プロローグ / 1・わたし、目覚める(ふつうの意味で)
プロローグ
クリスマスも間近な十二月のある日。南の海に、小さな旅客機が落ちた。
行方不明者はたった一人、十七の、日本人の少女。
三日、一週間、十日、半月。必死の捜索はしかし成果なく、無念のうちに打ち切りとなる。
が、母親だけは下を向かなかった。現地に踏みとどまってわが子を探し続けた。
「きっと見つけてあげる。
私の娘だもの、そう簡単に死にゃしないわ。……多少のピンチでもね」
そのころ、少女は。
森の中、半裸で、狩人に追われて走っていた。
「おか~さ~んっ!!」
1・わたし、目覚める(ふつうの意味で)
……なみ、の、おと、……
*
なみのおと、あめのおと。聞こえ……る。
目、あかない。……ねむい。あたま、いたい。おかあさん。
風、さらさら、すずしい……
*
波の音。寄せては返す。
ここ、どこだろ。わたしいったい。
……ああそっか、南の島に来たんだっけ。
……ビーチで倒れたのかな。頭、ガンガンする……
おかあさんは?
体中の力を振り絞って、やっと薄く目が開いた。真っ暗だった。
ううん、少し離れたところで、火が、焚火が? 燃えてる。ゆらゆら、ちらちら、まぼろしみたく揺れて。
そのそばに、誰か。
立っていた。逆光でシルエットしかわからないけど、すらり細い手足、まっすぐな背中。
潮の匂いの夜風。
それきり、またまぶたが閉じて……
*
はっと目が覚めて。
あわてて跳ね起きたとたん、首から脳天まで激痛が駆けぬけました。
「ぐあっづづづづ……!」
JKにあるまじき悲鳴を上げて突っ伏すわたし。なにこれ。
見えるのは光、青と碧と白、層をなして溶け合う光。スクリーンに映したように四角く切り取られて。
まぶしくて涙がにじむ、頭こんがらがる。なんだこれ。わたしいったい。
「〇×△□◎▼?」
「ぎゃあああ!!!!!!!」
いきなり声かけられて、またしてもアウトな叫び。
スクリーンの照らす薄暗がりの中、すぐそばに、女の子がいました。
褐色の肌、華奢な手足、くるくる大きな目。ウェーブがかった黒髪をサイドテールにして、あざやかなピンクの花を飾って。
カラフルなチューブトップビキニに、腰には短めのパレオ、あとは生まれたままの姿。
左の胸元から頬まで、炎が渦巻くような模様が赤く走ってるのは、この辺のおしゃれでしょうか。その柔らかそうなほっぺや目元に、無邪気な笑みが輝いてます。
年下の、かわいらしいけど、もちろん知らない子。
わたしがいるのは、どうやら木や竹で組んだ小屋のよう。薄い布を掛けられ、床に寝かされて。
外が明るいだけ中は暗く、大きく開いた戸口から、涼しい潮風が通ってきました。
こりゃなんだ。ここどこだ。
やがてして、キュッと小首をかしげるほほえみの少女。
「あー……と。あたしの言葉、わかる?」
英語!
