2・わたし今さら気付く
『いーいところよ。見つけたのよ。冬休みはこっちで過ごしなさい』
二学期もじき終わろうかという、冬のある日。
母からの電話は、旅へのいざないでした。
「……てゆーかLYNEでよくない? なんでわざわざ電話……」
『久しぶりに、可愛い娘の声が聞きたくなったのよ。いそがしくて誕生日も祝ってやれなかったし』
お母さん……!
『それに、あんたは出不精だからね。ふふふ、メールだのLYNEだのより、じかに話したほうが断りづらいでしょ?』
お母さん……。
ともあれです。母が提案する冬休みの過ごしかた、それは、南太平洋のリゾートでのバカンスでした。
『それもね、観光客でごった返してるようなとこじゃないのよ。空港もない離れ小島でさ、小さな飛行機で飛んでいくの』
空港がないのに飛行機? ……お母さん疲れてんのかな。
「……で、そこ、なにがあるの?」
『なーんにも、ない!』
すごくうれしそうな声。
『小さな水上コテージが一軒、ケータイの電波塔が一基、あとなんにもない。海と空しかない。なーんにもないから、一日、なーんにもしないで暮らすのよ』
お母さんやっぱ疲れてる。
「ゴメンお母さん、わたしクリスマスは彼氏と過ごブフッフ」
『自分で笑ってどうするの。学校は来週の金曜までよね? 土曜の飛行機のチケット送るから』
母の言うとおり、極端に腰の重いわたし、冬休みはコタツにもぐって新学期まで出ないつもりでした。
それがゆらいだのは、寒いとこ暮らしが長かったわたしの、南へのひそかな憧れのため。
あと『来ないとお年玉あげないわよ』と釘刺されたので。高二にもなってバイトひとつしてない身には、まさに死活問題。
こうしてわたしは、冬休みの初日、一七四〇成田発のジェットに乗り込んだのです。尻尾に花をつけたクジラみたいな、かわいいペイントのやつに。
思えば痛恨でした。
*
『ビアンヴニューアタイティー!!』
花の首飾りとともにいただいた歓迎のごあいさつ、フランス語とだけは分かりました。現地着は翌朝十時。
飛行機を降りたとたん、鼻っつらを押し返す熱い風。ああ、南国です。明るい陽の光の下、だれもかれもゴキゲンに見えて、こっちの気分までちょっと浮き立ったりして。
けどまあ、よかったのはここまで。
さらにこっから、母の待つ島に飛ぶはずが、貸し飛行機の準備が遅れに遅れました。
「どうしようお母さん。船便とかはないの?」
『今から借りるとして、船だとたっぷり六時間はかかるらしいわ。あんた酔わない?』
「酔うかも。あと、六時間もなにしてつぶすの」
『船員さんとお天気の話でも……そうね、やっぱ飛行機でおいで』
結局、その六時間以上、空港で待たされて、レストランで高いサンドイッチなども食べて。
夕暮れ、やっと出てきたのは、塗装がところどころはげた小さなプロペラ機。翼の下に、流線型のフロートがついてます。
『や、マドモアゼール、お待たせ。さあ行こうか』
白い歯を見せてヘラヘラ笑う、褐色の肌のパイロット氏。
あいそ笑いを返しながら思いました。
『落ちそう……』
落ちました。はい。
*
「おはよ、ミユキ」
目覚めたらもう朝で、ベルがそばにいました。
今朝のごはんは紫色した『たろのぽい』に、なにか魚の切り身を焼いたもの。
『たろのぽい』は、心なしか昨日より酸っぱく感じます。魚は白身、脂っけはないけどさっぱりしていいお味。シンプルな塩味にやや飽きたところで、瓶ごと添えられたハ〇ンツのケチャップがうれしい。
……。どっから出てきたんだこのケチャップ。外の世界と離れてるって言ってましたよね。
ちょっとその、問いただす元気がなかったので、もひとつ気になってたことを訊いてみました。
「ねえベル。ゆうべ、別の女の子がいたと思うんですけど……」
夢うつつで見た、すらっと細いうしろ姿。ウェーブがかったショートヘア、大きな目に強い光。美少女というより、美少年と形容したくなるような。
「あー、そりゃカイね。あなたの夜のお・世・話・役♡」
カイ。
きれいな名前。女の子らしすぎないのも似合ってる。
わたしは、深雪という名があまり好きじゃありません。ちょっと古めかしく、俗な感じもして(※個人の感想です)。
わたしが生まれた日に大雪だったから、と母は教えてくれましたが、もう少しひねりようがあったんじゃ。言ったら怒るだろうけど。
お母さん。心配してるだろうなあ。
