第十九話 かっこいいのがガーベラさんです
あれから三日経った早朝。ムネチカは学園の玄関にある馬車置き場にいた。ラーヤーンに行くためだ。
ムネチカから少し離れて止まっている豪奢な馬車は、ラーヤーンを治めるジグ家が用意したものだ。
細やかな彫刻を施した三頭立ての大型馬車で、いたるところに金を施し、朝日に煌めいている。脇では、上等な生地で仕立てた詰襟に身を包んだ迎えの使者が自慢げに胸を反らしていた。
自らの富を知らしめるためだろうことは、ムネチカにも察せられる。彼自身、見慣れているもので興味もわかないが、気にしているのはガーベラの反応だ。
魔族とはいえ、彼女は支配者階級だ。当然の嗜みとして芸術品を見る目も肥えているだろう。
ムネチカの部屋は殺風景であり、調度品も高いものではない。
彼女が高価な意匠をどうとらえるのかが、気がかりな点だった。
ガーベラとキュキィは、不安でいっぱいのムネチカに気がついているのかいないのか、ラーヤーン側の先制攻撃ともとれる馬車を前にひそひそと話をしていた。
「っとにこの馬車でいくんすか? ルッカで飛べばすぐ着くっすよ?」
「向こうが用意したものを無碍にすることもないだろう」
「殿下だって用意してたっすよ?」
ガーベラを嗜めるためだろうか、キュキィがムネチカをチラ見する。実際にムネチカは馬車の用立て、途中での宿など手配をしていたのだ。
だが、それは無駄になってしまった。ガーベラの選択は、ムネチカではなくラーヤーンだったからだ。
ムネチカは、会話の中身は聞き取れないものの、おそらく馬車の豪奢さについてだろうと予測し、ため息とともに俯いてしまう。
「うむ、それは知っているが、何かあった場合、私が破壊してしまうだろう。ムネチカが用意してくれたものを壊すなど、できん」
「さっくり壊すとか言わないで、もう少しこう、おイタするとか、マイルドな言葉にならないっすか?」
きっぱり言い切るガーベラに呆れたキュキィの尻尾がへにょりと下がる。
「最優先はムネチカだ。それは揺るぎない。それにな、相手の術中にはまるのも楽しいだろう?」
「そうかもしれないっすけど」
「ムネチカにあだなす輩からは思う存分精気を奪っていいぞ」
「やー、いいっすね、それ!」
キュキィの声が急に大きくなり、ムネチカはハッと顔をあげた。ガーベラの横で、褐色の淫魔がにんまりと笑みを浮かべている。漆黒のスカートから覗く尻尾もにょろにょろと嬉しそうだ。
(やっぱり見栄えがいい方が好みなのかな……)
少し離れているムネチカは、怖くて聞きに行けず、ただ悶々としていた。
大使としてザイザル姉妹が着任しているが、彼女らはふたりだけでアークレイム王国に来ており、またキュキィはガーベラの世話役でもある。心を許せるのはキュキィだけなのも理解できるが、そこは自分にも教えて欲しいと思うムネチカだ。
一応、頼りなくも伴侶となる存在である。時間はかかろうとも信頼を寄せられる相手でありたいとも思っている。
ムネチカはラーヤーンからの使者を見て、自らの手を眺めた。
彼は、自信に溢れる態度を裏付けるように筋肉質で引き締まった肉体をしている。剣の腕も鍛えているに違いない。
翻って自分の手は小さく、柔らかい。剣を握ってはいるが、皮膚は柔らかいまま。体質とはいえ、まるで女の子の手だ。
(頼りないよな……)
小さな手をぎゅっと握りしめたところで、背後からポムと肩を叩かれた。
「朝から俯いていては、楽しい一日が始まりませんことよ?」
ムネチカが振り返れば、そこにはユキシロの姿があった。肩口までの髪を手の甲で追いやり、鶴があしらわれた扇子を優雅に仰いでいる。
「ユキシロ……って、その恰好は?」
「ラーヤーンへはお忍びなのでしょう?」
コテンと首を傾げるユキシロは、白を基調とした、ややクリームがかった色の、ゆったりとしたシルエットの上着とズボン姿だった。
いつもの前あわせの衣装ではなく、生地は滑らかで袖口など随所に刺繍はされているが、その辺の町娘が着ていてもおかしくはない恰好だ。
ムネチカは目をパチクリとさせ「ラフ過ぎない?」とこぼした。
