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ガーベラさん、それはちょっと  作者: 海水
はじめましてこんにちは
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第三話 ガーベラさんがやってきた

 ムネチカが国王から命を受けてから数日が経った。


 王都ラシャス西部の役所が集積する地域に、ムネチカが通う王立カンパニュラ学園がある。王族をはじめ貴族はては商家まで、身分を問わず有能な子息を迎え入れている王国随一の学園で、騎士、侍女、それに人間では数少ない魔法を扱える学園だ。身体が小さく貧弱なムネチカは、肉体を鍛えるために騎士科に属していた。


 春の訪れも感じるようになった夕暮れ近く。朱に染まる三階建て正方形の校舎の屋上。ムネチカは、純白の立ち襟に仕立ての良いスラックスという正装でガーベラを待っていた。黄金の肩章が夕陽を浴び、赤く輝いている。


 いつもなら護衛の騎士がついているのだが、お互いにお供を連れないで会いたい、とのユーニタス側の要望があったため、彼はひとり屋上に佇んでいる。


「約束では、そろそろのはずだけど……」


 ムネチカは遠く北方の空を眺めやる。隣国とはいえ魔都と王都の距離は数百キロ離れているため、彼女はドラゴンに乗ってくるというのだ。だがその姿はまだ見えない。


 王子でも、着飾っても、ムネチカはまだ十歳の少年だ。しかもこの場にはひとりだ。


(恐ろしい女性だったらどうしよう)

 ムネチカは言い知れぬ不安でいっぱいだった。


 王都に、外交の窓口としてユーニタスの大使が詰める屋敷がある。縁談に関して、ユーニタスとの取り決めはこの大使館で行っていたのだが、その際に「ガーベラを怒らせない方が良い」と、殺戮姫の噂を肯定する話を小耳にはさんでいたのだ。


 彼女はとても美しい女性であるとユーニタス側の魔族は口を揃えるが、同時に恐ろしい女性だ、とも語った。


 縁談を持ち込んだ吸血鬼のプリンスを焼き尽くした、巨人族の求婚を断るために首領一族を滅ぼした、獣人との話が上がらぬよう皮を剥いだ遺体を獣人の郷に放り投げた、など、背筋が凍る逸話を聞かされていたのだ。


 いまだ姿を見せない年上の花嫁に対し、ムネチカの不安と畏怖は大きくなるばかりだ。


「本当に怖い人だったら、どうしよう……」


 大見栄をきったものの不安と恐怖に耐え切れず、もう帰ってしまおうかと考えた矢先、紫に変わりかけた空を、ドラゴンの咆哮が切り裂いた。


 ビクリと肩を震わせ驚いたムネチカの視界には、迫りくる巨大なレッドドラゴンが映る。圧倒的存在感の翼を広げ、赤銅色の鱗を夕陽でぎらつかせ、爬虫類の縦型の瞳孔を見開き、その凶暴な咢から牙を覗かせていた。


(ドドドドラゴン!! ドラゴンだよ!!)

 初めて見るドラゴンの獰猛さに、ムネチカの足は根が生えたように動けなくなる。ただただその威容を、眺めていた。


 恐るべき速度で大きくなるドラゴンの頭に、紺碧のドレスをはためかせ、悠然と立つひとりの女性が見えた。


 やがて眼前を覆いつくすほどのドラゴンが学園の屋上に降り立つ。彼女は艶やかな橙の髪を風になびかせ、深紅に輝く三つの瞳でもって彼を睥睨している。背後に夕陽を従え、威容を誇る空気を纏っていた。


「え、あ……」


 足を震わせるムネチカは声もなく立ち尽くし、そして、女性に見惚れた。


 切れ長のふたつの目と、存在を主張する額のもうひとつの目。きゅっと引かれたピンクの唇。美貌と言い切れる(かんばせ)に、目を奪われていたのだ。


(ガ、ガーベラ、様?)

 後頭部をガンと殴られるような衝撃。今までに感じなかった、腹の底から湧き上がってくる熱を持った感情。俗にいう〝一目惚れ〟だ。


(綺麗な()()だなぁ……)

 巨大なドラゴンの上に立つ女性は、紺碧のドレスを翻し、音もなく舞い降りた。眼前で起きたことが信じられないと目をパチクリさせるムネチカに向かい、コツコツとヒールを鳴らし、彼女は近づいてくる。


(あ、あの下着が見えてっじゃなくって、あんな高いところから飛び降りてって、目が三つある! 怖い。でも、静寂を纏ってるみたいで、かっこよくて、綺麗。すごい、綺麗。僕と違って、自信に溢れてる……素敵だ……)


 ムネチカの頭はガーベラの魅力で占領されてしまった。目の前に彼女が来るまで、魔法にかかったように動けないでいる。


 ガーベラがムネチカに相対した。ガーベラは、自分の父親よりも背が高い。子供と大人以上の身長差に、ムネチカはぐっと首を上げなければならなかった。


「お初にお目にかかる。貴殿が、ムネチカ・ミムラ殿であるか?」


 威厳あるガーベラの低い声が響いた。ムネチカがコクコクと頷くと、彼女は口もとを引き締めた。


(やっぱり、怒ってるのかな。情けない僕を見て、がっかりしたんだろうな)

 表情を固くしたガーベラは、自分に失望したのだと、ムネチカは悟った。そう思う程にムネチカの視線が下がっていく。つま先が見えたところで、彼の視界の隅に紺碧のドレスが映り込んだ。


 思わず顔をあげたムネチカは深紅の宝石を見た。ガーベラが跪き、背の低いムネチカの目線に合わせているのだ。


(近くで見ても、やっぱり綺麗)

 ムネチカは、ガーベラの瞳に囚われたように、意識を持っていかれてしまう。焦点の合わない映像の中、ガーベラに左手をとられた。暖かい彼女の体温が、濁流のように押し寄せてくる。


(ずいぶんあったかい)

 抗えない熱に浮かされながら、ムネチカは見た。ガーベラの中に、仄かに灯る炎を。激しい風に揺れ、今にも消し飛んでしまいそうな、小さな小さな炎を。


(これは、この炎は、なに?)

