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17・はじまりのおわり(2)

 それから()()な日々が始まりました。ッシャア。

 朝、夜明けとともに起き出し、まずは念入りにストレッチ。朝ごはんのあとは浅瀬でひと泳ぎふた泳ぎ。昼ごはんの後もやっぱり海に入ります。

 水泳は、ヒマつぶし兼トレーニングとしては優れものでした。考えてみれば、せっかく南の島に来たのに今まで水遊びもしなかったのが不思議。

 相変わらずカヌーがこちらを見張ってますが、なんなら手を振ってみせるくらいの余裕もできました。かえって向こうが目を丸くしてておかしい。フフフフフ。

 ごはん、三度三度きちんといただきます。運動すればおなかもすくってもの。今わたし、人生で一番食べてるかも。オラッシャア。

 夜もぐっすり寝られました。毎晩、眠りにつく前、これからの指針を確認します。カイがやって来た晩、いっぱいいっぱい考えて決めた指針。ものごとの優先順位。

 とりあえず今は待ちです。自力でここを出られない以上しかたない。待てば海路のなんとやら、めげず腐らず待ちましょう。

 もひとつ、とりま決めたこと。

 わたしもう二度と、この件でメソメソしません。


 次にカイが来たのは、大雨の晩でした。


   *


 こないだの嵐ほどじゃないけど、雨風の強い、真っ暗な夜。

 掘っ立て小屋がギシギシ揺れてこわい。雨どころか波しぶきまで吹きこんでくるし。そもそも戸口が広すぎなんです。ああ、カイのあの船、思えばすごく快適だったなあ。

 万一、屋根でも落ちてきたらどうしよう。

「こうかな……?」

 両手をあげて天井を受け止める練習してたら、後ろからいきなり声が。

「ミユキ。なにしてるんだ」

「ひえっ!?」

 振り向いたそこに、暗がりでも見間違えない、細いシルエット。雨に濡れるのもかまわず、双胴のカヌーを浜に引き上げてて。

「ええと……万一天井が落ちてきた時に受け止める練習を……」

「……。あんた、あれだろ、実はアホだろ」

 あきれたようにため息ひとつ。それからカイ、ニヤリ口角を上げてみせました。

「が、調子は戻ったみたいだな」


「今夜は海が荒れてるから、見張りもいないと踏んだんだ。読み通りだった」

 言いながら、壁際、雨を避けてわたしのそばに腰をおろすカイ。金属製の、凸凹だらけの箱(クッキー入れるみたいな)から、ガサガサ紙束を取り出します。

 わたしは、とっさにその手を抑えました。

「待って、先に謝らせて。こないだ、嵐の次の日、ごめんなさい」

 あれだけ親切にしてくれたあなたに、不信の目を向けてしまったこと。

 少年みたいな少女、事情も聞かず、手をヒラヒラ振りました。

「いいさ。今思えば、あの時あんたもう、危険が迫ってるの察してたんだな。

 誰相手でも警戒して当然だ」

 ……はああああああ。たぶん人生一深い安堵のため息。

「よかった。今度ばかりは許してくれないかもって……」

「よせよ。島じゃ、真剣に詫びた相手に、いつまでも怒ってるやつはいない」

「いいなあ。友達にひとりいるんですよ、許すどころか謝らせてもくれないタイプ」

「そいつは厄介だな……」

 ともあれ、話を進めなきゃなりません。夜が明けて風が弱まれば、見張りが戻ってきます。

 さっき箱から出てきた紙束、海図でした。すっかり黄ばんでボロボロだったけど。

 広げて、てきぱき説明を始めるカイ。

「たぶん、このあたりのだと思う。父さんが残したものだ」

 灯り油ひとつ燃えるだけの暗い夜、かすれた文字は読み取れません。が、たしかに、いくつかの島々が描かれていました。

「島のわりと近くにも、(そと)の船は見かける。南十字星を見に行った夜みたいにな。

 なのに島には漂着物が少ない。てことは、よその(おか)は、ふだんの潮の下流にあるんじゃないかと思うんだ。

 西だ。潮に乗っていけば、案外あっさり着けるかもしれない。でなくとも、外の船に見つけてもらえるかも」

 なるほど……。

 でも、まずは確認しなきゃ。優先順位優先順位。

「つまり、島から逃げ出す計画ですよね。カイ、あなた自身はどうするんです……?」

「あんた、一人でカヌーに乗って旅できるか?」

