11・わたし働く(または、働いてる人の邪魔をする)
ある雨あがりの朝、いえ、もうお昼前。ひそかに考えてたことを、ベルに打ち明けてみました。
「ねえベル。わたし、なにかお仕事してみようかと……」
髪に花飾りの少女、ニッコリ笑って、
「うん。めんどいからやめとこ?」
はい。
完
だから完じゃないって。食い下がれわたし。
食い下がりました。
*
「まあ、仕事っつったらやっぱここよね。ワーオ」
「その適当なワーオやめてくださいよ。せっかくやる気なのに」
というわけで。ベルとともにやって来たのは、壁のないあずま屋の巨大な集合体、『子供の家』。
たくさんの女の人が、もっとたくさんの子供たちの面倒を見てるところ。島のおおかたの人の三度三度の食事を、一手に引き受けて作ってるところ。つまり保育園兼セントラルキッチン。
島の女性陣のお仕事は、大半この『家』に集約されてるそうです。
今も、遊びまわる子供たちの歓声をよそに、煮炊き、針仕事、赤ちゃんの世話。大小いくつもの人の輪が、それぞれの役割をこなしていました。
さて。
「ミユキ。あなたの手にあるのはなあに?」
「はいマム。ナイフです」
「いい返事。じゃ、あなたの仕事はわかるよね?」
「はい。誰を殺りますか?」
キャッキャじゃれ合ってたら、
「刃物持つ、ふざける、よくない。バチあたる」
太ったおばさんにピシャリ叱られてしまいました。あっはいゴメンナサイ。
で、わたしが挑むお仕事は、魚の下ごしらえ。
山と積まれた魚は、どれも三十センチ近くあるでしょうか。おちょぼ口で、筒型の体は銀色、そこにうっすら黒い縞が走ってるやつ。
おばさんが、まず手本を見せてくれました。
「ウロコ、取る。アタマ、落とす。おなか、切る、出す、一度洗う。背中、ナイフ、入れる、骨、沿って切る」
見事な手際で、つぎつぎ三枚におろしてゆきます。ハラワタは、そこらの地面に放り捨てると、集まったネコがたちまちさらって行きました。
……見事はいいけど、けっこう血ぃ出ますね……。
「これ、なんて魚ですか?」
訊いたら、おばさん簡単に、
「アウア」
なるほど。
「ねえベル、英語では?」
「えーとたしか、マレット」
なるほどなるほど。
腹をくくって、目の前のそのアウアなりマレットなりにナイフを当てます。
ガリガリこすってウロコ飛ばして、二、三度深呼吸。刃を胸びれの後ろにセットして、
ブチュッ
「ぎえっ」
「ミユキー、ぎえっじゃないぞー。そりゃあ切れば中身出るよ」
高みの見物でケラケラ笑うベル。ううくそ。
それでも、頭落としてワタを出すまではなんとかやって。お手本どおり、背びれの横からナイフ入れて。
背骨に沿って、……沿って……沿っ…………。
「……あのう、ベル」
「はいな。どしたミユキ」
「わたし、魚より肉を切る方が才能あるかも……」
「肉なら、ほらあっち、ちっさい池があるでしょ。あそこに沈めてあるよ」
なるほど、あずま屋の屋根の外、池というか露天風呂の湯舟みたいのがありました。小川から引き込んだ水をまた小川に還す、いわゆるかけ流し式です。
きれいな湧き水や川に恵まれた島の、あれが冷蔵庫なのでしょう。転落防止の柵を越え、水面に浮いたむしろを持ち上げて、
おなかをパックリ割られた毛むくじゃらの野ブタが、水底から恨めしげに見上げてました。
青い顔で戻ってきたわたしの肩を、やさしく叩くおばさん。
「男たち、じき、帰ってくる。ゴハン、作る、急ぐ。ミユキ、違う仕事する」
この島でも、肩たたきは解雇を指すようです。
*
もちろん、めげずに次のお仕事探しました。探しましたとも。
お裁縫。家庭科でブサイクなエプロン縫ったことがあるだけですゴメンナサイ。
子守り。
わたしより二、三歳下くらいの女の子らで、チビッ子たちの世話は立派に回ってました。もっと小さい子については……ゴメンナサイわたしまだおっぱい出ないので。
料理。母が忙しい人なので、わたしだって台所に立つこともあります。……さ、魚はさばいたことなかったけど。