「はっ、はい! だいじょうぶ分かりますっ!」
わたしは日本人だけど、家庭の事情で英語はできます。履歴書に書ける唯一の特技です。ちなみに書けないのは『足でドアを開けること』。いやそんなんどうでもいい。
「よかったぁ。具合は? おねーちゃん、三日も寝てたのよ?」
言われて、いっぺんに記憶がよみがえりました。
はるばるやって来た異国のリゾート地で、小さなオンボロ飛行機に乗って、落ちて。何日か海を漂って、やっとのことで猫の額みたいな小島に這い上がって、気を失って。
ついでに、ムチウチをやった首の痛みと、ひどい疲労感も思い出しました。
あらためて光のほうに目をやると、外は真っ白な砂浜。すぐに途切れてキラキラゆれる碧の海に溶け、その上に、怖いくらい青い空がのしかかっています。
ずっとひそかに憧れてた、南国でした。
……遭難してまで来たかったわけでもないですが。
「なにがあったか知らないけど、とにかく生きててよかった。
あたしはベル。モットーは『やりたくないことはやらない』。
よーこそ、このワイワイ島へ」
*
ワイワイ島。
聞き覚えのない名です。ワイワイ島の、ベル。
「正確には、ここはその離れ小島ね。動けるようになったら外に出てみて。近くに本島が見えるよ」
言われても分からないことばかり。
けどたしかに、生きてたのは奇跡的な幸運でした。しかも言葉まで通じるなんて、ますますラッキー。……幸運ならそもそも飛行機落ちな……いえなんでもないです。
「わたし、深雪っていいます。深い雪……あややや」
いつもの癖で漢字で説明しかけて、手ぇ振って打ち消して、
「ええと、助けてくれてありがとう。どこかで電話借りられますか」
少女……ベルの笑顔、好意にあふれてました。
「どういたしまして、深い、ユキ? の、ミユキ。デンワってなに?」
こっちは真顔になりました。
*
いや、いけないいけない。子供のジョークを真に受けちゃいけません。
忍耐と寛容を示すべく、ほっぺたに微笑みをのせてくり返します。
「わたし、ニホンって国から来ました。それで、飛行機の事故で漂流してたんです。母に連絡しないと」
ベル、まじめにうなずいて、
「つまりデンワは、遠くの誰かになにか伝えるものなのね。灯台のかがり火じゃダメかな? あとヒコウキってなに? 船とは違うの?」
小屋の中は涼しいのに、背中にじわっとにじむ汗。
これはジョーク、きっとジョーク。きっとどこかに『ウ♡ソ♡』と描いた看板を隠してるに違いない。
けどベルは、わたしを上回る忍耐と寛容で返事を待っているだけ。
あと、ひとつ気付いたこと。少女の薄い胸をおおっているもの、バンドゥビキニじゃなかった。
布でした布。一枚布を胸に巻いて結んであるだけ。さすがに、樹の皮をよーく叩きましたみたいな原始的すぎる代物ではなかったけど、カラフルに染めてもあったけど、決してわたしの知ってる水着でもブラでもありません。
くらくらする頭で、それでもなるべく丸い、やわらかな訊きかたを探して……ええとその……
「…………………………。蛮ぞく……?」
失敗しました。
*
ベルの話を要約すると、『よそが文明化されてるのは知ってるが、ここではわりと縁がない』。
彼女らは……彼女ら一族は、かれこれ二百年近く、外界との関わりをほとんど絶って暮らしているのだと。
「だから、そのデンワとか、すぐには難しいかも。ごめんね」
肩をすくめて、ちょっと気の毒そうな顔。たいして慰めにもならなかったけど、もちろん彼女を責めるいわれはありません。いわれもなければ心の余裕もない。
どうしよう。どうすんだこれ。
冬休み終わるまでに帰れるのかっ? 今年はつまんないケガでけっこう休んじゃってるし、出席足りなかったらダブリじゃない?
