9・わたし海に出る(1)
朝。
寝ずの番を終えて、大あくびしながら帰っていったカイが、すぐまた戻ってきました。
「ミユキ、いっしょに来ないか。ベルお前もだ」
五分で八時間寝てきたの? と訊きたくなる元気さでした。こころなしか、目まで輝いてるような。
「……五分で八時間寝てきたんですか?」
「なに言ってるんだ、いいからついて来いよ。
今から、追い込み漁が始まるぞ」
オイコミ漁? なるほど、今日も社会見学ですね。楽しそう。
そして一時間後、わたしは見学じゃなく参加してました。えええ!?
*
浜は老若男女ごった返し、たいへんな活気でした。
カヌーを海へと引いてゆく人あり、棒っきれやら、拳くらいの石やら抱えて運ぶ人あり、手を高々と上げて人を集めている人あり。島の言葉があちこちで飛び交い、その中に笑い声も混じって、なんだか漁というより、異国のお祭りに迷い込んだ気分。
って、老若男女?
「ねえカイ。この漁は女も参加するんですか?」
「えー、とつぜん失踪したカイにかわって、不肖あたしが説明しまーす」
返ってきたのはベルの声。見回すと、なるほどカイの姿が見えません。さっきまでそばにいたのに。
「追い込み漁はね、網を打つのは本職の海衆がやるんだけど、女子供もお手伝いすんのよ。人手が要るやつなの」
「へぇー」
本来なら、
「とう」
って感じでベルの首筋に手刀を落とし、影のごとく静かにこの場を離れて、ほとぼりが冷めるまで沼にでも潜むべきだった。竹筒の先っぽだけ水面から出して。
けど、あいにく臆病なくせに勘まで鈍いわたし。1へぇを返しただけで、のんきに浜のにぎわいを眺めてました。
やがてカイが、十歳くらいの女の子と、もう少し下の男の子の手を引いて戻ってきました。
「待たせたな。こいつはママヌ、こっちのオスチビはアリーっていう。ほら、ミユキにあいさつしろ」
「「……ハロー」」
小さなふたり、もじもじしながら揃ってごあいさつ。あらかわいい。
「ハローはじめまして。カイ、あなたのきょうだ……親戚の子ですか?」
「いや、まったくもってよその子だ。この五人で出るぞ」
出る?
「カヌーは確保した。艇長は私だ。ベル、ミユキ、乗れ」
*
「カイ、あのっ、わたし見学ですよね!?」
「今さらなんだ、ここまで来たら参加だろ。腹くくれ」
「えええ」
よく晴れてはいるけど、風が強く、波の高い朝でした。カヌーは向かい風を帆いっぱいに受けて、ジグザグの動きで島の東側へと走ってゆきます。
なぜ向かい風で前進できるのか不思議でしたが、今はそれどころじゃありません。必死で訴えます。
「あのわたし、なにも知らないし、きっと足手まといだし……」
「こないだ漁を見物したときは楽しそうだったじゃないか。退屈しのぎにと思ったんだけどな」
「ははあ。ミユキあなた、ヘマでもして責任かぶるのが怖いんでしょ。みそっかすポジションで三度三度食べるタダメシおいしいよねー」
「やめろ。ホンット口が悪すぎるな、お前は」
口元に手を当ててニヤニヤ笑うベル、それを叱るカイ。
わたしはポンと手を打って、小さく前ならえでベルに両人差し指を向けました。
「あんたも『それだ』みたいなリアクションやめろ。よーし是が非でも参加だ、『びーたー』をやってもらうぞ」
えええええ。
びーたー、知らない単語です。英語なのか島の言葉なのかすら分かりません。
「カイ、びーたーって?」
「漁場で説明する」
にべもない返事。ひょっとして意地悪してませんか。
「ママヌちゃん、アリーちゃん、びーたーって分かる?」
訊いてみましたが、カイのほうをちらっと見て、はにかんだように笑うだけの二人。
わたしはため息ついて、もうベルには訊ねませんでした。
「ミユキー、なんであたしには訊かないのよー」
やいのやいのしてるうちに、漁場に着いちゃいました。
そうと分かったのは、たくさんのカヌーが、輪になって魚を追い込んでたからです。
*
まず目についたのは、輪のド真ん中、ひときわ大型のカヌーに乗ってる長老さん。
同じ舟に、左人差し指の先が欠けた魚のおじさん、どうやら全体の指揮を執ってるようす。ほかにも何人かの大人と、あと、未成年組では唯一、トーニくんが乗りこんでいました。
……いえ、それだけじゃありません。トーニくんのお父さんだという、あの二メートル以上ありそうな巨人もいました。あんなに大きいのに、つい見逃してしまう静かさ。
「さあみんな、叩け!!」
カイが号令とともに、手にした木の櫂で水面を叩き始めました。えええ!?
カヌーには短い木の棒と、かなり長い紐で石を巻いたものが用意されてます。
その石を手に持って、ぼちゃんぼちゃんと沈めては引き上げを繰り返す子供たち。棒きれで水面をぱしゃぱしゃ騒がすベル。
カヌーの輪の半分は、ベルの言った『本職の海衆』なのでしょう、とても長い網を張り巡らせていて。怯えた魚たちが、その網の方へ逃げてゆきます。ああなるほど、beater=叩き役、か。
「教えてくれればよかったのに。意地悪です、カイ」
「ハハハ、あんたにそんな難しい役振るわけないだろ。これは女子供も気軽に楽しむ漁なのさ」
文句言ってやりたい気もしたけど。たしかに、単純に楽しい作業ではあります。……それがまたくやしい。
ぴう、ぴう、高い音が二度響いて。
見ると、トーニ少年が、天を仰いで矢を放ったのでした。
矢は音を曳きながら空へ駆け上がり、やがて失速すると、強風に流されて少年の手に戻りました。二本ともきっちり。
「あれは鏑矢、音を鳴らすための矢だ。騒がしい中でもよく響く。今のは、西の方へ追い込んでいけって合図だな」
解説したカイが付け加えて、
「この風の中で、矢を手元に帰したか。腕を上げたな」
「ミユーキ。石、試してみる」
アリーくんに紐つきの石を渡されました。え、これどうすんの。
ドボンと海に放り込んだら、
「ノー!!」
強烈なダメ出し。
「ノーミユーキ、石は、海の底、石に、ぶつける。カーン、響く、魚、驚く」
なるほどです。なかなか奥が深い。
そうこうしてる間にも、追い込み役のカヌーと、待ち構える海衆たちの輪は小さくなって。
オーレ、オーレ、掛け声とともに網が縮まって、色とりどりの魚や、イカやらタコやらを捕えてゆきました。
どうやら、うまくいったみたい。
ほっとした、次の瞬間、
「●〇×!!」
突然、かん高い悲鳴とともに立ちあがったアリーくんが、カヌーのヘリに足を取られて。そこに大波が来て。
とっさに支えようとしたわたしも、少年を抱きとめたまま、なすすべなく海に落ちて。
目の前、巨大な顎が……ぱっくり口をあいたサメが迫ってました。
後半は19時に。




