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ガーベラさん、それはちょっと  作者: 海水
はじめましてこんにちは
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第五話 ガーベラさんとの大事な話

 ムネチカは必死に走っていた。漆黒の夢の中、躓き、足をもつれさせながら振り返った。灼熱の炎を吐きながらレッドドラゴンが迫っている。


「グルァァァ!」


 巨体を揺らし、長い首をしならせ、耳をつんざく咆哮をした。

 

「な、なんでドラゴンが!」


 ムネチカは懸命に走った。だが背も低く体力的に劣っている彼は全力疾走も遅い。走れども走れども先が見えない闇に、ムネチカの心も折れそうになる。


(なんで僕が。僕ばっかりこんな目に)

 息が上がり足がもつれそうになる。背後から迫るドスンという足音と咆哮は大きくなるばかり。全身から嫌な汗が噴き出てくる。


「た、たすけ、」


 ムネチカが叫んだ瞬間、背後からの強烈な熱風で吹き飛ばされ、闇の中を転がっていく。


「うわぁぁっ!」


 流転する視界に方向感覚が消え、自分がどうなっているのかすらわからなくなってしまう。


 転がる勢いが弱まり、仰向けの体勢でようやく止まれた。肩を大きく揺らし、何回も息を吸い込む。汗が目に入り腕でゴシっと拭う。


「うぅ。どうして……」


 とめどなく溢れるものをひたすら拭い、ムネチカは嗚咽を漏らした。


「ムネチカ殿」


 突然降りかかる声に、ムネチカの心臓が止まりかけた。聞き覚えのある声は、ムネチカに様々な感情を湧き起こさせた女性のものだった。


(見たいけど、見たくない!)

 ムネチカはぎゅっと目を閉じた。彼の瞼に浮かぶ美しい(かんばせ)は怒りで満ちている。魔王の娘は情けない自分に失望したのだと、彼は思いこんでいた。

 だが、幼き王子が庇う腕はいとも簡単に取り払われた。


「ムネチカ殿」


 冷たい空気にさらされる肌。自分を呼ぶ声。

 ムネチカは目を開けざるを得ない状況だった。

 うっすらと開いていく視界には、ゴミを見るような目をした、ガーベラの顔があった。





「うわぁ、ごめんなさいッ!」


 ムネチカは夢にうなされ、目を覚ました。暗闇の中、静かに身体を起こす。肺の中の空気を入れ替えるように、何度も大きく吸っては吐く。額の汗をぬぐうと、全身に汗をかいて服が貼りついている事に気がつく。


(気持ち悪い……)

 ベタベタな不快感に声を上げようとしたとき、横から熱を感じた。なんだろうと腕を伸ばすと、ふにと柔らかな感触。自分のものではない触り心地に背筋が凍った。


「え、なに? ちょっとまって」


 ムネチカはその体勢のまま、何がどうなっているのか確認を始めた。頭が記憶を探し出しフル回転する。

 魔王の娘と縁談が結ばれ、彼女と寝食を共にすることになったことを思い出した。


 彼女を迎えに屋上へ出て、ドラゴンから降りるガーベラの下着を見てしまったことを思い出し、はわわ、と全身が熱くなる。純粋培養の十歳の男の子には刺激が強すぎたのだ。


 そのあと手の平にキスをされた事実を思いだし、ピシリと氷結した。


(手の平にキスって、その、お前は私のモノって宣言だよねぇ……)

 その時のガーベラの眼差しが頭に浮かび、ムネチカの顔が、全身がカッと熱を持つ。はわわわわと口が波打つ。


「ふぁぁぁっ!」

「ムネチカ殿、どうした!」


 思わず叫んでしまったムネチカの横で、何かがふぁさっと毛布をはねのけた。そしてそれはムネチカの背後から抱き込むように腕をまわしてくる。


 頼りない背中を押してくるささやかな柔らかさ。髪にかかる吐息。明らかにムネチカよりも大きい身体。

 柔らかな肉体にすっぽりと包まれ、彼の頭は混乱の極地だ。

 

「うなされていたが、何かあったのか」


 耳元で囁かれたのは、ガーベラの声だった。


「うわぁぁぁぁ!!」


 ムネチカ三度目の絶叫である。





 窓がなく、灯りもない暗い部屋に、ポウとぼやけた光の球が現れる。それはゆらゆらと天井辺りをうろつき、薄明りで部屋を照らし出した。


「な、なに! お化け!?」

「ムネチカ殿大丈夫だ。あれは私の魔法だ」

「ふぇ?」


 声に振り返ったムネチカの視界には、凛々しいガーベラの顔が目と鼻の先に迫っていた。


 薄明りの中でもはっきりとわかる、きめ細やかな肌。陰影のコントラストが作り出す美貌に、ごくりと音がするほどつばを飲み込んだ。


 切れ長の目で周囲を警戒するガーベラの気迫にムネチカは、ハタと我に返る。ガーベラ同様、周囲を見渡した。


「気配はしないな……」


 ふっと安堵の息を吐いたガーベラが、ムネチカを見た。三つの深紅の瞳と視線が絡まると、ムネチカは言葉を失った。意識がガーベラに吸い取られてしまったかのように惚けている。


 ガーベラは心ここに在らずなムネチカの様子を見て、コホンと咳払いをする。


「い、一緒に寝ていたのは、ムネチカ殿の身の安全を図るためであり、邪なる欲望からきたのではないことは、きっぱりと述べておく」


 キリっと音がしそうなほど硬い表情で告げられ、ムネチカは困惑するとともに、やはり年下では男に見られないのだなとがっかりした。


 だが王族としての教育はそれを顔に出さなかった。いままでも貧弱な体型で陰口をたたかれることもあった。我慢して平静を保つことを、早くから覚えざるをえなかった。

 ただ疑問はある。


(身の安全、とは?)

