10・わたし、星を見る(1)
ある夜、眠くなるまでの、カイとのおしゃべりタイム。
ふと、昔聞き知った星座の名を出してみたら、カイが軽くうけ合いました。
「南十字星? 見えるさ、もちろん」
南十字星、サザンクロス、詩的な響き。南国の夜空に輝くという。
じつはわたし、本物はおろか写真でさえ見たことありません。ましてや、この目で拝めるなんて考えたこともなかった。たった今、南半球なんだからひょっとして、と気付くまでは。
「ねねカイ、十字星っていうからには、やっぱり十字型をしてるんですよね?」
「そこからかよっ。そりゃまあ、そうだ」
「大きな星座ですか? 明るい? きれい?」
「いや待てよ。せっかくナマで見られるのに、人から聞いてもつまらないだろ。
この季節なら夜明け前がいい。起こしてやるから、自分で見てみな」
簡単に言われて……わたし、頭まで掛け布をかぶってしまいました。
「なんだミユキ。どうした」
「ぐー……」
「ぐーってなんだよ。見るのか、見ないのか」
「ぐごー……」
「……まさか、早起きがヤとか言わないだろうな?」
ちょっとだけ険しい声。ああいけない、カイは親切で誘ってくれてるのに。ていうか怒らすとめんどい(本音)。
ふたたび顔を出して答えました。われながらモジモジと。
「その……見られるってなったら、急にこわくなったっていうか」
「はん?」
「実物を見て、もしイメージと違ったらアレだなあって。なんか思ったより、期待度? 上がってるみたいで……」
わかってもらえるでしょうか、この乙女心。
わたしが南国に憧れてたことは司馬遼太郎先生ばりにすでに述べましたが、『南十字星』という名の響きは、その漠然とした憧れの、小さくないパーツを成しているのです。本物を知らないだけに、なお。
夜の室内は、あいかわらず、隅っこで灯り油が燃えてるだけの闇。星の光が、窓からほんのり青く染み入ってきているにしても。
そんな中、壁にもたれ、天井を見上げて考え込んでるカイの姿だけぼんやり見えました。
やがて、ぽんと手のひらを叩く音。
「よし、今夜は、この話はこれまで。明日の夜晴れてたら、見に行こうぜ」
*
そして次の夜。
「ミユキ、起きろ」
「んが……?」
肩をゆすられて、半分だけ目が覚めました。
「……カイ。おふぁようございまふ」
「ホラホラしゃんとしろ、ヨダレ拭け。出かけるぞ」
まだ半分眠ってるわたしを、容赦なく寝床から追い立てるカイ。なんとか立ち上がって、目をこすりながら腰布を巻くわたし。
「……って、でかけるって、どこに……?」
「海だ」
文字通り手を引かれて、わたしはのろのろ、カイの後をついてゆきました。ねむい……
「あの、カイ。陸からじゃ見えなかったんですか? 南十字星」
「なに言ってるんだ。もちろん見えたさ」
「……ならなんでわざわざ……」
カイの持つ松明と星灯りを頼りに、浜へたどりついて(わたしは手を引かれてただけだけど)。
有無を言わさずカヌーに乗せられて。わたしはすでに、波に揺られてるのでした。
たしかこの季節、お目当ての星座は明け方近くが見ごろだとか。ってことは、
「夜明け、近いんですか?」
「いいや、まだしばらくあるな。少し寝てろ」
「……ならさっき起こさなくても……」
「ハハハ」
なにがハハハか。
でもまあ、お言葉に甘えて寝なおすことにして、舟底に横になって。
すぐウトウトしながら、もひとつ疑問をぶつけてみました。
「……そういえば、南十字星って、なんで有名なんでしたっけ。なんでわたし、日本で知ってたんだろ」
また、あのハハハが返ってきました。
「あとで教えてやる。教えがいがあってうれしいよ」
ぬう。バカにして。……
*
「……キ、ミユキ。そろそろいい頃だぞ」
一、二時間ほど眠ったでしょうか。体と脳の感覚がそう言ってます。つまり、もすこしだけ寝たいなと。
「ぐあーあ……おはよ……」
伸びをして体を起こしたら、星と水平線に挟まれてました。
どっちを向いても、星と海。
こんなにもと思うほどの星々が、金色に銀色に夜空を覆い、頭上を圧し、そして海はただただ暗くうねっていました。
