3・カイ
三日目、四日目ともなると、体はメキメキ回復してきました。むち打ちをやった首も、だいぶ痛みが引いて一安心。
この暮らしにもほぼ慣れました。
ごはんと水はベルたちが運んできてくれます。水瓶はふたつ、飲み水と、体を拭いたり掃除洗濯に使う、すこし濁って泡が浮いたもの。
「ねえベル、この泡立ってる方の水ってなんですか?」
「豆をもんだ汁と木の灰を溶いてあるの。飲んじゃダメよ」
「灰……」
いえいえ、なんでもありがたいことです。なにしろ南国、汗はかくし、ちょっと油断するとそこら中砂でザラザラになるので。
最初はありえないと思った、ベルたちと同じいでたちにもまあ慣れた。あきらめがついたというか。そうこれは水着、ここは南国のビーチ、ビーチで水着のなにが悪い。どうせほかに人目もないし。
夕暮れ、あかあかと燃え落ちる陽を眺めながら、水に浸した海綿で汗をぬぐい、み・ず・ぎ・をあらためます。着てたやつはじゃぶじゃぶ洗って陰干し。とてもさっぱりいい気分、大丈夫わたし生きてる。
「どうミユキ、なにか問題はない? なんでも聞くだけ聞くよー」
ベルも言ってくれます。うん、聞いてみてくれるだけでもうれしい。大丈夫わたし前向き。
問題、あるとすれば、夜が退屈なこと。気づまりというか。
夜、カイなる少女はいつも小屋の外に座ってます。焚火から少し離れ、こちらに背を向けて。たまにチラッと振りむくのも、病人のようすを見てるだけのよう。
つまり、出会って以来、ひとことも口をきかないのでした。
最初はそれでよかった。なにしろ、自分が半死半生で眠り通しだったから。
けど体力が戻り、昼はベルとおしゃべり&食っちゃ寝だと、夜も寝つけなくなるのは当然で。
わたしは、来ない相手にガンガン行けるタイプではありません。向こうからガンガン来られるのも困るけど。
それでも、ちょっとくらいはお話したい。
五日目の朝、ベルに相談してみました。
「ね、あの、カイって子のことなんですけど」
「ほい、どったの? もう仲良くなった?」
「いやその、なんていうか……」
「あ。ひょっとしてあいつ、しゃべりすぎてうるさい? あたし注意してあげよっか?」
しゃべりすぎ? うるさい?
意外すぎる人物評に混乱して。
わたしはようやく、穏当な可能性に思い当たりました。
「もしかして彼女、英語が苦手だったり……?」
「あいつ島で一番しゃべれるよ。だから、あたしともども看病役に選ばれたんだし」
*
その夜。
薄い掛け布を肩からかぶったまま、寝床を這い出ました。
戸口までにじってゆきます。外は星ひとつない、重い暗闇。
聞こえるのは波の音だけ。見えるのは揺れる焚火の炎、そして、炎のオレンジにふちどられた細いシルエットだけ。今も、わたしに背を向けて座って。
一度、ゴクリつばを呑んで、呼びかけます。
「こんば」
声裏返った。ええいもう一回。
「こんばんは! あの、中に入りませんか。夜風、冷えますし」
無視されたかと思ったころ、返ってきました。流暢な、ぶっきらぼうな英語。
「いい。気にするな」
はい。
完
いやいや完じゃない。根性出せわたし。
「でっでも、そんなとこで寝たら風邪引きますよ」
「寝ない。……寝ずの番が仕事なんだ」
「うう。あの、わたしちょっと退屈で、できたらお話でもって」
「あんたは寝てろよ。死にかけてたんだ」
正論。そしてそっけない。
冷静に判断するに、わたし軽く泣きそうかも。メンタルの弱さには自信ありです。もう一言だけ粘ってみて、ダメなら撤退と決めました。
「……あの、面倒かけてごめんなさい。ありがとうございます」
「だから、仕事だ。礼なら、助けると決めた長老にするといい」
はい撤退、
……しなかったのは、なぜ。
この態度に、温厚なわたしでも多少腹を立てたのか。わかりません。
わからないまま続けました。
「とにかく、そこに居られると落ち着かないんです。こちらへどうぞ」
「構うなっての。夜風も一人も慣れてる」
「カイ、さん。
同い年くらいの子に外で番させて、自分だけグーグー寝られるほど、わたし神経太くないんですけど」
うわやばい、ちょっと言いかたキツかった。ってーか、わりとグーグー寝てたじゃねーかおまえ(自分ツッコ)。
ややあって、いきなり立ち上がる少女。お尻の砂をはたいて振り返ります。
ヤバイヤバイ、怒った!?
けど。彼女はさっさと入ってくると、布にくるまったまま逃げ腰のわたしに構わず、床に腰をおろし長々と脚をのばしました。
あとは沈黙。
招いておいて、なんだか気まずいです。彼女が折れた理由も分からないし、共通の話題を探すのもむずかしそう。
けどやがて、向こうから待望の接触が。枕元の籠を指さして、
「なあ。その薄四角いの、なんなんだ?」
……スマホ?
