第十八話 なんでどうしてこうなった?
ムネチカは、石の道路を走る馬車に揺られていた。王宮から学園へではなく、その逆である。
両脇には、三つの鋭い視線を窓の外へ向けるガーベラと、すまし顔でちょこんと座るユキシロの姿が。
男子たる者一度は経験してみたい両手に華だが、ムネチカの顔はすぐれない。
(どうして僕は意気地がないんだ)
どんよりと俯くムネチカの心など素知らぬように、王都の空は快晴であった。
ムネチカにとって、寝耳に水が多すぎた。
学園に戻ったムネチカはガーベラを探した。南部自治区ラーヤーンに行くことを報告せねばならない。
できれば隠密に、周囲には知られないようにしたかったムネチカだが、彼が自室に戻った瞬間、その思惑は木端微塵に破壊された。部屋には、絶賛午後のティータイムという体のガーベラとユキシロがいたのだ。
「ほぅ、ムネチカは芋虫が苦手なのか」
「そうですの。美しい蝶になるための、一時の仮の姿でしかないのだと、幾度となく諭しても納得しませんの」
「魔族には巨大な虫族も多い。ムネチカには是非慣れてもらわねば。ユキシロは平気なのか?」
「淑女たるもの虫ごときで取り乱しては末代までの恥、ですわ」
「ははは」「うふふ」とご機嫌なふたりに、唖然と言葉も出ない。
(ちょっと待って、なんでユキシロがいるの?)
ガーベラとの関係を深めるのには一番の障害と思えるユキシロが、よりによって仲良く歓談しているのだ。ムネチカの困惑もここに極まれりだった。
「ここは女人禁制だったはずなんだけど」
「ムネチカ。同居人が増えた」
しれっと答えたのはガーベラだ。
「どうきょ、にんって……え? もしかして?」
「もしかしなくても彼女だ」
ガーベラがスッと立ち上がり、ユキシロの背を押す。ユキシロはテーブルに三つ指をついた。
「不束者ですが」
ゆっくりと首を垂れるユキシロは、満面の笑みで顔をあげた。
なんでどうしてこうなった?、とムネチカはガーベラを見上げた。
「彼女は私と志を同じくし、そして私を導いてくれる師だ」
助け舟を沈められたムネチカは困ってギルベルトを見上げた。が、彼も唖然としているだけだ。
彼はムネチカの護衛の責任者という立場で、ユキシロにモノを申すわけにはいかない。彼女の家は王家に連なる血筋であり、ギルベルトよりも数段格上なのだ。
「魔族の嫁に人間の嫁。ふたりいてもおかしくはないと思いますけど?」
ユキシロがしれっと言う。
「うむ。我らが諍いを起こさねば、問題はない。私としては魔族としての矜持を保ったままムネチカの伴侶として人間にとやかく言われぬようユキシロに教えてもらうこともできる」
ガーベラの気にしていない様子にムネチカの心はかき乱されっぱなしだ。
ユキシロは幼馴染で好意を向けられていたことは知っていたが、そこまでだったはずだ。そこから先はお互い立場がある者として別な道を歩むはずだった。はずだった。
だがその分かれ道は、先っぽで合流してしまったのだ。
「ユ、ユキシロの父上は、この話を知らないんでしょ? 勝手に決められることじゃないよ!」
「うむ、その辺が杞憂か」
ガーベラが腰をかがめユキシロを窺う。彼女の澄ました笑顔が返答だった。
「では今から話し合いに行こう」
ガーベラがすっと背を伸ばした。紫のスカートがふわりと揺れる。
「話し合いって、突然無理だと思うよ……」
ムネチカは口を尖らせた。
「誠意を尽くせば分かり合えるのが人間ではないのか?」
「そ、そうだけど……」
ガーベラが問うようにユキシロを見た。ユキシロは強く頷く。きまりだ、と魔族の姫君は呟いた。
「よし、行こう」
