第二十一.五話 絶品
「まーったく、やってられねっすねー」
目の前の茶番劇を眺めているキュキィが大きなため息をついた。横には操られ状態のギルベルトが直立不動で石像のように佇んでいる。
万が一のことを考慮して、斬り合いには最初だけしか参加させていなかったのだ。
「いくら怯えてるからって、あたしを放置して馬車の中に戻っちゃうなんてひどいっす」
ぶーっと頬を膨らませる褐色の淫魔は、恨めしそうに馬車を見た。
ガーベラは、剣戟の音に怯えるムネチカとユキシロを連れ、「まかせた」と言い残し馬車に帰ってしまったのだ。
キュキィは、頑張ってるんだから褒めて欲しいっすよねーと胸の内で愚痴る。
「怪我させないように気を使ってるから、意外と魔力を消費するんすよー、これー」
たわわな胸を押し上げるように腕を組んだキュキィはフンスーと鼻息も荒い。
目の前で繰り広げられている斬り合いという茶番劇も、そろそろ終焉が近づいていた。待ち伏せていた男たちもほぼほぼ地に倒れており、残すところあとひとりになっていた。
もちろん死んだわけではなく、頃合いを見てキュキィが命令して寝っころがせただけだ。
「はぁ、なんだか腹が減ってきたっす。アイツらはまずかったから精気をいただくのは勘弁してほしいっすねー」
キュキィは盛大に息を吐いた。先程出かけていた際に、先回りして襲撃予定の男たちを逆に襲い、眠らせて精気をいただいていたのだ。
ただ、顔を顰めるほどの味わいだったらしい。ぺっぺと舌を出している。
「どうするっすかねー」
キュキィは腕を組んだまま、脇に突っ立っているギルベルトに視線を動かした。
「そういやあんたは味見してないっす」
キュキィは組んでいた腕を解き、パチンと指を鳴らした。音を聞いたギルベルトが静かに手袋を外す。
ごつく厳めしい大きな手が露わになる。
「綺麗好きだか何だか知らねっすけど、ずっと手袋してると蒸れるっすよ」
眉間にしわを刻んだキュキィが腕を伸ばし、ギルベルトの右ひとさし指を掴んだ。漆黒のお仕着せのポケットから取り出したハンカチで入念に拭きはじめる。
「まったく、なんであたしがコイツの指を拭かなきゃいけねーんすか」
キュキィはブツクサと不満たらたらだ。
ギルベルトはキュキィに対して敵意を隠していない。キュキィはそのことについて気にはとめていないが、あからさまに敵意を向けられるのは気持ちの良いものではない。
文句の一つも言ってやりたいところではあるが、ガーベラの立場を考えると自重するしかない。
キュキィにもいろいろ事情があるのだ。
「綺麗になったっすかね」
満足いくまで拭き取った彼の指を、キュキィは口もとに持っていく。
「さーて、お味はどうっすかねー」
キュキィはパクリと指を甘噛みした。むぐむぐと頬を動かし、グワッと目を見開いた。蝙蝠のような翼も限界まで広がり、尻尾もぴーんと天を突く。
「んんーんん、んんんんん!」
盛大に喉を動かし、ゴクゴクと嚥下する。頬を紅潮させつつも、モグモグは止まらない。
両手でギルベルトの指を掴み、蝶が蜜を吸うようにチューチューと音を立てている。
「んあーーっ こってり濃厚なのに切れのいいのどごし! 上品できめ細やかな甘味! 今まで吸った人間のなかで最上級に旨いっす!」
プハッと指から口を離したキュキィが、恍惚とした表情で叫んだ。ギルベルトはやや眉を寄せ、苦しそうにしているが直立不動のままだ。
キュキィはかぶりつくようにギルベルトの指をくわえた。再び、夢中で彼の指を吸いはじめた。より深く味わうために彼の指に舌を絡める。
催促するように舌先を皮膚に突けばそこから甘美が染みだしてくる。
もむもむと唇を動かしながら、潤んだ目でギルベルトを見上げた。
ムカつく癖に極上とか、輪をかいてムカつくっすね。でもウマー!
キュキィはガーベラの親友として、お付の侍女として、食事にはうるさい。美味しいものを食べてきて舌も肥えている。
その彼女を満足させ、虜にするほどの甘美である。
何がおいしいのかは、吸われているギルベルトにもわからないだろうが。
キュキィはキュポンっと指から口を離した。
「いやー、今日一日の疲れがふっとぶっすねー」
手の甲で口を拭ったキュキィがうっとりと呟く。焦点の合っていない瞳はどこか遠くを見ているようであり、夢心地から抜け出せていない。
脳内で味わいを反芻しているのか、キュキィは体をくねらせ余韻に浸りこんでいる。
「にへへへ、絶品のデザートを見つけちゃったっす」
キュキィがブルブルっと体を震わせる。
瞳を赤く明滅させた褐色の淫魔が、獲物を見つけたような、妖艶な笑みを浮かべた。




