21・決断(2)
「え?」
よほど驚いたのか、構えた弓を揺らすトーニ少年。いいですね、いい反応。さらにたたみかけていく!
「トーニくん、一緒に逃げませんか。
掟とやらに従って好きな子を撃つくらいなら、逃げちゃったらどうですかこんな島」
やはり意表を突かれてポカンとしてるカイにも、ポカンとしてるうちに言い含めます。復活のセールスレディスマイルで。
「あのね。この件でわたし、優先順位を決めてるんです。
自分が日本に帰るのは、二番目。
一番は、ケガ人死人を出さないこと。
トーニくんはもう、あなたが島を抜ける気って知ってます。なら、誰も傷つかないためには彼を巻きこむしかない。でしょ?」
場がシンとして。
やがて少年の、うなるような声。
「勝手なこと言うな、よそ者。俺は次の山長だ。義務を捨てて行けはしない」
「あなたが逃げても、ごめんね、他の人が代わってくれますよ。
誰かがいなきゃ回らない仕事なんてほとんど無い、母が言ってました。だから、本当にかけがえのないものを優先しろって」
「お前ら日本人が、おれたちの何を知ってる!
……いやそもそも、こんな議論に意味がない。三人で逃げる? そこから不可能だ」
「……どーしてでしょう。ワンチャンないですかね」
「足が遅い、布をかぶってすら肌の色が目立つ。お前が足手まといだよ、よそ者。
この闇の中、三百歩離れてもなお、追跡はたやすかったぞ。その生っ白い足を目当てにな」
さっき、カイに手を引かれてなんとかついてったのを思い出します。そういえば別のどなたかにも声かけられました。トーニくんの言うこと、ウソや脅しじゃない。
それなら――
「次善策もあります。わた、ゴホン失礼」
声が震えたのを、咳払いひとつでごまかしました。
次善ってか、ある意味最後の手。
「わた、し、島に残ります。
あなたたち二人、でなきゃカイだけでも逃げてください」
*
「おいミユキ!! なに言ってんだあんたは!?」
カイ、怒ってくれました。
ね。何言ってんですかねわたしアハハ。でも今さら引っ込みもつかないし。
「落ち着いて聞いて。くりかえすけど、優先順位ですよ。
自分が日本に帰るのは二番目。一番は、誰も傷つかないこと。
トーニくんの、狩人としての判断がそれなら、わたしは残ります。
もちろん、首尾よく外に出られたら、わたしのこと誰かに伝えてくださいね」
しばらく誰も口をききませんでした。
やがてカイの、苦しそうな声。
「……忘れたか。あんた、十七だってバレてるんだ。
私やトーニが急に消えたら、長老は、あんたが無関係だとは決して思わないだろう。
それこそ明日の身も知れなくなるぞ」
ですよね。うう胃ぃ痛い吐きそう。でも微笑みだけは絶やしません。
「なるべーく大人しくしてますよ、周りを刺激しないよう。で助けを待ちます。
まーなんなら最悪、子供の二、三人も産んだろうじゃないですか。死人が出るよりマシってやつです」
そして、言葉を失くして口だけパクパクさせるカイを、あやすように抱きしめました。
背中を手のひらでポン、ポン、たたいて。短い髪をサラサラなでて、ほっぺとほっぺくっつけて。祖父の家で飼ってた猫たちをなんとなく思い出しながら、なつかしみながら。
「長老の言うとおり、わたし、この島がなければ生きてませんでした。
そのわたしのせいで別の誰かが傷ついちゃ、厄病神すぎて寝覚め悪いじゃないですか。
ましてや、十五の男の子が好きな女の子を撃つなんてあっちゃいけない。絶対に」
「ミユ、キ……」
どのくらい、時間がたったんでしょうか。
「おい、よそ者」
やや存在を忘れてた(ごめんなさい)トーニくんの声、横合いから。
「仮に島を出られたとして、その先どうする。どうやって別の土地を目指すんだ」
あっはい、そこは大事ですよね。
「これスマホっていうんですけど、世界中どこにいても、現在位置が分かる仕掛けになってるんです。地図も出ます……ホラこの通り。
ちょっと説明すればあなたたちにも使えると思います。カイを、あなたも、海の上で干からびさせたりはしません」
まったくもって、現代文明と、旅行前にナビアプリをインストールした自分をほめてあげたい。『あんたは迷子になるんだから』との母の警告、当時はカチンと来たけど、今となっては感謝したい。
「……優先順位、とか言ったな。一、二は聞かせてもらった」
「はい」
「それ以降はあるのか?」
ああ、はい。
「三、できれば長老は一発殴る、以上です」
拳を突き出したら、少年は意外にも大笑い。目のはしに涙を浮かべて、弓を下ろして。
「カイ、カヌーはどこだ?」
一瞬間を置いたけど、カイはたぶん正直に答えました。
「すぐそこ、プアアの入り江だ。マングローブの森に隠してある」
少年はうなずいて、
「バカなよそ者。おれが、山長の息子が島を出るはずあるか。
……が、時間をとらせた埋め合わせはしよう。
今夜を逃せば、明日からはもっと警戒が厳しくなる。行くなら今すぐがいい」
そしてさっさときびすを返しました。
「浜にはもう人手が廻ってる。足手まといを連れていくなら、山の中を迂回するしかあるまい。おれが先導する」
(幕間15)
『島抜けは許さん。よそ者の娘はともかく、カイはきっと捕えます』
それだけ言い残して、山長は闇のむこうへ消えてった。岩がしゃべったような、太くて重い声だった。
『やれやれ、頭の固い男だ』
見送って、あきれ笑いのじいちゃん。
疑うわけじゃないけど。あたしは一応訊いてみた。
『……うまく行ってるんだよね?』
『まあな。ちっと誤算もあったが』
誤算? ちょっとちょっと、気になるんだけど。
でも、長話で時をムダにはできなかった。じいちゃんが、しわしわの手であたしの背を叩いたからだ。
『さ、わしも行かねばならん。
ベルよ、おまえも一仕事だな。せいぜい人数を集めてくれよ』
『……。あのさ、じいちゃん』
『ほい? 何だね』
時間をムダにはできないけど。
これだけはってこと、いっこ訊いた。
『……大人になったら、いつもこんな風に、やらなきゃならないの?
こういう……やりたくないこと、さ』
向けられた笑顔、優しくて、少しさみしそうで。
あたしは突然、ほんのこのひと月ほどで、じいちゃんが急に老け込んだのに気づいた。
『まさにそうだよ、かしこいベル。大人になるとは、したくないことをしながら生きることだ』




