第八話 目が行くのは男の子だから
中庭のある正方形の建物の最上階。貴族用の寮の一室がムネチカの部屋だ。
ベッドに勉強用の机、本棚が一つ、カーテンで仕切られたクローゼット。質素だが、これが全てだ。
半分は空いているスペースで王子が住まうにしては殺風景だが、これはムネチカの希望だ。
勉学、というよりは鍛錬目的で入学しているムネチカにとって、ここはひとりになれるパーソナルスペースだった。
王子として式典などに出席しなければならないため毎日いられるわけでは無い上に、立場的に親友をつくりにくい状況が、なおこの部屋を安息地帯とさせていた。
その部屋で、ムネチカは式典用の白の正装に身を包み、ガーベラの到着を待っていた。
ちなみにガーベラを迎えた時も立ち襟純白の正装だったが、今の様相はピカピカの勲章が所狭しと付けられた、服に着られている、といったものだ。
「まだかなぁ。もうかれこれ一時間になるんじゃないかな」
ムネチカは部屋に備え付けの振り子時計を見て、そわそわと部屋を歩いている。
「女性の支度は時間がかかります故、姫は早い時間から湯浴びをされておりますので、もうそろそろお越しになるものと存じ上げます」
部屋の扉脇には、蒼穹色の騎士服を筋肉でパンパンにしたギルベルトが威風堂々と背を伸ばしている。ムネチカは、そんな筋肉隆々な彼を、羨望の眼差しでチラ見した。
(ガーベラさんも、やっぱりたくましい男が好みなのかな。魔族は体形の良い種族が多いって聞くし)
ムネチカは勲章で隙間の見えない胸に手を当てた。悲しいかな筋肉と呼べるものはなく、少し指を埋めれば骨がわかるほどだ。
同年齢に比べ体が小さく力も弱いムネチカの、弱りどころだ。
父も兄も筋肉質で隙の無い体型だった。服を脱げば逆三角形の肉体を誇り、その維持に鍛錬も欠かさなかった。
(僕だってその血を引いてるんだから、鍛えればきっと)
そう思い鍛錬しているのだが、効果のほどは現れていない。いまだひ弱といえる体つきだった。
悩めるムネチカが小熊の如く部屋をうろうろしている時に扉がノックされた。
「姫様をご案内いたしました」
扉の向こうからメイドの声が聞こえた。それに対しギルべルトが扉を開き「お入りくださいませ」と恭しく頭を下げる。
筋肉を押し込むように体を曲げるが、堂に入った動作で重苦しさはない洗練されたものだ。
その彼が開けた扉には、橙の髪を一つに結い、右肩から垂らしているガーベラの姿があった。
紺碧のドレスは色こそ昨日と同じだが、細身で彼女に似合うようなスレンダーラインのドレスになっていた。足元をスカートで隠し、その中はヒールなしの靴となるべく低く見せる工夫もしている。
手首までの袖丈、首まで隠しつつも胸元にハート形の開口部を持ち、寂しい胸を隠すように大きな群青色のリボンがフォーマルの中で可愛さを強調する、幼いムネチカに合わせたような装いだ。
「わぁ……」
今までドレスで着飾った女性は数多見てきたムネチカだが、成人男性を超える身長を持つ三つ目の女性の艶姿を見るのは初めてだった。
ガーベラの表情は硬いが、どことなくムネチカの感想を求めているようにも見える。彼女の二つの目はじっとムネチカを見つめているが、額の紅い瞳は、チラチラと彼を見ては視線を逃がしていた。
(すらっとしてて素敵だー)
だがムネチカは十歳である。女性を褒めるという紳士たる行動を忘れ、ただただ見惚れていた。
「ムネチカ、ど、どうだろうか」
ガーベラが囁くように声をかけた。後ろに控えているキュキィも耳をそばだてている。
「カッコいいです!」
目を輝かせ、ムネチカは答えた。
「そ、そうか、カッコイイか」
ガーベラは無表情ながらも額の目は半分閉じ、明らかな失意を見せていた。
ギルベルトでさえ、「殿下それは違います」と言いたげに眉を顰めていた。ガーベラの背後のキュキィもあちゃーという顔である。
「ムネチカ殿下、そこは『綺麗だね』って褒めることっすよ」
控えていたキュキィがにょきっと姿を現した。彼女は漆黒のお仕着せではなく、黒のAラインドレスに変わっていた。キュキィも国王に謁見するからである。
