第二十話 どうして僕が
後半部分を差し替えました。
展開は同じなのですが、場面が違ってます。
馬車は軽快に街道をゆく。アークレイム王国を分断しているマリエネ山脈までは四日ほどかかる予定だ。
青天下の日差しは柔らかく、窓から差し込む暖かさで馬車は中は春模様だった。
やれることもない中で定期的に揺れるリズムは眠気を誘うもので。
「ふわぁぁぁ」
ムネチカが大きな伸びをすると、その大きく開いた口にユキシロの指があてられた。
「人の目がないとはいえ、気が抜けすぎですわ」
「そうは言うけど、暇だよー」
窓の景色は林の木々を映すばかり。
ちょうど森林を抜けるところらしく、馬車がつくる風に揺れ青々とした葉が見えるのみなのだ。
「ガーベラ殿を見習って本でも読んでいては?」
ムネチカの横に座るガーベラは、先ほどから足を組んだ姿勢で一心不乱に本を読んでいた。
三つ目とはいえ美女が静かに読書にふける姿は、非常に絵になっている。ムネチカは見惚れて息をのんだ。
「さすが魔王の娘ですわ。様々な嗜みがあるのですのね」
にこりと笑うユキシロに、ガーベラの額の目が向く。
「キュキィの勧めでな」
「何を読んでいるので?」
「うむ、人間同士の恋愛模様を描いた大作だそうだ。三角かと思いきや、四角や、果ては五角形や同性の男女関係が描かれていて、なるほどこれが人間か、と思いながら読み進めている」
ガーベラの言葉を聞いたユキシロが固まった。
「それは、読んではいけない本なのでは……」
「我らと違う思考でな、なかなか面白いぞ。子孫の作り方にも縄を使うなど様々な手法があって、なるほど人間はこのようなやり方もするのかと感心しているところだ」
「……そこは感心して欲しくないですわ」
ガーベラがすっと顔をあげたので、耳まで赤く染まったユキシロは口もとを扇子で隠した。
「いずれムネチカとそのような行為に及ぶと考えれば、ユキシロも学ぶべきだと思うが」
「そそそ、それはそうですが、もう少し体が成長しませんと、その」
「ふむ、成長せねばならない何かがあるのか」
「えっと、その、月のものが、その」
ユキシロは額にハンカチを押し付けおどおどとしている。
女性特有の問を言いあぐねているが、ガーベラはピンと来ていないようで小さく首を傾げていた。
「月のもの、とはなんだ?」
「あー、その話はあたしが引き継ぐっす!」
今まで存在を感じなかったキュキィがシュタっと手をあげた。
「帰ってきたか」
「えぇ、問題なしっす」
褐色の淫魔がニカっと笑う。
「そういえばいつの間にか姿がなかったけど、気がつかなかった……」
ムネチカはそうこぼした。
キュキィはユキシロの横、つまりガーベラの向かいに座っていたはずだった。ムネチカもそう認識していたし、気配も感じていた。
だが、ガーベラの言い方では、出かけていたかのようだ。
「ちょっと偵察に行ってたっす。ついでに食事にも」
キュキィが、やや艶やかになった頬をスリスリと撫でまわす。褐色で目立たないが、確かに肌のてかりが強くなったとムネチカは感じた。
「食事って?」
「いやー、あたしってば淫魔っすよー。食事と言えば決まってるっすよー」
キュキィはニッと口を緩め、ピコピコと畳んだ羽を動かす。耳をそばだてていたユキシロの頬がさっと赤く染まった。
「で、その月のものというのは、なんだ?」
ぶった切るようにガーベラの声が響く。不機嫌そうな感じを受ける声色だった。
「あー、なんつーか、魔族には無い生理現象っすかね!」
キュキィがテンションそのままで即座に答えた。
「我らにはない?」
「魔族ってひとくくりにできるほど単純じゃないっすけど、まぁ、魔族は常に身籠ることができるっすね」
「そうだな」
「お嬢様だって可能っすからね? 自覚持つっすよ?」
