第九話 緊張するのはしょうがない
大通りを粛々と進む馬車は王都の中心に近づいた。城壁で囲まれた高台に聳えたつ、化粧石で装飾された白亜の王城が見えた。城という名だが塔はなく、いまや軍事拠点としての機能は失われている。
街とは堀で独立しているようにも見えるが裏手では地続きとなっており、その堀は美的センスのためにある。華やかな王都には合わせたような佇まいに、ガーベラは感嘆の息を漏らした。
「ユーニタスの城はどのような形をしているのですか?」
ガーベラをじっと見ていたムネチカがすかざず問う。
「母上の趣味が悪くてな」
「悪趣味の殿堂と言われてるっす」
こめかみを指で押さえるガーベラと苦笑いのキュキィ。
(あ、触れちゃいけないんだ)
ムネチカはそれ以上の追及を放棄した。ガーベラの機嫌を損ねたくはないのだ。
「王城という割には、規模が小さくも感じるが」
「あそこは式典がメインで、官僚などが実務を行うのは王宮です。王城の横手に広がる街のような建物群全てを称して王宮と呼んでいます」
「ほう」
ムネチカの説明にガーベラは少しだけ目を見開いた。カーテンの隙間から外を覗いている。
目の前には木造だが、細やかな意匠で縁取られた窓を持つ建物が軒を連ねていた。外壁は色彩も抑えられた淡い茶色で塗られ、屋根だけが目立つ赤で統一されている。
高台にある王城からの眺めた時、屋根の色でその建物の目的が一目でわかるようにだった。
王宮は赤。商店は緑。酒場などの飲食の場は黄色。住居は青。
都市計画で建物が変わろうともこの規則は変わらず、王都の街は色とりどりの屋根が散りばめられたモザイク模様になっているのだ。
「文化の違いか。我がユーニタスでは武が最優先だからか色彩はともかくとして無骨だ。こちらの方が艶やかで、私は好きだな」
物思いにふけるガーベラの言葉に、ムネチカはピクっと反応する。魔族と言えども、美的感覚はそう違わないのだ、と思ったのだ。そしてホッと胸をなでおろす。
(感覚が違いすぎたらギスギスしちゃうだろうな。でも回避できそうでよかった)
「んー、空から眺めたらいー景色なんだろーなー。ピューって飛んでみたいっすね」
馬車の中で羽を広げ、嬉しそうにパタパタするキュキィ。
彼女は蝙蝠のような自前の翼を持つが、実際はあの程度の羽では浮くこともできない。内包する魔力を無意識に使用して、魔法的に飛翔するのだ。
(空からか……王城から眺めるよりも、気持ちがいいのかな)
ムネチカの考えを見抜いたかのようにミニチュアドラゴンのルッカが彼の頭にへばりついてみーと鳴いた。
「あ、ちょっと、爪が刺さるよ、あの、ちょっと?」
ムネチカの黒い頭の上をちまちまと赤い羽根つきトカゲが移動してゆく。ムネチカは焦っているが、ルッカは楽しんでいるようだ。
「ルッカも殿下にはべったりっすね。好みは主と同じなようっすねー」
にかっと笑うキュキィに、黙れと言わんばかりの厳しい視線を送るガーベラ。良くわかっておらず、えへーと愛想笑いのムネチカ。
三者を乗せた馬車は王城前の跳ね橋を通過し、馬車止めに到着した。
王城に入った三人は、応接の間に案内された。採光の窓からは麗らかな春の日差しが部屋を暖めている。大きな姿見の鏡がいくつも壁に埋め込まれ、キュキィはその前でドレスのセットに余念がない。
キュキィがポーズを変える度に黒のドレスを押し上げる豊かな胸が揺れる。ムネチカはソファに腰かけながら、それを目で追っていた。
(すごいなー)
ムネチカは気にしてはダメだとわかっているのだが、男の子としての本能には勝てないのだ。
「いやー、ムネチカ殿下も男の子っすねー」
銀髪褐色の淫魔がこれ見よがしに手で下から胸を持ちあげている。キュキィの胸が揺れるたび、ムネチカの顔の温度が急激に上昇していく。そんなムネチカの様子に、ガーベラはキュキィと自分の胸を見比べてしまうのだ。