 王国も一枚岩ではない。色々な有力者がおり、権力争いも当然存在する。


 今までは戦争が一致団結させていたが、それが終結した今、王族とて気を抜けばその地位から転落してしまう。

 戦乱の終結がは平和だけでなく、権力闘争ももたらしたのだ。


 ムネチカはそのことなのだろう、と考えた。そして、そんなことまで知っているガーベラに尊敬の念を持った。


「あの、ありがとうございます」


 ムネチカはぺこりと頭を下げた。王子たるもの簡単に頭を下げてはいけないのだが、畏敬の念を抱いた相手にはそうもいかない。だが相手がムネチカが一目惚れしてしまった女性であり、魔王の娘でもある。問題はなかった。


「大丈夫、私がついている。婿殿は私が守ると、誓おう」


 凛とするガーベラの声にうっとりしてしまいそうだったが、ムネチカは意識を持って行かれないように耐えた。男の子としての矜持である。

 そして、素朴な疑問風に切り出す。


「あの、ちょっと、近づきすぎでは、ありませんか」


 現在ガーベラの顔はムネチカの目の前にあり、さっきから吐息がかかっているのだ。


 頬が沸騰するほど熱せられるのを自覚しながらだが、ムネチカは男女の距離を保とうとした。

 縁談の相手で将来を約束していはいるが、今日が初対面だ。純粋な王子様はガーベラを好ましいと思いつつも、時間をかけて仲良くなりたいと考えていた。


 しかし、とうのガーベラは、そうは思っていないかのような振る舞いだ。


「遠くては守ることができぬではないか」

「え……」


 しれっと言い切るガーベラに、戸惑いを隠せないムネチカ。彼が教育された男女の距離感とは違うのだ。


 男女は近すぎず、しかして遠からず。ただし好いた女性は手の届く場所にて囲うべし。

 ムネチカは、こう教えられていたのだ。


「ま、魔族では、こうして肌が触れるまでに近寄ることが、多いのでしょうか?」


 ムネチカは、人間は違うのだと、暗に伝えようとした。恋人、夫婦ではピタリと寄り添うこともあるが、親しくなっていない男女は距離を保つのだと。


 だが、ガーベラの表情は硬いまま変わらない。

 なにかまずいことを言ったのではないか。間違ったのではないか。とムネチカが不安に思ったその時。


「いや、魔族とて親しくもない相手とは、このように接することはない」


 ガーベラの深紅の瞳が妖しく光る。三つの紅玉に見詰められ、ムネチカはドキッとしてしまう。


(もしかしたら、僕、試されてる?)

 肌を寄せ合う程の距離感は親しい間柄ととれるのだが、ガーベラの表情は動かず、にこりともしてくれない。


 もし親しみが好意であるのなら笑みのひとつも見せてくれるはずだが、三つ目のプリンセスは、その魅力的だろう笑顔を向けてはくれていないのだ。


(実は嫌だけど役目だと思って仕方なく僕の前にいるのかな)

 ムネチカは、優しさの裏側には真の意図があるのでは、と勘繰ってしまっていた。


 実際のところ、ガーベラは仲良くしたいのだがムネチカの前では緊張して顔が強張っているだけだ。


 経験値のなさからくる微妙なすれ違いに、ムネチカもガーベラも言葉に詰まり、嫌な沈黙に支配されてしまった。ふたりは仄かな明かりの中、身じろぎもせず見つめあったままだ。


「んあ、ふたりしてもう起きたんすか?」


 離れて置いてある長ソファから、キュキィの寝ぼけた声が聞こえたきた。ぼんやり形が浮かぶ彼女は、眠いのか目を擦っているようだ。

 やり取りを聞かれていたのでは、とムネチカは額から汗が流れる。ふいにガーベラの指がムネチカの唇にムニと当てられた。ふと見上げた彼女の顔は、ソファに向いている。


「キュキィ、夜明けまでは時間がある。まだ寝てていいぞ」

「あー、お邪魔してごめんなさいっす」


 キュキィはパタリと倒れるや否やクークーと寝息をたてはじめた。ほっと胸を撫でおろすムネチカだが、安堵と共に寒気に襲われた。二の腕がププっと粟立ち、ブルリと身体を震わせる。


「春が近いとはいえまだ夜は冷える。ふむ、体が冷え切ってしまっているな」


 ガーベラに二の腕を触られ、押し倒されるように寝かされてしまう。毛布を掛けられ、そして背後からぴたりと体を寄せられた。


 彼女は高い体温でムネチカを温めようとしているのだろう。背後から腕を回され、お腹に掌を当てられれば、ムネチカとしてもおとなしくしているしかない。


 だが、彼女から伝わってくる肉感と熱が心地よく、じんわりと頭の中の不安を溶かしていくようだった。


「気が進まぬだろうが、少し我慢してくれ」


 ガーベラにすまなそうに言われ、ムネチカは小さく首を振った。ぴったりくっつく嬉しさ半分、子ども扱いに残念さ半分と、彼の心は未だ霧の中だ。


 天井にあった仄かな光も消え、再び暗闇が訪れる。


 背中に感じるガーベラの柔らかな感触と体温。頭に吹きかかる吐息。ムネチカの眠気はどんどん失われていく。


(こんなんじゃ寝られい!)

 眼が冴えて仕方がないムネチカは、ガーベラに聞きたかったことを口にする。


「ガーベラ様は、この縁談についてどうお思いなのですか? やはり立場上仕方なく、なのですか?」


 ムネチカの問いに、答えはすぐには来なかった。

 沈黙は、明確な肯定。

 ムネチカが、やっぱりか、と落ち込みかけた時に、その答えは来た。


「基本的には、そうだ」

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