サ子に薫子、ああダブったらわたしあの二人の後輩だよ。どうしよう死ぬほどイジられる。
いやそんなことよりお母さん、じっちゃばっちゃ。心配してるだろうか。
それに毎日のささやかな楽しみにしてるスマホゲ
「スマホ!!!!」
「おわっ」
叫んで、伏せったまま、のけぞる少女の肩をガッシリ掴みます。われながら『死体かと思って近づいたら襲ってくるゾンビ』みたいな動きで。
「スマ……わたしの持ち物どこですか!? ありますよね!!??」
「いたいいたい、おーちーつーいーて。枕元、ほらそこの籠の中だよ」
ありました。
もちろんクリーニングして糊つけてじゃないけど、着てたものが蔓編みの籠に収まってました。
漂流生活のお供だった黄色と青のライフジャケット。大きく破れた長そでシャツ、靴下、ブラとスキャンティ(ごめんなさい二度と言いませんパンツです)。スカート、ブーツ、バッグとトランクは、遭難時になくしました。
そして、型の古い、あんまりかわいくないスマホ、色はパールホワイト。だいぶ前お母さんが買ってくれたやつ。なんで今まで忘れてた。
とびついて、祈りながら電源ボタンを長押し。
何回試してもつきませんでした。
何十回試しても。
*
「うう。ううう……」
「なーかーないの。よしよし」
さめざめ泣くわたしの頭を、ベルがなでてくれました。ううう。
「ミユキ。その四角いのがなんだか知らないけど、うまくいかなかったのね」
「ううう」
「でも大丈夫。うちのじいちゃんがなんとかしてくれる。今は、食べて、寝て、精つけよ?」
「うう……。おじい、さん……?」
「そそ。あたしのじいちゃん。島の長老」
この南国の太陽みたいに、どこまでも明るく笑うベル。
「じいちゃんが、あなた助けるって決めた。だから心配いらない。『外』の迎えが来るまで、ゆっくり待ついい」
「ほ……ほんとですか?」
「ホントホント、ベルうそつかない。ミユーキ、ママのとこ、帰れル」
この少女は。
真面目な話してんのに、なんでだんだんカタコトになってきてんでしょうか。さっきまでベラベラだったじゃないですか。
「ごはん食べるでしょ。タロのポイ」
「たろのぽい?」
「美味しいよ。体にもいいし。
ただし、邪な魂のものが食べると死ぬ」
「……まんいち邪でも死なないのがいいな……」
*
たろのぽいとは、ドロッとした、不透明な紫のペーストでした。予想に反してプラスチックのお椀に入ってます。
おそるおそる、木のスプーンで口に運ぶと、植物系のやさしい甘さ。正体はさっぱり分からないけど、ひとさじごとに弱った身に染みます。考えてみれば何日かぶりのごはん。
食べて、水もたっぷり飲んだら、急に眠気が襲ってきました。さっきまであれだけ寝てたのに、波に揉まれ、陽に灼かれて漂ったダメージはまだ抜けてなか、った。……
寝床につっぷして動けなくなったわたし、の背を、ベル、掛け布ごしに撫でました。
「よかった、ミユキ、ふつうの女の子だった。あんまり肌が白いから、みんな、海鳥かなにかが化けて出たんじゃないかって……」
あはは、ちょっといいですねその設定。そんな大層なものなら、さっさと飛んで、帰るんです、け ど ……。
*
夜。……目を開けたら真っ暗だったから、たぶん夜。
戸口の向こう。いつかみたいに、焚火の光のなか、細い背中を見ました。
ベルと同じ、ざっくり言えばバンドゥビキニにパレオというなりで、くせっ毛の髪をベリーショートにして。白い砂の上、膝を抱えて座ってます。
歌っていました。わたしの知らない言葉で。砂をすくっては、さらさら、さらさら、指の間からこぼしながら。
少し低めの、胸に響く声。素直で明るくて、でも、どこか物悲しいメロディ。短調で生まれたフレーズを拾い集めて、長調に紡ぎなおしたような。
話しかけようとして、勇気が足りず。迷ってるうちに睡魔にとりこまれて、
そのとき、焚火の人が、ふと振り返りました。
たぶん同い年くらいの少女。引き締まった頬と口元、細いあご。
怒ってるような、なにか憂いているような目。大きな瞳に強い光。
やだ、イケメン……
思いながら、また眠りに沈んでゆき……
*(幕間1)
少女が流れ着いた、次の次の夜。
外界を拒む島に、波を蹴立てて、一隻の高速艇が近づいた。
島との通信手段は、原則、光である。艇の側からはライトの、島からは見張り塔の灯火で信号を送る決まりだ。
その夜、艇からのメッセージはこう。
『我、遭難者を捜索す。心当たりありや』
島から短い返答が戻ってきた。
『なし』
今日は3話投稿します。よろしくお願いします(ペコリ)