無表情のガーベラがムネチカに向かって歩き、彼の前にしゃがみこんだ。
バレていないと思い込んでいたムネチカの肩が大きく跳ねる。
(ああああ僕はなんてことをををををを)
ガーベラの紅い瞳に見据えられ、ムネチカは正座をしたかったが今の礼服を汚すわけにもいかず、ソファに腰かけたままだ。
「私だってまだ成長するはずだ。キュキィくらいには、なるぞ、きっと」
至って真剣な眼差しでガーベラが語る言葉を、ムネチカは引きつった顔でコクコクと首を上下させる。口を噤むべき、と本能に従った。
「あーに、あたしに張り合ってんすか。んなことしなくたってムネチカ殿下はお嬢様しか見ないっすよ」
「だが、いまムネチカはずっとお前の胸を見ていたぞ」
「そりゃ見て欲しいから強調したんすもん」
キュキィは再びたわわな胸を持ち上げ誇らしげに見せつけた。途端にガーベラの目つきが鋭くなる。
「お嬢様のお婿さんには手ーださないっすよ。あたしはまだ死にたくないっす」
降参と言わんばかりに両手を上げるキュキィに溜飲を下げたのかガーベラは目元を緩ませた。
(やっぱりふたりは仲がいいなぁ)
これからのガーベラとの生活に暗雲が立ち込めてもいい雰囲気ではあるが、純朴なムネチカはどこ吹く風である。まだまだ実感がないので仕方がないのだが。
「む、そうだ」
ガーベラが何かを思い出したようで、何もない空間に左手を差し入れた。彼女の手首まで空中で消え失せ、ムネチカは「ひぁぁぁ」と悲鳴を上げソファから転げ落ちてしまう。
(え、ちょっと、腕が消えてるよぉぉぉ!)
「大丈夫、空間魔法だ」
ガーベラの目の前に転がったムネチカは彼女の右手で起こされ、そのまま確保されてしまった。彼女から漂う花の香りにドキドキと心臓が暴走しそうになってしまう。
熱くなった顔で見上げた彼女の表情は、真剣だった。
(なんだろう、何か探し物でもしてるみたいだ)
ムネチカの予想が当たり、ガーベラが「あった」と呟いた。何もない空間ら抜き出した左手には、小さいながら燃えるような赤く存在感のある箱が載せられている。
(炎みたいに真っ赤だ!)
そんなことを考えたムネチカは、ガーベラの中に、静かに燃える炎を見た。初めて会った時のように激しく暴れるものではなく、慎ましく、それでも確かさを主張する、そんな炎が見えたのだ。
(あれ、まただ)
ムネチカは首を傾げながらガーベラの顔とその炎を見比べた。やっぱり無表情なガーベラだが、どことなく初対面の時よりは角が取れている気がした。
(見慣れたから、かな?)
綺麗に可愛いがちょっとトッピングされた、柔らかく女性らしい、そんな印象だった。無表情て近寄り難いガーベラが、手の届くところで待っていてくれるように、感じた。
「ムネチカ、私の顔に何かついているのか?」
ガーベラが訝しげな表情で顔をペタペタと触っている。額の目は動揺なのか右へ左へと大忙しだ。
ムネチカに見えている彼女の中の炎は不安げに揺れ、今にも吹き飛ばされそうに見える。
(これって、ガーベラさんの感情と同調してる? ちょっと試してみようかな)
「いえ、可愛いなって思いまして」
作り笑いだがにこりとするとガーベラの中の炎は天を焦がす勢いで燃え盛った。
(表情に代わりはないよね……)
違ったのかな、とその考えを放棄した。
ふふふ、と鏡の前で含み笑いのキュキィが気になったが、それよりもどこからか取り出した赤い小箱を思い出し、そちらに意識を持って行かれた。
「ガーベラさん、それは?」
ムネチカが訊ねるもガーベラは固まったがごとく動かない。背後ではキュキィが「あはは!」と声をあげて笑っている。
(ど、どうしちゃったの? 僕、悪いこと言っちゃった?)