「私はいつでも大丈夫だ」
「色々自覚してほしいっすね……」
褐色の淫魔は項垂れたが、即座に顔をあげた。多少のことでめげてはガーベラについていけないのだ。
「で人間はっつーと、ある特定の時期でないと子を宿すことができないんす」
「ふむ、不便だな。それでも数では魔族を圧倒しているのか。恐ろしい繁殖力だな」
ガーベラが「うむ」と腕を組んだ。ムネチカは、なんだか違う方向に話が言ってるなぁと感じつつも、黙ってふたりの会話に耳を傾けた。
「まー、魔族は恒常的に雄を欠いてるっすからねー」
「ことの始まりはお前たち淫魔が男を根こそぎ奪ったから、という説もあるが、まぁ、そんなことに今触れても意味はない。現在では雄が圧倒的に足りない」
「あたし達だってドラゴンとかには興味ないっすよ。あくまで自分たちと似たような姿で、そうっすね、せめて獣人とかまでっすかね?」
「そうやって我らは自らの種を強化していったからな」
ガーベラが感慨深く頷いた。話が迷子になったあげく魔族の進化についてにたどりついてしまい、ムネチカとユキシロは顔を見合わせた。
「どこまで行くんだろう?」
「気のすむまで進んだところ、ですわ。きっと」
ふたりは同時に肩を落とした。異種族の溝はなかなかに深いのであった。
街道をゆく馬車は森を抜け、見渡す限りの草原に出た。低い丘が連なりうねるように見える道をひた走っていく。
王都から大分離れ、人影も無い。あるのは前後を軽快な足取りで走る騎馬だけだ。
暇そうに欠伸をするムネチカとそれに連れられて扇子で隠しながらも欠伸をするユキシロ。
暖かな日差しと適度な振動が眠気を誘う。
窓の外を眺めていた風のガーベラが、正面に座るキュキィに目配せをした。視線を受けたキュキィはニッと歯を見せる。
「そろそろっすかね」
ガーベラは小さく頷いた。合わせたかのように馬車の速度が落ち、景色の流れが遅くなっていく。
(あれ、なんかすごく眠くて……力が、はいら、ない――)
ムネチカは自身の身体に違和感を覚えるがどうすることもできず、そのまま前のめりに崩れ始める。
「ムネチカ!」
向かいに座っているユキシロが身を乗り出し、彼の身体を抱きとめた。ムネチカの顎が頼りなくユキシロの肩に落ちる。
「ど、どうしたのですか」
ユキシロは馬車の床に膝をついてムネチカを支えた。
(あ、力が、はいら。ない)
無事だと言いたくても口すらも動かなかった。不安からかぎゅっとムネチカを抱きしめるユキシロが、ふぅと大きく息を吐いた。
「息は、あるようですが、これはどうしたことですの?」
「キュキィの魔法で寝てもらっただけだ」
頭上からガーベラの声が降る。何のことはないと言わんばかりの声色に、ユキシロの目が吊り上った。
「ガーベラ殿のことだから、ムネチカの生命を脅かすことはないと思いますが」
ユキシロの視線がガーベラとキュキィを行き交う。
「無論だ。ムネチカになにかあったなら、私の命を差し出そう」
「大丈夫っす! 強力な睡眠魔法っすけど、後遺症もないっすから!」
ムネチカの体に回されているユキシロの腕が、さらに強まった。
ユキシロは、ガーベラを信用してはいるが、信頼まではしていない。そもそも会って数日なのだ。〝信用〟といえども、国家間の約束事という後ろ盾があっての信用だ。
何か理由があるのだろうとユキシロは推測しているが、だからと言ってやすやすとムネチカを渡すつもりもない。
数瞬のにらみ合い。
ムネチカの体がまだ動かない。せめて口だけでも動けば仲裁もできるのに、と臍を噛む。
「訳を聞いてもよろしくて?」
ユキシロは、ほんの少しだけ腰を動かし、ガーベラから距離をとる素振りをする。意味がある行動には見えないが、これは彼女の意志表示だ。
