12・旅するおはなし(2)
「そんな用事でわしのところまで来たのか。いや、気軽に訪ねてくれてうれしいよ」
子供たちの頭をなでながら、カラカラごきげんに笑う長老。今日もあの、レンズのない銀ぶちメガネを鼻の上にのっけてました。
*
「わからないことはじいちゃんに訊こう!」
ベルの提案でそうなりました。こないだも来た長老の家。
ちびっ子たち五人は、緊張してるのかちぢこまって座ってて。長老、いじらしい姿に目を細めてます。
「さて。ミユキ嬢ちゃんが、わしらの島のと似た神話を語ったそうだが……
比べる前にまず島のを紹介せんとな。ベル、できるか」
「ほーい」
ベル、軽く応じて目を閉じ……
むかしむかし、森の神タネは、形あるヒトを作ろうとさまざまなものと交わった。が、生まれたのは山々やトカゲや石ころであり、それが不満だった。
母神パパの助言により、土から女を作った。その女との交わりで『暁の娘』が生まれる。
娘は美しく育ち、やがてタネと夫婦になった。
娘はたくさんの子を産んだが、あるとき夫タネが父親であることを知ってしまう。
恥ずかしさのあまり冥界に逃げた暁の娘をタネは追った。が、娘は夫を呪って、光ある世界で子供たちの面倒を見なくてはならないこと、子供たちは死をまぬかれないこと、を告げた。
「……うん、ありがとうよベル。どうかね嬢ちゃん、似ていると思わんか」
「……。似てます」
妻を追って冥界へ行くくだり。けっきょく妻を取り戻せないところ。妻の怒りが『恥をかかされた』点にあるとこ。
なにより、死の起源を語ってるとこ。枝葉に違いはあっても、根っこが同じです。
「長老さま、これって偶然ではないですよね!? どこかで、お話が伝わるような交流があったんでしょうか」
わき腹をぽりぽり指で掻いて、長老が立ち上がりました。
「ちょっとおもてに出ようかの。みんなも来いさい」
*
外に出て、長老は、黒土の庭に木の棒で線を引いてゆきます。
やがてメルカトル図法でざっくり描かれたのは、
「ほらごらん。これが島の外、世界の地図じゃよ。
庭に出たのはこのためだけじゃ。肩すかしで済まんの」
緊張が解けてきた子供たち、どっと笑いました。
わたしでも分かる地中海、ブーツの形したイタリアの右どなりに、三角の半島が突き出してます。長老、その先っぽを棒で指しました。
「ここがぎりしゃ。
嬢ちゃん、おるふぇうすの物語を知らんかな。毒蛇に噛まれて死んだ妻を取り戻しに、冥府へ下った歌い手の話じゃ」
とたん、ベルを含めた子供たちがハモって、
「「「へびってなーに?」」」
「そうか。そこからじゃったか」
さすがの長老もわずかにひるみました。島にはいないんですって、ヘビ。
オルフェウスは、その琴の音色で、冥府の番犬をおとなしくさせた。王ハデスの妻、ペルセポネーも感動の涙を浮かべ、エウリュディケを彼に返してくれるよう夫に願った。
決して振り返らないように。
そう釘を刺されて、妻を連れ地上に向かうオルフェウス。が、最後の最後、不安に駆られて振り返ってしまう。
愛する妻は、たしかにそこにいた。けれど、瞬間、彼女は冥府に引き戻され、それが永遠の別れになった。あと、蛇とは手足のない、無法に長いトカゲ。(以上、長老の説明でした)
「だがこの神話には、さらに元がある。ここ、めそぽたみあと呼ぶ地じゃ」
さっきのギリシャのほんのすこし右を棒で指す長老。
「いしす、あるいはいなんなという女神が、姉神の統べる冥府を手に入れようと下って行った。
じゃが、冥府の門をくぐるたび力を失っていき、しまいに、囚われの身になってしまった。
冥府に囚われるとは、つまり、死ぬということだな」
ガリ、ガリ。そのメソポタミアから、棒で左右に線を引いてゆく長老。左に短く、右にはるかに長く。
「どんな地の民にも伝わり得る。どんな民にも普遍のテーマ。人が、『死を克服できなかった』物語じゃ。
物語はここから、西へはぎりしゃに伝わった。そして東へは、陸に海にあじあを越えて、やがてたどり着いた。
ハヴァイイ、そう、わしらの祖が住んでいたという伝説の島へだ」
長老、びっくりするくらい博識でした。思えば、ずっと島暮らしなのに世界地図を描けるだけでもすごい。ちなみにわたしは無理です。
