メートル四方ほどの、よく均された土の広場。おとといの夜はここで大宴会でした。醜態をさらしました。記憶から消したい。
まあ、特に変わったとこもないただの広場で。特筆すべきといえば、その中央に、木組みの檀が据えられているくらい。
その檀の上に、Y字型の太い杭が突き出ています。高さは三メートルはありそう。
ならんで歩きながら訊ねました。
「カイ、あれは?」
「あれは刑台だ」
「けいだい?」
「ああ。つまり、処刑台だな」
ぴた。
「こんなのんびりした村にも掟はある。あんたには『法』って言ったほうがいいか。掟破りを命で贖わせるとき、首をくくってあの杭につるすのさ。
ただまあ、物心ついてから処刑なんて……っておいミユキ!」
ずいぶん遠ざかったカイが、ようやく気付いて戻ってきました。
「なに止まってるんだ。村を見たいんだろ」
「い、いえその。やっぱ明日にしようかな、あはは」
ジリジリ後ずさるわたしに、カイ、両てのひらを下に向けて『落ち着け』のサイン。
「最後まで聞けって。私が物心ついてから、処刑なんていっぺんもない。いや、昔話にさえめったに聞かない。野蛮人じゃないんだ、ホイホイ吊ったりしないさ」
あらためて、並んで歩きだします。早朝、不思議なくらい人のいない村の広場。みんなとっくに、それぞれの仕事に散っているのでしょう。
「……ところで、掟ってどんな?」
「まあ、分かりやすいとこでは、人を殺すなとか、子供に手を出すなとか、島を抜けるなとか。
あとは、何ていうか、理屈じゃないのもある。山は女人禁制とか、みだりに神域に踏み入るなとか、山仕事をする男は妊婦に触れるなとか。あとでざっと教える」
「……年齢詐称は?」
「くはは、どうかな。一応、里の利益に反してはいるな。
にしても驚いたよ、あんたが自分から、島を案内してほしいだなんて。てっきり迎えが来るまで閉じこもって暮らすのかと……」
そこまで言って、カイがまた戻ってきました。
「悪かった今のは冗談だ! 村一周に三年かける気かよ、いいからついて来いって」
*
「まずはここがタロの畑だ。あんた、タロの正体を知りたがってたろ」
一番に案内されたのは、畑というか、水田。山に迫る黒土の斜面に作られた、いわゆる棚田。
全部の田んぼに、きれいな水がたっぷり張られています。水面から、数十センチおきに緑の太い茎が束になって伸び、それぞれのてっぺんに大きな葉を開いてます。水源は……山の上の方から、小川がひとすじ流れこんでました。
「おーミユーキ、みに、きた? タロ、もってく、いい」
「あ、あ、ありがとうございます」
働いてた、なぜかサングラスのおじさんに、お土産をいただいてしまいました。
初めて実物を見るタロは、茶色くてほんのり横縞の肌を持つ、里芋を大きく長くしたようなお芋。
「茎も葉も干して食う。いい作物だ。さて」
さっさと次に行こうとするカイに、わたしはあわてて、
「あの! こ、これどうしましょう」
「持ってればいい」
一日中?
*
今度は一転、海に来ました。
村の共有財産なので、カヌーを使うには、漁の長なる人の許可がいるそうです。
あの大きな魚を獲ってくれた、左人差し指の欠けたおじさん。
「いいいい、好きに使ういい。カイ、女の子の中じゃ、一番うまい。ミユキ、安心」
おじさんは快諾してくれました。
カイの操るカヌーで、島の東側に回り込みます。
百メートルほど離れた先で、漁の真っ最中でした。わたしたちのより大きな、双胴のカヌーが四艘。それぞれに、老若取りまぜて五人ずつ、男の人が乗ってます。
島の西側はだいぶん遠浅の砂浜ですが、こっちはわりと水深も、波のうねりもあるみたい。そこに打った大きな網を、皆で引き揚げてるところ。
「おおー」
思わず声が出ました。
空も海も、底抜けの青。その青と青のはざまで、筋骨たくましい漁師たちが、褐色の肌を汗で光らせながら網をたぐっていきます。皆で声を合わせて、一手ずつ、慎重に確実に。そのたびに、肩や腕の筋肉がグイッと盛り上がり、また深くくぼみます。
やがて上がってきた網には、カヌーに積みきれないほど……じゃないけど、たくさんの魚が入ってました。
多くは、テレビでよく見る、赤や黄色や青のいわゆる熱帯魚。おちょぼ口で縦にひらたくて、大きな群れを作っては海の中をひらひら泳ぎ回ってるあれです。
一瞬、あれ食べるのかなと思いはしましたが、そういやおとといの宴会にも出てきたような。ええ、もちろん貴重なたんぱく源なのでしょう。
ほかにも、たぶんアジとかイワシとか、銀色の、わたしにもわかりやすいお魚たち。ちいさなタコが数匹に、座布団くらいのエイが一匹(これは網から外さないうちに、一人が棒きれて殴ってしとめました。痛っ)。
獲物をすべて舟底に放り込み、網を回収してしまうと、彼らは初めて白い歯を見せて笑いました。
わたしもようやく、知らず握ってたこぶしを解いて、ほっとひと息。
カイがまぶしそうに目を細めて、
「土に限りあり、水と風に限りなし。島じゃそう言うのさ」
「水と風に限りなし……?」
「ま、例えばタロだって、いっぺん収穫すれば次が育つのに時間がかかるだろ。グアノ……肥やしをまかなきゃ、土もやせてくばかりだし。
その点、舟を出せば、海のゴキゲンが悪くない限り毎日何かしらは獲れる。ここの暮らしは海で立ってる、そんな感じだ」
なるほど、わかる気もします。風について説明なかったけど。
「ねえカイ。あのカヌーはやっぱり、一家で乗り込むんですか?」
「いや、舟にはバラバラの家族同士で乗る」
「どうして?」
「家族で乗ると、沈んだときに一家の働き手が全滅するからだ」
お、おう、なるほど。いきなりハード。
けど、少なくとも今日は、その心配はなさそう。家族でなくてもみんな息がピッタリ、圧倒されました。すごい。
漁師さんたちも、こちらに気付いてはいたみたい。何人かが、笑顔で手を振っています。
「行ってみるか?」
「はい!」
カイの誘いに、わたしは珍しく即答しました。
*
結果、おみやげにタコをいただいてしまいました。生の。
漁師さんたちと別れて。タロのほかにタコの入ったつる草編みの籠を持って、いえ正直持て余して、ややテンション低目のわたしたち。
「……どうしてこんなことになったんでしょう」
「仕方ないだろ、断り切れなかったんだ」
「これからもあちこち回るから、生ものはちょっとって言えば……」
「言ったさ。言った結果がこれだ。魚はすぐ傷むが、こいつは籠の中で長く生きるからな」
思えば、予想しうる展開ではありました。田んぼでタロをもらったなら、海ではタコをもらっても不思議じゃない。海にはタロがなく、タコがいるからです。
誰が見てるでもないのに、カヌーの上、身を寄せて声を低くするカイ。
「……どうするこれ。こっそり逃がしてやるか?」
「……でも、せっかくのいただきものを、悪い気もしますし……」
むうとうなって、腕組みして。
やがてカイが決断しました。
「よし。ベルのやつに押しつけよう」
後編すぐ続きます。