舞台女優で、デザイナーでもあって、美人で、一人娘のわたしをだいたい女手ひとつで育ててくれた母。引っ込み思案なわたしとは正反対の、自信と情熱と行動力のかたまり。母が昔ロンドンで仕事をしてたから、わたしは今ここで英語をしゃべれるのであり、そもそも母に電話一本で呼ばれたからあのオンボロ飛行機に乗って遭
「よるのおせわっっっ!?」
「反応おそっ」
*
ベルの説明は簡単でした。流れ着いて意識のないわたしの看病役に、『島の女衆』から、彼女とそのカイが選ばれたというのです。
「あたしが昼、カイが夜。かわりばんこ、カヌーに水とごはん積んできて、あなたに付き添って。長老……あたしのじいちゃんね、が決めたお仕事なのよ」
長老。
『島』の。
……わたしは、何日かぶりに、寝床を這い出ました。
ドアのない戸口から外を覗きます。殴りつけてくるような陽の光、きらきら光る砂浜、底の底まで透き通った碧の海。どこまでも青い空。
痛む首に気をつけながら見渡すと、
あった。右手。
飛行機の窓から見下ろす綿雲みたいに、海にぽつぽつ浮かぶ白い小島。その向こうに、濃い緑に覆われた大きな島が、かすかに霞んでうずくまってました。
島は、わたしから見て右辺がなだらかな三角形。そのなだらかな右辺は砂浜になって海に消え、左辺は端がやや欠けて崖になっています。距離は、ここから一キロもないのでは。
あすこが、ベルとカイが来たところ。ベルのおじいさんが、そしてたぶん、もっとたくさんの人が住むところ。今食べた『たろのぽい』と魚がとれたところ、外の世界を二百年見て見ぬふりで過ごしたというところ。
わたしの横から顔を出して、ベルがあっけらかんと、
「うん。あれがあたしたちの島、ワイワイ島だよ」
わたし、なにを感じたんでしょう。
こんな南の国で、なぜか一瞬、背すじがヒヤリとしました。
*
結論から言うと、背すじがヒヤリとしたのは、吹く風にじかに触れたからでした。
なぜじかに触れたかというと、わたしの身なりがビキニにパレオ、要はベルと同じだったから。
ベルと同じに、変わっていたからです。知らないうちに。
そういえば、着てたもの、スマホと一緒に枕元の籠にありましたね。
冷静に理解してベルの方を向き、ニッコリ笑うわたし(と、笑顔を返してくれる少女)。
そして、冷静さを保ったまま寝床に這い戻り、頭から掛け布をかぶって冷静に震え出しました。
「ちょっとミユキどしたのよ。まさか今さら気付いたの? …………半裸に」
掛け布ごしにベルの声。半裸言うな自分もだろ。あとなんで最後タメた。
「ミーユーキー、しょうがないじゃん、あなた全身ずぶ濡れだったし。ほっといたらグーな塩加減の干物になってたよ」
ええ分かりますとも冷静ですから。脱がして洗うのも当然のこと。……ただ、十七の身でそう簡単に割り切れるほどわたし人間出来てない。
「つーか遅いよ昨日気付こうよ」
うう。だって、昨日は服どころじゃなかったし……
やがて、そっと寄り添う、少女の気配とぬくもり。柔らかな、あやすような声。
「ミユキ、大丈夫よ、ミユキ。
着替えのあいだ、男衆は一歩も近寄せてないから」
わたしは掛け布からズボリ頭を出しました。
「当たり前だあっ!!(日本語)」
*
しばらくして冷静になって……いや冷静だったけど……ベルに謝りました。
「ごめんなさい。助けてくれたこと、本当にありがとう」
うなだれるわたしに、ベルは今日も、頭をよしよししてくれました。ううう。
*(幕間2)
『なぜあの二人を、『客人』のもとに遣わせたのですか』
低く、抑揚なく、腹の底に響く声。まるで山が口をきいたような。
『『客人』の相手は年寄りがする。昔、あなたが言ったことです』
『だが『掟』で決まっとるわけではない。多少の臨機応変は許されようさ』
答える声は、老いてしわがれていた。穏やかに、あやすように。
『臨機応変で、適材適所じゃよ。歳は近いし、あれで二人とも面倒見がいいしな。なにより……』
島の夜は暗い。灯り油は貴重品だ。
暗い夜の底で、二人の声は静かに続く。
『……『悪魔』のことはどうします。
島の三分の二が死んだという、あれを繰り返してはならない』
『今のところ、あの娘に、その徴はないそうじゃ。そばについとるベルが言うのだから、信じてもよかろ。
ま、問題があるとすれば』
しわがれ声は、最後にヒュ、ヒュ、とひきつったように笑った。
『あの子が、さすがわが孫、嘘つきなことかな』




