12・旅するおはなし(1)
目の前に、わたしを見つめる十二の瞳。二つはベル、残りの十はまだ幼い子供たちの。
あどけない十の瞳を前に、黙ったままのわたし。頬にお得意の脂汗ひとすじ流れました。
*
こないだぐらいから、カイの生態に変化が見られます。
今までは、朝ベルが来ると、あくびしながら自分ちに帰ってった彼女。それが、
「ちょっと隅っこのほうで寝かせてくれ。気は使わなくていいから」
言うなりゴロン、横になって眠ってしまうのです。お昼ごろまで、ずっと。
「……カイは比較的、独立心の強い生き物です。他者のテリトリーで無防備に眠る姿はあまり見られません」
「本来、狭い巣にこもって外敵から身を守る習性を持つカイ。はたして、巣になんらかの異変が起きているのでしょうか」
ドキュメンタリー風のナレーション入れるわたしに、テレビ知らないのに難なくついてくるベル。顔を見合わせてクスクス笑い。
そのとき、家の外から、幼い声の合唱が響きました。
「「「ハロー?」」」
「……来やがった……」
カイ、うめいて、壁に向かって寝返りうちました。
*
『来やがった』のは、十歳くらいをかしらに、五人のちびっ子たち。追い込み漁で一緒だったアリーくんもいます。
招き入れるなり、きゃっきゃ歓声を上げてカイにまとわりつきました。
「ねーカイー、お話聞かせてー」
「エーゴ、教えてー」
「ねーってば、ねー」
「……勘弁してくれよ。仕事で寝てないって、何度も言ったじゃないか」
「だってカイ、最近、遊ばない。お話もしてくれない」
「昨日だって、家に行ってもいないしさー」
ああなるほど、だからここで寝てたんだ。……もう居場所バレちゃったけど。
「もとから遊んでない。お前たちの面倒見るのは、私ら年長組のし・ご・と・なんだよ。
で、私は今、別の徹夜仕事が終わったばっかなんだ。寝かせろ、頼むから」
肩を揺すられようと、腕を引っ張られようと、かたくなに壁のほうを向いたままのカイ。身をちぢこめて防御姿勢。
やがて、あきらめた子供たちが、急にこちらに向き直りました。
「じゃあベルでいいや。お話してー?」
「あたし? あたしは仕事中だからダメ。ミユキのお世話がお仕事なのよ」
「ぜんっぜんヒマそうじゃん」
不服げにほっぺを膨らます子供たちの頭をやさしく撫でるベル。
「うんヒマ。けど、せっかく楽な仕事してんのに、わざわざチビ助のお守りを買って出るほどこのベル姐さんは落ちちゃいないゾ☆」
つよい……。
「ねえベル。お守りって、具体的に何するんです? お話ってどんな?」
「んあ? えーとなんていうのかな、昔話とか? そういうの」
「民話とか、神話とか」
「そうそう、それ」
少し迷って、立候補してみるわたし。
「わたし、やりましょうか? 日本のでよければ」
子供たちがわっと沸きました。
*
「じゃあええと、なんのお話しようかな」
わたしとベルと子供たち、七人車座になって。
子供たちのキラキラおめめに見つめられて、なんだかくすぐったい気分。やだ、わたし、将来は小学校の先生でも目指してみようかな。
その車座の外、カイがいつのまに、こちら向きに寝そべって聞いてます。実習生を監督するベテラン教師のまなざしで。……寝なくて大丈夫なのかな。
「ミユキ。こいつら、レベルの差はあるが英語の聞き取りは問題ない。ただ、知らない言葉は多いから気を付けてやってくれ」
「……あれ? 英語といえば、この子ら、どうして英語で話してるんですか?」
カイより先に、アリーくんがはにかんだ笑顔で、
「カイと話す、英語、遊び」
なるほど。楽しみながら広がるバイリンガルの輪、すばらしい。すばらしいってか、わたしに都合いい(本音)。この調子で世界中が英語か日本語を話すといい。
ともあれオッケー、むつかしい単語を避けるのが肝ですね。まあなんとかなるでしょう。
コホン、ひとつ咳払いして、始めました。
「じゃあ、ニッポンの昔話ね。『うさぎとかめ』」
「「「ウサギってなに?」」」
*
そして冒頭に戻ります。
最初は、子供たちにからかわれてるんだと思いましたね。けど彼ら、ホントにウサギを知らないのです。
「ほらあの、白くて、耳が長くて、ピョンピョンはねて、毛がフワフワで……」