「……できません」

「だろうな。だから、私が船頭やってやる」

 ある意味予想通り。ある意味、恐れていた答えでした。

 島抜けは掟破り。

 里の中央の広場、真ん中に立つ壇と、そこにそびえるY字型の杭が目に浮かびます。処刑台。

 失敗したら、よそ者のわたしはともかく……

「わたし、あなたに危ない目にあってもらいたくは……」

「危ないのはあんただ、ミユキ」

 カイがぐっと目に力こめて、こちらの口を封じました。

「今からカヌーの特訓でもするつもりか。そんな時間はない。

 あんた、十七だって長老にバレてるぞ。ベルのやつが教えてくれた」

「……わかってます。わたしのミスで知られました」

「なら、手段を選んでる場合じゃないのも分かるな?

 言ったろ。これはあんたのためじゃない、私自身のけじめだ。

 大丈夫、あんたを送り届けたら、あとはシラを切りとおすさ。うまくやる」

 ……観念して、すう、はあ、深呼吸。

 本当は止めたい。無茶してほしくない。

 けど、()()()()()()と言われてしまえば、わたしにその力も権利もないのです。

 だから、あとはhow、『いかに』の話だけ。

 手荷物の籠からスマホを取り出し、考え考え、説明しました。

「たしかに、西に向かえば助かるかもしれません。でも、これが動けばもっといい。

 海の上でも自分たちの居場所が分かるし、(おか)に近づけば、よその誰かと連絡が取れる。そういう道具なんです。

 問題はバッテリー……動力源の、小さなパーツ。抜かれてました、たぶん長老に。

 とっくに捨てられてるかもだけど、でなければ、なんとか取り戻したい……」

「あ、あ、すまない。それなら私が持ってる」

 ……………………………………………………………………………………………………………………………………………………。

 わたしは、首を八十五度右に回してカイに向きなおり、顔を左に三十度かたむけました。

「は?」

 さしものカイもあわてて腰を退きました。

「いやっあのな、あんた最初ずっと寝てたろ。私もヒマで、そのスマホとやらをあれこれいじってたんだ。

 そしたらふたが開いて、中の四角いのにBATTERYってあったんで、ちょっと借りてみようかと……」

「……………………」

「家に持って帰って、試したいことがあったんだよ。本当悪かった」

「…………。借りたら借りたで、なぜ返さない?」

「もっ、もちろんすぐ返す気だった! ただ、そいつが『壊れてる』ってあんたに聞いて、なんだって思って、興味なくして忘れてたんだ」

「海に漬かって動かなきゃ壊れたって思うでしょ?」

「前から壊れてたって意味に取ったんだよ!」

 思い出します。いえ、生涯忘れない。

 嵐の去った昼、疑いと恐怖の目を向けてしまったわたしに、カイの、あのひどく傷ついた顔。

「やっぱおまえで合ってたじゃんかー!!(日本語)」

「たっ頼む落ち着け! なに言ってるかわからん!!」


   *


 数分ギャアギャアやりあって。

 お互い疲れて、グッタリ肩落として、しばし休んで。実務的な話に戻りました。

「……じゃあ、バッテリーはあなたが持ってるんですね?」

「ああ、家の金庫にある。いつでも返せるぞ」

「ならいいです。スマホ、バッテリー入れ直して動くか確かめて、そっから先はまた考えましょう」

「ああ。が、動かなくても、近々島からは逃がしてやる。その準備もしてる」

 結論が出て、ふぅ、大きく息をついて。

 ひざを抱えて丸まり、目を閉じるカイ。

「すまない、少しだけ休む。夜明け前に出ていく」

 言うなり寝ちゃいました。……こんな雨風の海を渡ってくるの、大変だったでしょう。

 南国の夏、夜でも暖かいから風邪はひかないだろうけど。掛け布で、そっとその背を覆いました。

 眠ってると、ほんとにあどけない顔の少女。

 指を伸べて、頬に触れかけて。起こしたらかわいそうだしやめて、ああ、これ前もあったなって苦笑い。


 優先順位。目を閉じて、頭の中、今夜も確認します。

 大丈夫、わたしたぶん間違ってない。


 目が覚めたら朝で、雨は上がってて。カイ、もういませんでした。

 掛け布はいつのまに、わたしの肩にかかってました。


   (幕間8)