「動きやすい服の方が都合良さそうですし、何より矯正下着をつけなくって良いのは、楽ちんですわ」
扇子で口を隠し「ほほほ」と楽しそうに笑うユキシロに、ムネチカは二の句が継げない。
「む、来たか」
頭上から聞こえるガーベラの声にムネチカは我に返った。彼女はいつの間にか背後にいたようで、腰に手を当て大地を踏みしめていた。
淑女の振る舞いとは程遠いが、朝日にも負けないオレンジのワンピース姿のガーベラにはよく似合っていた。
「朝の支度に少々時間がかかってしまいました」
静かに頭を下げるユキシロを、ガーベラは興味深く眺めている。
「ふむ、普段と違う服なのだな」
「えぇ、ムネチカのお世話も致しますし、動きやすい方が良いのですわ」
「ムネチカの世話なら私がするぞ?」
「ガーベラ殿はもう少し人間の特性を学んでからの方が良いかと」
「痛いところをつく」
見上げるユキシロと見下ろすガーベラのやり合う姿を、ムネチカはハラハラしながら眺めている。
ふたりの間に入って取り持つべきだろうが気迫に圧倒され、さながら蛇に睨まれたカエルだった。
「はーいそこのふたり! 朝からなーに剣呑なんすか。えっとムネチカ殿下、これで揃ったっすね?」
キュキイは割り込むように手をパーンと合わせ、朝焼けに響かせた。
「あ、えっと、ガーベラさんにユキシロにキュキィさんにギルベルト。と僕」
ムネチカは人差し指で確認をしていく。バサリと羽音をたて、マイクロドラゴンのルッカがムネチカの頭に降りてきた。むぃー、と不満げな声で鳴いている。
「あー、忘れてた」
ムネチカは頭からルッカをおろし、胸元に抱いた。マイクロドラゴンはみゅみゅみゅと満足げに喉を鳴らし、そこが定位置だと訴えている。
「ま、ムネチカの護衛でもあるからな。仲睦まじいのは鼻につくが」
ガーベラの三つの目が細まると、ルッカがひぁぅっと悲鳴を上げ、ムネチカの腕から逃れ背中に貼りついた。
今回ムネチカが南部自治区ラーヤーンへ行くのはお忍びであるが故に、警護たる騎士はや兵士はつかない。護衛の責任者であるギルベルトのみが随行する。
代わりに警護するのは、ラーヤーンの部隊である。目立つわけにもいかず、部隊と言っても五十人ほどではあるが。
「さて、行きましょうか」
何故か嬉しそうなユキシロが、真っ先に馬車へ乗り込んでいった。
王都の石畳を駆け、街を取り囲む壁を抜け、馬車は南へ伸びる街道を走っていた。王都を囲む農場を、太く切り裂く街道だ。
収穫したばかりの野菜を荷車に積み込む農夫の姿を眺めながら、ムネチカは今後について考えていた。
(ラーヤーンでは何があるのかなぁ。ロクなことではないと思うけど)
馬車の前後には騎馬隊がガードしている。パッと見はどこかの貴族の一向に見えるだろう。道行く商人や旅人と思しき人々の視線がそう語っている。
だが、ムネチカ達は軟禁といっても差し支えない状況ではあった。
ギルベルトは御者席につき周囲を警戒しているが、腕利きとはいえ彼ひとりではできることは少ない。人気が無くなったあたりで襲いかかって来てもおかしくはない状況だ。
(ガーベラさんもユキシロも、ちっとも不安そうじゃないし。ユキシロなんかニコニコしてるし)
彼女も同行するのはガーベラの希望でもあったのでついてきている。もっとも勝手についてきそうではあったが。
本来であれば侍女もついてくるはずが、ユキシロひとりだ。ムネチカ同様で護衛もいない。
(守ってくれる人もいなくって、良く知らない土地に行くのに心細くないのかな)
ムネチカは、良くわからないや、と口の中で愚痴をこぼした。
「ムネチカ。そんな暗い顔をしてないで、みかんでも食べませんこと?」
ムネチカの向かいに座るユキシロが声をかけてきた。膝にハンカチをひろげ、その上でみかんの皮をむいている。
漂う柑橘系の香りに、ムネチカの口にはつばが溢れた。
「はい、どーぞ」
ムネチカは差し出されるままにむいたみかんの半分をユキシロから受け取った。あらかた筋をとってあり、このままかぶりついてもおいしそうだ。
意外と手慣れたユキシロの様子に驚きつつも親指でこそぐように一粒だけ口にする。
「んーーすっぱ!」