けど、いくつもの鍋を並べた大きなかまど、ガンガン炭と薪を焚いててちょっと怖い。てゆうか熱い。レバーひとつで火加減を調整できるガスコンロではないのです。
焚きつけ集め。
焚きつけとは、火を起こすときに最初に燃やすものだそうです。草や葉っぱ、枯れ枝、松ぼっくりや剥がれた木の皮など。どうせあとで乾かすので、湿っていてもいいとのこと。
「あ、そんな仕事もあるんですか!? やりますやります、やらせてください」
「山のほうに行くことになるよ。虫とかめっちゃいるけど平気?」
……。
気がつけば、皆がそれぞれの仕事をこなしてる中、ふわふわ虚しくただよってるわたし。
心なしか周りの目が……冷たいとは言わずとも、『この子ここで何してんだろ』的とまどいを浮かべてるような。あっ変な汗出てきたちょっと待って。
「ミユキー、正直邪魔になってるけどどうする? もう帰る?」
ベルがいつになく正直に言いました。なんでこんなときだけ正直なんだ。
「てゆーかミユキ動けないねー。ニッポンじゃ子供はあんまり家事とかしないの?」
「に、日本では、子供は十八か二十二くらいまで勉強して過ごすんです! それがお仕事みたいなものなの! こっちはこっちで大変なんですからっ」
「そうなんだ。変なこと言ってごめん」
「ウソですわたし大変ってほど勉強してません!!」
両手で顔を覆ってくずおれるわたし。なんでこんなときだけ素直に信じるんだベル。疑ってくれたほうがずっと楽なのに。
「でどうする? 帰る?」
そうだどうしよう。
1・そっと黙って帰る。
2・ほほえみを浮かべたまま後じさりで帰る。
3・いっそ悪態を吐き散らかしながら帰る(なんでだ)。
「あの、ミ、ユキ、ちゃん? 私を、手伝ってくれない?」
よし3で行く……と決断する(なんでだ)直前、やわらかな声に呼ばれて。
振り返ると、ほっそりしたおばさん、お姉さん? が、小さく手招きしてました。
*
「私が魚をさばいていくから、壺の中にならべて。一段埋まったら、塩をかぶせてね」
「は、はい」
籠に盛られた小魚は、これなら分かりますイワシかアジかメザシ。
うろことワタ取って縦に開いて、つぎつぎこちらに回してくるのを、わたしが水でゆすいで並べてゆきます。壺の内側の丸みにそって、放射状に、お行儀よく。よっし、これはイージーオペレーション。
しばし、慣れると気持ちよくさえある流れ作業に集中しました。並べて、並べて、塩振って、並べて……
「あの、これってなんでしょう? どうやって食べるものです?」
「イシオーって言うの。魚の、ソース。塩漬けにして、しばらく置いて、浮いてきた汁を料理に使うのよ」
「はー。昔から伝わってるものなんですか?」
「ううん、これは長老様が思いついたんですって。それまで島にはなかったって」
「へええ」
「なかったと言えば、私たちのご先祖は、こういう壺とか……土器を持たなかったそうよ。だから、鍋での煮炊きは白人に教わったんだとか」
「へえ、えええ!? 土器がなかった!?」
「いい土がなかったんだろう、って、前の夫が言ってたわ」
不思議な雰囲気の人。歳なら三十は過ぎてるでしょうが、ほっそりした体つきに、はにかんだ微笑み、まるで少女のようで。けど、若いというには、話しかたも仕草もひっそり静か過ぎて。
目がきれいでした。どこか遠くを見てるような、キラキラ澄んだやさしい目。
すこしの沈黙のあと、意を決して口を切るわたし。
「あの、いつも娘さんにはお世話になってます。親切にしてもらってます」
一度だけ会ったことある、その人は、カイのお母さんでした。
「いいえ、お世話だなんて。あなたこそ、あの子の暴走を抑えてくれてありがとう」
「暴走?」
「『外』の船に向かって走ろうとしたのを、止めてくれたんでしょう」
あ。南十字星を見に、海に出た夜の話か。
あーはいエヘヘ、リアクションに困って愛想笑いのわたし。
謙遜ではありません。たしかに止めはしたけど、そもそもわたしが『星が見たいわ』とか乙女っぽいこと言い出さなきゃカイが無茶する流れにもならなかったわけで。感謝されるのもマッチポンプというか。