 まだ暗い明け方。

 カイは、雨はやんでもまだ荒れた海を泳いでいた。

 疲れと寝不足で体は重かったが、島の西岸、なだらかな砂浜を目指す。

 やがて、足が砂を踏んで。

 海から上がったら、男たちが腕組みして待っていた。

 先頭に、ミユキの言う『魚のおじさん』、漁の長。先っぽの欠けた左の人差し指を立てて、

『カイ、どこへ行っていた。今朝数えたら、カヌーが一(そう)足りない。お前か』

『……そうだ。すまない、うっかり沈めちまって、泳いで戻った』

『いつ、なんのために舟を出すか言って借りる。約束してくれたはずだな。

 それ以前に、ゆうべは荒れていたから、海に出るのは禁止だったはずだ。カイ、お前は掟に背いたんだよ』

『ああ。分かってる』

 差し出した手を、男の一人がつかんで捕えた。

 少し離れて、長老が黙ったまま見ていた。


   (幕間9)


 その日、完全に陽が昇ってもまだ海は荒れていたが、青年は苦にしなかった。

 軽快にカヌーを操って、本島から一番遠い離れ島に向かう。ミユキなる異国(とつくに)の娘に、遅めの朝メシを届けに行くのだ。

 目的の島に近づくと、一艘のカヌーが見えた。

 浅瀬に、ロープでつないだ石の錨を降ろしている。乗っている男は四人、みな青い顔。手を振ってやったら、気の毒に、弱々しい笑顔が返ってきた。

 当たり前だ、山衆(やましゅう)が慣れないことをするからだ。

 病気にかかったという娘の、様子見役も、メシを届けるのも、ずっと山衆。長老のお考えがよく分からない。今日ばかりは、波が高いというので海衆(うみしゅう)である彼が選ばれたが。

 まあいい。分からないことを考えても仕方ない。砂浜にカヌーを上げ、小屋に向かって声をかけた。

「お嬢さん! 遅くなた、ごはんだよ!」

 ひょこっと顔を出したのは、だいぶ赤焼けした、けれどまだまだ肌の白い娘。

 大きな目、まっすぐな黒髪、細っこいがやわらかそうな体つき。おずおずした物腰。うん、悪くない。

 オレがもう少し若くて、独り身だったらなあ。かあちゃん(妻と呼ぶのはくすぐったい)もいい女だが、気が強すぎるのが玉にきずだ。女ってのはこう、もうちょっとかわいげがあって、守ってやりたくなるようなのがなあ。

「あ、はい、ありがとうございます。英語……?」

「海衆は、わりと分かるよ。オレの父、カイの父、友達だった。二人とも、死んで、しまったが」

 口笛吹きながら荷物を降ろしてゆく。水がめ、蒸し芋や焼き肉の包み、そして四角く折りたたんだ布切れ。

「でんごん。預かって、きたよ」

「伝言? どうもです」

 受け取って、首をかしげる娘。開いてゆく。

「なあ、なに、書いてある?」

 さりげなく近づき、後ろから覗き込む。英語の文面と娘のうなじ、半々に眺める感じで。

 読み書きは得意ではなかったが、むつかしい内容でもなかった。


「ベルより。

 カイが捕まった!

 ついさっきのさっき、村外れの牢に連れてかれたみたい。

 理由とか、詳しくはまだ。ミユキ、どうか軽はずみはせず、次の知らせを待」


 ぐしゃり。

 娘が布きれを握りつぶしたので、その先は読めなかった。

 小さなつぶやき、意味は取れなかったが、

「アノクソジ×イ」

 そう聞こえた。

 目の前の細い肩が震えている。……笑っている。フフ、フ、フフフ、地の底から湧くように、とぎれとぎれに。

 娘は、いったん握りつぶした布切れを開いてしわを伸ばし、きれいに畳みなおすと、砂浜に叩きつけてゲシゲシ踏んだ。

 ぜぇはぁ、ぜぇはぁ、上がった息を整えて。やがてこちらに向き直る、花咲くような笑顔。

「すみません。わたしからも伝言、お願いしていいですか。クソジ……もとい長老に」

 (こえ)え。かあちゃんごめん、オレおまえだけを一生大切にするから。

「で、伝言っ? なにかな」

「…………。

 ギブアップ。わたし、あなたの提案を呑みます、と」

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