「知らなーい、見たことない。ベルは?」
いちばん上の子に水を向けられたベルも、笑顔で肩をすくめただけ。そうか、『知らない言葉は多い』ってそういう意味か。
訊ねてみました。
「アリーくん。ちなみに、カメはわかります……?」
「わかる。おいしい」
食材カテゴリか……
フォローというか説明というか、カイの声が割り込んできました。
「島には、乳で育つけものは、イヌ、ネコ、ブタ、ネズミくらいしかいないんだ。ご先祖が持ち込んだものだ。……チビどもも要領を得ないだろうから、ほかの話がいいかもな」
むう。ほかの話。
カメつながりで浦島太郎。……ダメだ。困ったら開けろというから箱開けたのにおじいさんになるラストが、小さい子には不可解でしょう(わたしだって不可解です)。
それに、彼らにとって食材であるカメの擬人化ってのもどうなのか。子供たちがあとで『カメさんかわいそう、ぼく食べない』とかぐずり出したら、わたし親御さんに土下座して回らなきゃなりません。
サルカニ合戦。サルの時点でアウトか。おむすびの説明も難しいし。
金太郎……クマが出てくるからアウト。それに考えてみれば、お馬のけいこ以外に何したんだろ金太郎。
かぐや姫。竹……はこの島にもある。でも、姫が求婚者たちに要求したアイテム類を、ひとつたりとも説明する自信ありません。
前述の通り、十二の目がすぐそばで私を見つめており、うち十個はピュアな期待に満ちてます。こうなると頭も回らない、出てくる話も出てこない。そりゃ脂汗も垂れますよ。
「ミユキ。目も冴えてきちまったし、よければ代わろうか」
「ちょっ待っ、ワンチャンくださいワンチャン」
身を起しかけるカイを手で制して、必死で状況を整理。
民話がダメなら、神話でいい。ウサギやサルが説明できないなら、人間や架空のものばかり出てくる話でいい。なら――
「むかしむかし、イザナギと呼ぶ神さまと、イザナミと呼ぶ女神さまがいました」
語りはじめたら、舌もなんとか動いてくれました。
*
二人は夫婦となり、たくさんの神を生んだ。
けれど、最後に火の神を産んだ時、イザナミは火傷で死んでしまう。
亡くした奥さんが忘れられないイザナギ、黄泉の国まで追いかけてゆき、戻ってくれるよう呼びかけた。
黄泉の神と相談している間、決して私を見ないようにと釘を刺すイザナミ。しかし、じれたイザナギは灯りをともして見てしまう。
愛する妻は、『うじたかれ、ころろきて』……腐り果て、蛆が集ってザワザワ鳴っていた。
驚いて逃げたイザナギに、恥辱を受けたと怒るイザナミは、さまざまな化け物を遣わす。
命からがら逃げのび、道を大きな岩でふさいで追っ手を食い止めたイザナギを、イザナミが呪っていわく、
「愛しいあなたがこんなことをなさるなら、私はあなたの国の民を日に千人殺しましょう」
イザナギが応えて、
「では私は、日に千五百の産屋を建てよう」
「……というわけで、人の世界では、日に千人が死に、千五百人が生まれることになったのです。おしまい」
なんとか語り終えて、ひたいの汗をぬぐうわたし。
とっさにこの話が浮かんだのは、ボールペンで描かれたすばらしい古事記まんがを読んだことがあるから。かつて天の柱の周りを回ってむつみあった二人が、大岩をはさんで別れるシーンにはキュンキュンしました。……ところで、近頃のイザナギさまは産屋のほうをサボりがちではありませんか?(社会風刺)
「さあ、どうだった? 退屈でなきゃよかったんですけど」
謙虚な微笑みでいいね! を待つわたしに、子供たちは率直に答えてくれました。
「真似っこ」
「パクリ」
「ミユキ、ずるいやつ」
なにをっ!?
「だって、似た話、知ってる。ミユキ、パクった」
そんなわけありません。神話だろうが民話だろうが、この島でおひろめしたのは初めてです。子供たちが知ってるはずは……
気がついたら、寝そべっていたカイが、あぐらに座りなおしてました。大きな目を丸くして。
「驚いたな。本当なんだよミユキ、ディテールはだいぶ違うが、同じような話が島に伝わってるんだ」
*
あとで振り返れば、そこそこ大変な一日の、これが始まり。
子守りだの語り聞かせだの、ほんの序の口でした。
続きは明日。