いっぺんに目が冴えて。
ほとんど反射的に、そばに立ってるカイの腰布をつかむわたし。
「どうしたミユキ。こら、引っ張るなって」
ちなみにこの腰布は、寝るとき以外は外さない習慣です。これ無しだとどうやら下着でうろついてるような感覚らしく、こないだベルがうちに泊まったときも、いやいやそんなんどうでもいい。
われながらおかしいくらい、震えが止まりません。歯がカチカチ鳴ります。
「あっあの、ごめ、こわ……い」
単なるいつものビビリじゃない。飛行機が落ちて、二日か三日か、漂流した記憶がフラッシュバックしてたのです。
波に揺すられ、潮に流され、目を開ければ燃えるような青空か、満天の星しかなかったあのとき。ときたま口に入る海水の塩辛さ、それでもいいからガブ飲みしたいと思った、あの喉の渇き。死の恐怖と、じわじわ胸にしみ込んでくる諦め。
カヌーで島から島へ渡ったり、漁にまじったりするのは平気でした。さっきも、黒い島影が後ろに見えてるうちはなんでもなく。
けど、四周どこにも陸のない海を、夜にさまようのは怖かった。
「……そうか、そうだったな。あんたの身の上じゃ無理もない」
怪訝そうにこちらを見下ろしてたカイが、やがて低くつぶやいて。それから、わたしの頭に、ポンと手のひらを載せました。
女の子にしては大きな、あたたかい手。
その手が、さらさら、ゆっくりわたしの髪を撫でます。猫をあやすみたいに。
「大丈夫、私が必ず連れ帰ってやる。心配するな」
アリーくん並みの子ども扱いかよとか、連れてきたんだから連れ帰るのは当たり前じゃ? とかは、この際よしとします。
たあいなくも、その感触だけで、締めつけるような不安がだいぶ鎮まったから。
不意にカイが、わたしのそばに腰をおろし肩を寄せてきました。な、なになに。
「ミユキ、分かるか。見ろ」
腕を伸ばし、星空の一点を、まっすぐ指さして。
「あれが南十字星だ。すこし左に傾いだ、小さいやつ」
*
大きな、黒目がちな目、長いまつ毛。通った鼻筋、引きしまった頬と口元。
間近で見る横顔、やっぱりとんでもないイケメン、ううん、美少女でした。
「なんだよオイ。私じゃなくて指の先を見ろ」
「あっ、で、ですよねごめんなさい」
カイが指した先に、銀の砂を振ったような天の川。
月ももう落ちた夜空は、昼のにわか雨に洗われ、人工の光に邪魔されることもなく、くっきりと星々を飾りつけてました。こんなに星がきれいと思ったのは、たぶん初めて。
そして、その天の川の中に……
「見つけた、かもっ。てっぺんの星がちょっと暗くて、右わきに小さな星があるやつですよね!?」
「そうだ。あれが南十字星、私たちの島でもサザンクロスと呼ぶ」
ちっさ、というのが第一印象でした。たしかに十字の形ではあるけど、特別明るくもないし。
なんでわたし、日本でこれ知ってたんだろう。いや、見られてうれしいけども。
「八十八星座で一番小さいそうだ。なのにあんたが知ってたのは、たぶん、天の南極を示す星座だからじゃないか」
……八十八星座?
「あの星座の、上と下の星をつないだ線を四倍半したところが天の南極なんだよ。私らも、海に出るときにはあれを目印にする」
……。
「二千年前、遠いご先祖がこのあたりに渡ってきたときは、南十字はさほど重要じゃなかった。みずへび座の星のひとつが、ほぼ南極星の位置にあったから。
だが、天の南極は時代によって変わる。二百年前、私らの直接の祖が島に来た時には、あのサザンクロスを航海の助けにしたはず。だから呼び名も、イギリス人から教わったまま。父さんはそう考えていた」
「カイ。あの、あなたのお父さんって……?」
「船乗りだった。海のこと、いろいろ教わった」
なるほどというか、いまいち釈然としないというか。
天の南極、みずへび座。……南極星。
「外の知識ですよね。なんでご存じだったんです……?」
カイ、星のほうだけ見ながら、簡単に答えました。
「アメリカ人だったからさ。あんたと同じく、私らの島に流れ着いた。ボートに乗ってではあるが」
続きは19時に!