可愛らしい顔に合わせてふんわりと広がるスカートだが、その上に鎮座するのはガーベラとは対極の実りに実った巨乳だ。ガーベラ同様首まで隠すフォーマルスタイルだが胸元の開口は大きく、褐色の谷間を見せつけている。
ガーベラがスレンダーに見せているのに対しキュキィは淫魔らしく肉感たっぷり。
しっとりとキュート。対照的なふたりである。
(わ、わ、あんなに見えちゃってる)
ムネチカの視線は男の子らしくたわわな胸に釘づけだ。ギルベルトは顰めた顔をさらに苦々しく変え、キュキィから視線を外した。
「ムネチカ殿下。あまりそこをじろじろ見ない方が、いいっすよ?」
キュキィが屈託のない笑みを浮かべると、ムネチカは耳まで赤くした。ガーベラはじとーっとキュキィを睨んでいる。それすらもムネチカは気がついていない。
紳士になるにはまだまだな少年だった。
「ご、ごめんなさい」
キュキィの魔性の胸から急ぎ目を逸らしたムネチカが感じたのは、やや不機嫌に見えるガーベラの気配だった。
(あれ、なんか空気が痛い?)
刺さるような視線を感じつつも、ムネチカはガーベラを見ている。
彼女の橙の髪から紅蓮の焔が立ち上がるのが見えた気がしたが、勘違いだろうと決めつけた。
(あ、褒めなきゃ!)
「えっと、お綺麗です、ガーベラさん」
色々鈍感なムネチカは、満面の笑みを浮かべ、突然ガーベラを褒めた。いきなりのことに彼女は三つの目を瞬かせたがすぐに気を取り直し「う、うむ」と応えた。
宮殿から来た迎えの馬車に乗り、ムネチカ一行は学園を出発した。ギルベルトを御者として、馬車は学園から宮殿までの太い通りを行く。
王都ラシャスはほぼ円形に近く、宮殿を中心として南北と東西に走る大通りと環状線に走る通りを備えている。通りは石が敷き詰められ、馬車が五台並んでも余裕があるほどの幅がある。
大通りと環状線の交差点には衛兵が立ち、事故が起こらないように馬車の誘導もしていた。
通りの左右には木造と石造りが融合した建物が軒を連ね、商店がその間口に売り物を並べ道行く人に声をからして、露店に客をとられまいと必死だった。
品定めすがら歩く人々の表情は明るく、王都には平穏が根付いていた。、先の戦争の影は見られない。
朝の仕事始めの賑わいも落ち着いた頃だったために、道を歩く人は少なく、馬車は大通りの真ん中を悠然と進んでいた。
「平らな土地は、やはり交易には有利に働くな」
ムネチカの隣に座るガーベラが、窓にかかっているカーテンの隙間から外を覗いている。
貴賓を乗せた馬車が中を見られないようにする事は常識だ。もちろん中からカーテンをずらして外を見るというのもマナー違反だ。
ガーベラは風の魔法で少しだけカーテンをずらしていたのだが、ムネチカはそんなことには気がつかない。彼は昨晩の光の魔法しか見たことはないのだ。
「そうっすね。これだけ人も多ければ必要物資も膨大っすけど、物流が支え切れるっすね」
ガーベラの呟きに、キュキィが答えた。彼女は羽をたたんでムネチカの向かいに座り、馬車が跳ねる度にその胸をボヨンと揺らしている。ムネチカは膝の上で拳を握り、なるべくそこを見ないよう努力していた。
「ユーニタスでは、違うのですか?」
ムネチカはふたりの発言を聞き、疑問をぶつけた。彼の頭にはかの国の様相が全く浮かばないのだ。
「ユーニタスはほぼ全域が山岳地帯だ。街は地形に合わせて作られている。道は谷間を縫うように走り、その両側の傾斜に合わせて建物を造る」
「坂と階段ばっかりっすから、物を運ぶのも一苦労っす」
ガーベラ、キュキィと答えを貰えたムネチカは、そうなんですねー、と気の抜けた感嘆の声を上げる。
「故に我らは空を飛ぶ。ここにルッカに乗ってきたように」
ガーベラの切れ長な目を向けられ、ムネチカはドキンと心臓を跳ねさせたが、その拍子にあることを思い出した。
「そういえば、あの大きなドラゴンはどこにいるんですか?」
学園の屋上に降り立ったレッドドラゴンことルッカの所在である。
あれほどの巨体が大空を舞っていたら王都はこんな平和な朝を迎えてはいないはずである。軍が出動して大騒ぎで謁見どころではないだろう。
「あー、ルッカはここっす」
キュキィがドレスの腰あたりに手を回し、ごそごそと探り始めた。ムネチカは首を傾げた。
(かゆいのかな?)