「それにしても、突っ走るあの子を止めただなんて。私でも無理なのに、どうやったの?」
「え、エヘヘヘ」
言えねぇ。セクハラかまして止めましたなんて言えねえ。
作業の手は休めないまま、ぽつりぽつり、おしゃべりは続いて。
当たり障りない日常のことから、やがて話は、やっぱりカイのことになってゆきました。木の葉がゆるゆる回りながら川面の渦に引き寄せられるように。
この人が、よそから来たカイのお父さんにとって最後の奥さんで(これは知ってました)。一人娘のカイ、お父さんにベッタリだったそうです。
「父さんと一緒にカヌーに乗ったり、歌を歌ったり、外の世界の話をせがんだり。よく笑う子だった。毎日、ベルちゃんやトーニ坊やが遊びに来てくれて……本当ににぎやかだったわ。本当に毎日、夢みたいに楽しかった」
そのベルは、向こうのほうでチビッ子たちをからかってました。……こっちに気をつかって離れてるのかな。
「あの子の父親が亡くなったあと、まだ若かった私は別の男に貰われた。そしてあの子は、父親の残した……家に残った。ひとりで。
今では私、子供も二人さずかったわ。暮らしは穏やかだけど、あの子があまり顔を見せてくれないのがちょっと残念かしらね。『母さんには、もう別の家庭があるから』って」
ふと、いつかの夜、独り座ってたカイのうしろ姿を思い出しました。焚火を前に、背中を丸めて、膝を抱えて。
「……仲良くなるのに、ほんのちょびっと骨が折れました」
「ふふ。ホントは人懐っこい子なんだけどねえ」
「あなたの料理、食べてました。タコは食わず嫌いしてたけど、悪くないって。あなたの料理だって気づきました」
遠くを見ていた目が、驚いたように丸くなって。
カイのお母さんは、眉尻がギュッと下がる、泣きそうな笑みをうかべました。
「ありがとう、あなたは優しい子ね。うちの子をどうかよろしく」
「ミ、ユーキ。◎〇×□」
静かな会話に、いきなり割り込んできたのは、前歯が一本欠けた男の子でした。
まだ十かそこらの、知らない子。ニコニコ笑顔で、欠けた前歯を惜しげもなくさらして。
ちんまりした手で小魚のむき身をつまんで、わたしに差し出してます。えっえっ、食べろってこと?
わたしは、人のすすめと新鮮なおさしみには弱いです。パクリ、反射的にいただいてしまって。
とたん、まわりじゅうがワッとわきました。
「ミユーキ、◎〇、ナマ、×■△」
「レイ、生のサカナ、ぜったい食べなかったねー」
「ミユキ、おいし? もっと食べル?」
おわああああ。さしみ一切れで大騒ぎ。
「ミユキー、これも食べる」
「ミユキ、生、サカナ、イシオーつける、もっとグー」
「イシオー、××△◎■▲〇×〇◎ー」
ちょっとまってお魚は好物だけど迫って来ないで、せめて英語で話して。
などと言う間もなく、島の仕事場はワアワアきゃあきゃあ、ちょっとしたお祭り騒ぎになりました。
「ミ、ユキ。これ、イシオー、なんて言う。そっちのくに、で」
え。
生の小魚を塩漬けにして発酵させた調味料。聞き覚えがあります。たしかえーと、
「しょっから。しょっからっていいます」
「オー、ショッカラ!!」
「ショッカラ!!」
どっと笑いが広がって(なんでだ)もみくちゃになるわたし。助けてベル。
なんだかわからないけど、ショッカラは大受けで、あっというまに広まってゆきました。日本とこの南の島、思わぬ文化交流。
気がつけば、海や山から戻ってきたと思しき男の人たち、女子供の騒ぎを不思議そうに眺めてました。
*
その晩。
ふと目がさめて、目元ぬぐって。また、お母さんの夢見てたな、って自覚して。
「カイ……?」
「なんだ。どうかしたか?」
話しかけたら、当たり前に返事が戻ってきました。壁にもたれて座ってるカイ。
「……ううん。なんでもないです」
余計なことは言わずにおきました。
……
「あの、カイ」
「ああ。だからなんだって」
「『しょっつる』でした……」
「? 何が?」