 その炎に奪われようとしていたムネチカの意識は、彼の耳に届いた声で引き戻される。


「私はユーニタスの魔王アザレアの娘、ガーベラ・ヴェニディウム」


 ガーベラの深紅の瞳はまっすぐムネチカを見据えている。名乗り返さねばならない場面だが、燃えるような紅の視線に絡め取られ、ムネチカの口は言葉を発することができないでいる。


 顔が火事のように燃え盛り、心臓が早鐘を打ち、喉が急速に渇きを訴え始める。足が小刻みに震え、膝が笑いかけている。


(冷たく見えて怖いけど、でも、でも、綺麗すぎ、目が離せない)

 ムネチカは全身で、胸を締め付ける緊張と思慕を、同時に感じていた。

 永遠とも感じる見つめ合う時間。ふたつの黒い瞳と三つの深紅の瞳は、お互いの姿を映しこんでいる。


「僕が、ムネチカ、です」


 かろうじて王子としての矜持が口を動かした。一瞬だけ三つの目を丸くさせたガーベラが、少しだけ、ほんの少しだけ、口もとを緩める。


「私は、貴殿の妻になる女だ」


 言い終えたガーベラは、上目づかいで彼の手の()に唇を落とした。ムネチカの全身の毛が一瞬で逆立つ。


 手に伝わる唇の柔らかさ。腕を走る、痺れを伴う快感。ムネチカの顔は湯気が出んばかりに真っ赤になった。


 手の()へのキス。


 ムネチカだってその意味くらい知っている。

 深紅の瞳に見据えられ、蒸気する顔の熱に浮かされ、ムネチカの頭はもう限界だった。


「はわわわ……」


 感情の決壊にムネチカの目がぐるりと白に変わり、崩れるように膝が折れ、グラリと身体が傾いた。張りつめた糸がぷっつりと切れてしまい、意識失ったのだ。

 

「お、おい、どうしたムネチカ殿! ムネチカ殿!」


 間一髪、崩れ落ちそうなムネチカを抱きとめたガーベラだが、こちらも想定外の事態に狼狽えはじめた。落とさないようにしっかとムネチカを抱いたまま、オロオロと周囲に顔を巡らせた。

 額の深紅の瞳もぐるぐると忙しなく動き、あからさまな動揺を示している。


「わ、私は何を間違えたのだ! キュキィ、私はどうすればよいのだ!」


 ガーベラがおとなしく屋上にお座りしているレッドドラゴンに叫ぶと、その背中に黒い人影が立ち上った。


「最初から間違えっぱなしっす!」


 呑気にあくびをしているレッドドラゴンの背中から叱責が飛び、ひとりの女性が現れた。翼を広げた、漆黒のお仕着せ姿のキュキィだ。


「キュキィの言うとおりにしたではないか」

「いやそりゃ、手の()にキスとかの話はしたっすよ? でもそれはお嬢様が()()()方であって、()()方じゃないっすからね? しかも掌にやりやががったっすよね? それ、プロポーズと同意義っすからね? もしかしてわかってやらかしやがったすか?」

「そんなこと、知ってるわけなかろう!」

「こっちに来る間、ずーーっと説明したっすよ? それに第一印象が大事だって。可愛いお婿さんに怖がられたくないって言ってたのは誰っすか?」

「ぐぅ……」


 キュキィは呆れ口調で捲し立てる。ガーベラは口を噤んで唸るのみだ。


「そもそもっすね、なんでルッカから飛び降りるんすか? パンツ丸見えっすよ?」


 眉を寄せたキュキィは組んだ腕にたわわな胸を乗せ、ふんぞり返った。ルッカというのはこのレッドドラゴンの名前である。


「格好良いところを見せようと思って飛び降りてしまっただけだ。ちゃんと勝負用をはいている。問題なかろう」

「問題大ありっすよ! 伴侶となる男の子に、初対面でパンツ見せちゃう淑女がどこにいるっすか!」


 堂々と開き直ったガーベラに、キュキィの雷が落ちた。


()()()ごときで大げさな」

「その布きれが隠している場所がピンポイントでヤベーから問題なんすよ!」


 ダンダンと地団太を踏み、うがーと頭を抱えるキュキィに納得がいかないのか、ガーベラはむにと口を曲げる。


「それよりもムネチカ殿が起きない」

「そりゃ純真無垢そうな男の子が初対面の魔族の女性に掌にキスされりゃ驚いて気も失うっすよ!」

「親愛をこめたキスなのにか?」

「だからそれは男性からするもんであって女性からはしないのがしきたりっすからね?」


 顔面にべしと掌をあて、キュキィは俯いてしまった。

 

「しょっぱなから嫌われたらリカバリーすんの大変なんすから……」

「だ、大丈夫だ。真心は伝わる!」

「その自信はどこから来るんすかッ!」


 キュキィの魂の叫びは、夕陽に呑み込まれていった。

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