話は聞くが、ことの次第ではムネチカは渡さない。
ユキシロからはそんなオーラが出ていた。
もっとも、くったりとぬいぐるみのように抱きしめられているムネチカは、背中で繰り広げられている殺伐とした会話を、ハラハラと聞いているしかできないのであるが。
「……この先で待ち伏せがある」
ガーベラの落ち着いた声が車内に良く響く。
待ち伏せと聞いてムネチカの鼓動が大きく跳ねた。
ラーヤーンとは仲が良くない。むしろ敵対すら感じていた。
流されるように彼の地へ向かうムネチカは贄に近い。
自分を人質とし、城を脅すこともできる。
力もなく無力な自分はやすやすと捕まるだろう。
魔法が使えるガーベラはキュキィと共に逃げるだろうが、ユキシロは。
ムネチカは脳裏に流れる映像に叫びたかった。
(僕に、力があれば)
ユキシロに抱かれたムネチカは、口に苦いものを感じた。
「待ち伏せとムネチカを眠らせたことの因果関係がわかりませんが」
ユキシロの気丈な声がムネチカを現実に揺り戻した。普段のユキシロの服よりも薄いからか、彼女の体温がやけに暖かく感じる。
(心配かけてばかりだな、僕は)
ムネチカは自らの情けなさに目を閉じた。
「待ち伏せといっても、こちらに危害を加えるのではなく、自分たちの力を誇示するためのようだがな」
無表情ながらもガーベラの言葉には呆れの色が見え隠れしている。
「誇示する、というと……」
「襲撃者を見事撃退して武威を我らに見せつける、と。襲うのも彼の軍勢だろう」
「はぁ、それはまた、愚挙ですわね」
ムネチカの頭を乗せたユキシロの肩が力なく下がる。彼女も呆れたのだろう。
「その程度で武を賞賛すると思われては、魔族としては不満しかない」
「わたくしだって、侮られているとしか思えません」
ふたりの言葉にムネチカはホッとしたものの、胸にはもやつくものが生まれていた。
「ですが、どのようにしてその企みを知り得たのですか?」
幼女と思えぬオーラを纏ったユキシロが問う。ユキシロの厳しい視線がガーベラに向けられた。
「あー、それはあたしがあいつらから聞きだしたっす。魔法で催眠状態にすればなんでも答えてくれるっすよ」
褐色の淫魔がニカっと挙手をする。
「という顛末だ。彼らの監視を潜って説明する時間もなかったことは詫びる」
ガーベラは殊勝にも頭を下げた。
「くだらない企ての件は理解しましたが、そのこととムネチカを眠らせたことの因果はなんですの」
ユキシロが、ムネチカの背に回した手を緩め、優しくポンポンと叩く。
宥めるようなその行為に、彼の胸がほわわんとなる。わだかまりの塊が胸から静かに消去されていく。
彼女はムネチカが起きているとは思っていないのだろう。普段のユキシロでは考えられないことだ。
(あ、でも、ユキシロとは手をつなぐことくらいしか……)
そう考えた途端、ムネチカの身体が熱くなる。密着度が違うのだ。
いま、情けなくもムネチカは抱きとめられている上にしっかりとホールドされている。
これだけ密着した異性はガーベラしかいない。
彼女に比べれば、思春期すらも迎えていないユキシロの肉体は骨を感じるくらいに、華奢だ。
それでも子供特有の高めの体温はしっかりと彼女を伝えてくるのだ。
年齢的にもその手に疎くて当たり前のムネチカには、刺激的だった。
(良く考えたら抱き合って、る!?)
幼馴染とはいえ、これほどのスキンシップはなく、ムネチカの顔は今にも火を噴きそうだった。
(ドキドキがやばいよ! 起きてるってばれちゃうよ!)
頭の上に鍋を置いたら水が沸騰しそうなくらいグツグツなムネチカだが、次のガーベラの言葉で一気に凍りついた。
「ムネチカが起きていると、我らが彼の策略を見抜いているとばれてしまうだろうからな」