ムネチカが口を尖らせる様子を、くすりとわらうユキシロ。なんとなく騙された気がして、ムネチカはモグモグしつつも、やったなーと心で文句を述べた。
「確かにすっぱいな」
ムネチカの横ではガーベラもみかんを食べていた。四つに割ったみかんの塊を豪快に口に入れながら、だが。
「時期ではないですからね」
ユキシロはそう言い、小さく開いた口でお淑やかに食べている。酸っぱいものには強いようで、眉ひとつ動かさない。
「ふむ、そう食べるのか」
ガーベラが、ユキシロの真似をしてみかんを一粒つまんだ。控えめに口を開き、みかんをゆっくりと押し込んだ。
そのぎこちない様子を見ていたムネチカは、ふと違和感を感じた。
「僕的には、美味しそうに食べてれば少々のマナー違反も問題ないと思うんだけど。美味しそうに食べる女性って魅了的だと思うんだよね」
「男性がそう思っても、世の女性はそう思わないのですわ。淑女はそうはできないのです」
疑問をそのまま口にするムネチカは、おすまし顔のユキシロに窘められてしまう。
「淑女って、ユキシロはまだ九歳じゃないか」
「もう十分女性です」
「むーー」
ぱくっとみかんを口にするユキシロにあっさりと言い切られ、ムネチカはもにょる。
ひとつではあるが年上なのに口では勝てない悔しさを、奥歯でみかんを潰すことでやり過ごした。
「ムネチカは……」
おずおずという感じのガーベラの声を聴き、彼は反射的に顔を横に向けた。
「その、ユキシロと話している時は、砕けたものいいで楽しそうなのだが……」
表情は乏しいが、どことなく寂しそうな声色のガーベラだ。ムネチカはングっとみかんを喉に詰まらせかけたが、強引に呑みこんで口を開く。
「ユキシロとは、ずっと小さい時からよく話をしていたからこんなふうに会話をしてますけど……」
無表情でじっと見詰められ、ムネチカは背筋に嫌な汗が流れるのを感じた。美形の無表情は、迫力があり少々怖い。
(もしかしたら怒ってるのかなぁ)
表情からは心が読めないながらも、声色でガーベラの感情を読み取ろうとした
「私の時にはそうではないのは、慣れていないだけなのか?」
ガーベラの問うような三つの視線に怯みそうになるも、ムネチカは拳をぐっと握り見つめ返す。
「慣れていないのはありますけど、その、ガーベラさんはかっこよくって、どうしてもかしこまった言葉使いになっちゃいます」
ムネチカ自身は偽りない言葉で返したと思っているが、向い座るユキシロはカクッと肩を落としていた。
「ふむ、かっこいい、か。前にも言われたが、ムネチカは可愛いよりもかっこいいが好みなのか?」
真摯な赤い目がムネチカを射抜く。彼女はどうやら本気で尋ねているらしい、とムネチカは理解した。
と同時に答えを用意しなくてはいけなかったが、急には思いつかない。
ムネチカが砕けた口調で話す女性は、母親を含めてもユキシロくらいなものだった。
「えっと、その、女性に向ける言葉じゃなかったですね、ははは」
「かっこいいは、だめなのか?」
「ダメとかではなくって、その……」
ムネチカは、純粋に問うてくるガーベラに言葉を詰まらせた。
ガーベラからは怒りの感情は感じない。そのことはムネチカから不安を払しょくさせたが、うまい言葉が見当たらない。
(なんていったらガーベラさんは怒らないかな)
頭をフル回転させ答えを探すが、なかなか出てこない。そもそも女性とこのような会話をすることもまれなのだ。
「私は母とは似ずに育った。母は、娘である私から見ても可愛いと思う程だが、残念ながら私にはそれはない」
訥々と語り始めたガーベラに、ムネチカの本能はヤバイと感じた。これ以上話をさせてはいけない。ムネチカはガーベラの手をとった。
ガーベラの三つの目が開き、その手からは僅かな震えと魔族特有の高い体温が伝わってくる。
「ガ、ガーベラさんはガーベラさんです。かっこいいのがガーベラさんです。その、ひ弱な僕から見ると眩しいんです。言葉はおいおい直していくので、今はこれで仕方ないと思ってほしいです」
必死に訴えたムネチカの言葉がどう響いたのか。ガーベラは、無表情で固まっていた。