ムネチカが失礼なことを考えている間に、キュキィが何かを掴んだ手を差し出した。そこでは掌サイズの大きさの、小さな赤いドラゴンがミーミー鳴いている。
それがムネチカの手に乗せられた。
「ドドドドラゴン!?」
呆気にと垂れたムネチカは手に乗ったドラゴンとガーベラの顔を交互にみた。
「このレッドドラゴンはルッカという名前で、魔法で造られた生物だ。魔力でできているから大きさを自由に変えられる。あの大きさでは邪魔だから小さくなってキュキィの翼の影に隠れていたのだ」
「魔力で生物を!? 大きさが変わる!?」
ガーベラの説明にムネチカの常識が木端微塵にぶっとんだ。彼は目を丸くして掌でミーミー鳴いているドラゴンを見つめた。
子猫ほどの大きさのトカゲは見たことがあるが、それには羽はなかった。いま自分の掌にいるのは、見紛うことなくドラゴンだ。
(手の爪がチクチクして、赤い鱗がスベスベして、シッポがペシペシして、長い首をふりふりして、カッコいいけど可愛い!)
ムネチカはルッカに心を鷲掴みにされてしまっている。
「自由に造れるわけではないが、限られた上位の魔族だけが造ることが可能だ。もっとも触媒も必要だから生成も簡単にはできないが」
「そ、そうなんですね」
ガーベラの説明にわかったような口を利くが、ムネチカは全く理解していない。そもそも魔法という概念を理解できないでいるのだ。
「アークレイムでは、魔法は珍しかろう」
「い、一部の魔力を持っている人間と、教会の司祭クラスが使える程度です」
「まぁ、そうだろうな」
表情はないが、どこか自慢げなガーベラを、尊敬の眼差しで見つめるムネチカ。彼女が三つ目で無ければ姉と弟のようにも見えよう。
が、実際は〝夫婦〟になる予定のふたりだ。
「我が命を聞け風の友」
ガーベラが言葉を紡ぐと、ムネチカの手の上のルッカがふわりと浮き上がった。
ドラゴンは羽ばたきもせず空中に漂うが、手足をジタバタとさせ、まるで水中でもがいているように見えた。
「魔法で浮かせてある。自分の意思に反して浮き上がっているからルッカも混乱しているんだ」
「すすすごいっって痛っ!」
驚きに勢いよく立ち上がったムネチカは馬車の天井を支える補強の梁にゴチンと頭をぶつけた。頭を押さえ涙目になりながら座る。瞬時にガーベラがルッカを掴み、キュキィに目配せをする。
「殿下、ちょっと失礼するっす」
腰を浮かせたキュキィは右手をムネチカの頭にかざした。
「我は与えん癒しの手を」
キュキィの手が緑に輝く。その淡い緑がムネチカの頭に雨のように降り注いだ。
「いた……くない?」
涙目をきょとんと変え、ムネチカはキュキィを見た。
「治癒の魔法っす。あたしは治癒とか支援系の魔法が得意っす」
「私の得意は攻撃魔法だがな」
目を細めてにかっと笑う褐色の淫魔と凛とした佇まいの魔王の娘が、そこにいた。