「じゃから、めそぽたみあと我らがハヴァイイの間の、あじあのどこかに、これに類した神話が残っておるやもしれん。レイはそう考えとった」
その通り、メソポタミアとこの島の間、日本に、冥界下りの神話が残っていたのです。
「……って、レイ?」
はて、どこかで聞いたような、聞かないような。
わたしのハテナに答えるカイの声、すこし震えてました。
「……父さんだ」
*
ちょっとしたトラブル、そのあと。
長老の家を出て、これから海で遊ぶという子供たちと別れて。わたしとカイとベル、三人になって。
「私はもう帰る。家で寝なおす」
大きく伸びをするカイ、たしかにちょっと眠たそう。
その去り際、小さなつぶやきが聞こえました。
「旅する物語か。物語も旅するのか……」
わたしは笑って、
「ふふ、あなたも本当は旅してみたい?」
瞬間、振り返った少女の瞳に、はっきり怒りの火が燃えてました。
「言っておくぞミユキ。私は、可能性のないことを論じるのが何より嫌いだ」
固まったわたしにふたたび背を向け、さっさと行ってしまうカイ。
……ひょっとしなくても地雷踏んだ。
なんてバカ、なんて無神経なわたし。彼女の、彼女たちの事情は知ってたはずなのに。
けど。
十メートルほど離れたところで、カイは急に立ち止まりました。
そして、三度大きく深呼吸。また急に、きびすを返して戻ってきます。
目の前で立ち止まった彼女、もう怒ってはいないみたい。すごくバツ悪そうに、
「すまないミユキ、短気を起こした。私の悪い癖だ。
だが、さっきみたいなのは勘弁してくれ。からかわれるのは好きじゃない。
いくらかは……図星だから、なおさらな」
……ぽかんとしたままリアクション返さないわたしをどう思ったのか。
指の長い手をもどかしげに振って、カイは声を強め、
「旅か。そうだ、外の世界に興味ないなんて、今さらウソは言わない。
父さんが教えてくれたこと、あんたが話してくれること、叶うなら自分で確かめてみたいさ。
……くそ、早い話が、あんただ、あんた!」
いきなり。ホントいきなり、両肩つかまれました。ヒェッ。
「深い、雪の、ミユキ。
雪ってなんだ? 知ってるさ、父さんが話してくれたからな。
寒いとき、雨の代わりに空から降る白い、冷たいもの。そうだろ。雨みたいにすぐ流れてはゆかず、積もってあたり一面真っ白になる。そうだろ」
やめてお願い迫ってこないで。女の子同士とはいえマズイ距離ですよ!?
でも、カイの目があまりに真剣で、くちばしを挟めませんでした。
「だがそんなのは単なる知識だ。冷たいってどのくらい冷たいんだ。どのくらい積もるんだ。それが積もったら、景色がどう真っ白になるんだ。私は、見て、触れて、知りたい……」
「はいストップ」
割って入ってくれたのは、もちろん髪に花飾りの少女、ベル。
諭すようにかぶりを振って、
「口説くな。こんな道端でとーとつにミユキ口説くな。そんなんだから男より女にモテるんだよ」
カイ、あわてて手を離しました。
「バッ、なに言ってんだ、女同士でなにが口説くだ。
悪かったなミユキ! じゃあ、また夜に!」
ショートヘアの、少年みたいな少女が急ぎ足で去ったあと、ベルがフフフンと鼻で笑いました。
「逃げたな」
……二人になった帰り道、いつも通りのたあいないおしゃべり。
「カイ、女の子にモテるんですか?」
「モテるねー。遠巻きにしてキャアキャア言うくらいだけどね。だからあいつ、女の多いとこには行きたがらないんだ」
「あっははは。そういう感じすごくわかる」
笑いながら、会話のキャッチボール続けながら、わたしはどこか上の空でした。
迫られたとか口説かれたとかはどうでもいいです(いや口説かれてない、口説かれてないけど)。
カイ。誇り高くて、意外に繊細なカイ。
無神経な口をきいたこと、怒らせてしまったこと。
いきなり肩をつかまれたこと。思いがけないタイミングで、思いがけず胸の内をさらけ出されてしまったこと。
怖いくらい、悲しいくらい真剣だったあの目。
なんでだろ、動揺が体の芯に残ってました。震えるような、鼓動が早まるような。
どうしよう。夜、カイが来たとき、どんな顔すれば。
*
でも、そんな心配は無用に終わりました。
夕方、ちびっ子たちの一人が、泣きながら飛び込んできたからです。
「アリー、死ぬ。ミユキ、助けて」
2/3。続きは19時です。