ベルとの会話でデンワが通じなかったことを思い出し、説明に迷うわたし。
「ええと、いろんなことできるんですけど……どうも、壊れちゃってるみたいで」
「なんだ。そうなのか」
これをきっかけに、会話が続いてくれました。
どこから来たのか、どうして流れ着いたのか。どんなところに住んでたのか。今、外の世界はどうなってるのか。
好奇心の強い子でした。話題探しなんかじゃなく、たくさんのことに興味があり、なんでも知りたい様子。こんな調子で。
「あんたのしゃべりかた面白いな。きれいだけどキンキン硬いし、バカっ丁寧だ」
「そっ、それは単に、キングスイングリッシュだからです。これで育ってきたんだから仕方ないでしょ」
「キングスイングリッシュ? なんだそれ」
「……イギリスって分かります?」
「イギリス人なら昔話にたくさん出てくる。が、そいつらの国は知らない。実際どんなとこなんだ?」
大人びて見えてた顔、くるくる表情が変わって、ときに幼さがにじみ出たりして。たまに口が悪いけど嫌じゃなかった。
「わたし、ミユキって言います。よろしくどうぞ」
「ベルから聞いた。深い、雪の、ミユキだろ。よろしく」
あらためて自己紹介、それから握手。
わたし、この子ともうまくやってゆけるかも。
やがて、話し疲れて、うとうとして……
「×〇△×■×!!!!! 」
突然の叫びに跳ね起きて!!
カイが、獣の速さで外に飛び出してゆくところでした。今の叫びも彼女、たぶん。
やがて戻ってきた少女が白い歯を見せて、
「誰か覗きに来たかと思ったが、海鳥だったよ。バカバカしい」
それから表情を硬くしました。
わたしは……わたしは、掛け布を胸元でかき抱いて、たぶん唇まで真っ青にして、ふるえてました。心臓、バクバク鳴って止まらない。
いきなり知らない言葉でがなり立てられる。経験したことのない怖さでした。
「……。驚かせたな」
そのまま出てゆこうとするカイ。
「待って! ごめんなさい」
とっさに、本当にとっさに、手を取って引きとめました。あとで考えても、自分とは思えない反射速度で。
そのとき、ザッというかドッというか、重い音。雨が降り出したのです。奇跡みたいなタイミング。
大きな雨粒に打たれて、たちまち消える焚火。遠くゴロゴロと、雷の不機嫌そうなうなり声。
カイは……しばらく棒立ちでいましたが、やがて、わたしの手を振りほどきました。
それから、さすがに外には出ず、ゴロリ寝ころんで大あくび。
小屋の隅で、ちいさなお皿の中、油が赤く燃えてる。あとは光ひとつない闇。
その闇の中から、静かな声が。思ったよりずっと優しく。
「ミユキ、心配すんな。
私らは、文明人じゃないが、野蛮人でもないぞ」
泣きそうなのをこらえて、うなずきます。
「うん。……ごめん」
もう怖いとは思いませんでした。
……それから。眠りのまぎわ、こんな会話もしたような。夢だったかもしれないけど。
「カイ。ぶっちゃけ、わたしを避けてました……?」
「……すぐ帰っちまう奴と仲良くしてもしょうがないからな」
「えへへ。すぐ帰れるんだか、どうだか」
「帰れるさ。すぐに」
夢だったかもしれないけど。
今度こそこらえきれずに、涙が一粒こぼれました。
*(幕間3)
あたし、ベルの朝はちかごろ早い。
夜明け前から水と食べものの用意。水はどこでもきれいなのが汲めるけど、ごはん作るのはちょっと手間だ。
けど、ミユキのためなら、そんな手間もイヤじゃなかった。
看病が仕事、それもそうだけど、単純にミユキが気に入ってもいた。
白い肌、細くて柔らかそうな体つき、あたしたちには無いサラサラまっすぐの黒髪。目の大きな、気弱そうな顔。年上だけど守ってあげたくなるのだ。いじめてみたくなるというか。
雨上がり、空は高く明るく澄んでいる。さあカヌーを出そう、今日もミユキにごはん食べさせよう。いっぱいおしゃべりして、話し疲れたらお昼寝して。
あたしは、やりたいことしかしない主義。けど、こんな『仕事』なら悪くない。
『っしゃー、行くかぁ!』
『精がでるのぅ。ベル』
『おわ?』
振り向いたらじいちゃんがいた。
しわしわの、刺青だらけの肌。いつのまにか、あたしより低くなった背。けど腰はまだピンと伸びて、しゃべりかたも歯切れいい。
そして、相変わらず早起きだなあ。あきれながら、おはようを言った。
『おはよう、ベル。
今日はわしも、ミユキに会いに行くよ。長老のお仕事だ』
もうひとりの主人公。