ムネチカの眉が段々と下がり、ついには首もたれてしまった。
(僕はダメだなぁ……ガーベラさんを怒らせてばかりだ)
失意から目に涙をためこんだムネチカは、むにと頬を挟まれた。そのまま顔をあげさせられると、その正面にはガーベラの顔が間近にあった。その美しさにはっと息をのむ。
「ち、ちか――」
「ム、ムネチカも、可愛いぞ」
「ほへ?」
間の抜けた声を発したムネチカの頭の中では豚がワルツを踊っている。多数のカップル豚がイチニイサンイチニイサンと華麗なステップを披露していた。
背後では「ぷぷぷ」とキュキィが笑いをこらえている声が聞こえる。ムネチカには何が何だか理解不能な状況だ。
「ガ、ガーベラさん?」
「ムムムネチカ、こここれをだな」
ガーベラがムネチカから手を離し、赤い小箱に指をかけた。彼女が震える手で小箱を開けると、そこには大小ふたつの指輪がクッションに埋もれるように置かれていた。
シンプルな銀の指輪だが、そこには小さな赤い石が三つ埋め込まれている。まるでガーベラの三つの目のような配置だった。
「け、結婚、指輪は、早いと、思って、婚約指輪を、とにゃ」
無表情なガーベラが、どもりながら噛みながら説明する。その間も、彼女の三つの瞳はムネチカを見つめたままだ。ムネチカは一瞬だけ指輪に視線を落とし、すぐにガーベラへと戻した。戻さなければいけないという圧力を、ひしと感じていたのだ。
「婚約指輪、ですか? それなら僕も用意し――」
「これは、私が創ったリングだ。私の魔力と繋がっている」
ガーベラが言葉を遮った。小箱を目の高さにまで掲げ、指輪を見ろとばかりに差し出してくる。なんとなく、指輪自体が赤くコーティングされているようにも感じた。
「じゃあはめてみま――」
「ムネチカには、私が、はめよう」
小箱からさっと小さい指輪を取り出したガーベラが、茫然としているムネチカの左手を取った。
「は、はめるぞ」
表情が乏しいながらも頬をわずかに染めたガーベラが、ゆっくりとムネチカの薬指に指輪を通していく。サイズはやや大きめのようだが、そのせいあって付け根まで突っかかることなく嵌った。
「あ」
指輪が赤く光ったと同時に伸縮し、ムネチカの薬指にジャストフィットした。埋め込まれた三つ赤い石はぼんやりと明滅し、光を封じたように仄かに灯った。
「わ、光ってる」
驚いたムネチカが顔をあげると、無表情ながらもどこかドヤな気配のガーベラが出迎えた。
彼女はチロリと残った指輪に視線を落とし、そしてねだるようにまたムネチカを見てくる。さすがのムネチカも何をしてほしいかは理解できた。
「えっと、じゃあ」
ムネチカが残りの指輪をつまみ、ガーベラの左手を取った。彼女の表情はこわばっているようにも見える。緊張してるのかなとムネチカは考えたが、それよりも指輪が先だと気持ちを変えた。
ごくりと唾を飲み、ゆっくり指に滑らせていく。すすっと根元まではめるとムネチカの時と同じように明滅し、柔らかく光った。
「こ、これで……」
うまくいった嬉しさに顔をあげようとしたとき、扉がノックされ「謁見の準備が整いましてございます」と女性の声が聞こえた。
「わかった、すぐに行く」
扉に顔を向けたムネチカは、口をもごもごさせ、トマトのように頬を赤くさせたガーベラを見ることができなかった。