ラーヤーンの話もできず、ムネチカはただ事の成り行きを見ているしかなかった。
アークレイム王国は国王であるクニツナ・ミムラを頂点とした君主制である。王の下に大臣がおり、政務を担当している。
議会はなく、重要案件は各大臣が出席する会議で決まり、最終的に国王が判断する体制だ。
ユキシロの父ユキノジョウ・サナダはサナダ家の当主であり、王国の内務を司る大臣だ。宰相に近い立場ではあるが財務、警邏は別途大臣がいる。
国王以外に権力を集中させないためのであるが、それでも王族ということで権力は大きい。
ムネチカはガーベラ、ユキシロを伴い、ユキノジョウの執務室にいた。でっぷりとした腹が食べ過ぎの魚のように思える風体であるが、整った顔つきがその容姿を補っている男である。
「これはこれはムネチカ殿下にガーベラ姫。ご足労をおかけいたしたようで申し訳ありませんな。ギルベルト殿もご苦労様です」
ユキノジョウは、ムネチカの突然の訪問にも温和な笑みを浮かべ迎え入れた。執務机の前に置かれているソファにかけるよう手で促す。
ムネチカは左をガーベラ、右をユキシロに挟まれる形で座った。ユキノジョウはその対面の椅子に腰掛け、ギルベルトはムネチカの背後に立っている。
「用件は、察しております。我らの力は足りず、ガーベラ姫には多大なるご迷惑をおかけしてしまい、我が身を恥じるばかりでございます」
「私は、何の迷惑をかけられたのであろうか?」
ガーベラは、頭を下げようとするユキノジョウを言葉で制した。ユキノジョウはキョトンと目を瞬かせた。
「はて、ラーヤーンの件でいらしたのでは……」
「ラーヤーンとは?」
首を傾げるガーベラの様子に、ユキノジョウがムネチカに視線を移す。
「もしや殿下?」
「えっと、兄上と話をした後すぐに学園に戻ったんだけど、説明するまもなく宮殿に舞い戻ってきてその……」
「なるほどなるほど、そうでしたか」
おどおどするムネチカにもユキノジョウは笑みを浮かべたままだ。
(だらしないって思われてるのかな)
ムネチカはユキノジョウが苦手である。叔父に当たる近しい人物なのだが、その真意が見えない様子にムネチカは萎縮してしまうのだ。
笑みは人の心を安らかにさせるが時として刃物にもなる。
自分に自信がないムネチカにとって、その笑みは嘲笑にも思えてしまうのだ。
「本日参ったのは、他でもありません。わたくしとムネチカとの縁談のお話です」
ムネチカへの助け舟なのか我慢しきれなかったのか、ユキシロが口を挟んだ。
「えん、だん?」
微かに頬をひきつらせたユキノジョウがムネチカに顔を向ける。
娘がとんでもないことをしでかした、という心情が、ムネチカにも透けて見えた。ただ、訳が分からないのはムネチカも一緒だった。同情してほしいとは思うが口には出せない。ムネチカは曖昧な笑みを浮かべた。
「うむ、ユキノジョウ殿のご息女であるユキシロは、私と同等の立場になったのだ」
脇から口を挟んだガーベラに対し、ユキノジョウは顔面蒼白で口を半開きにした。
「なななな、なんという無礼を」
目をカッと見開いたユキノジョウはその場で膝に額をつけるまで頭を下げた。
相手が魔王の娘であり、彼女の機嫌を損ねれば王都は愚か王族が根絶やしにされかねないと考えた末だ。自分の娘がその原因と分かれば一族郎党処罰されるのは、如何な王家に連なる家とて避けられない。
ユキノジョウの行動は、決して大げさではないのだ。
「ふむ、何故無礼なのか?」
「な、何故とおっしゃいますが――」
ガバリと顔をあげたユキノジョウは、三つの目を細め威圧感しか感じさせないガーベラを見て絶句した。蒼白を通り越し燃え尽きた顔色になり、そして頭の中で辞世の詩を詠んだ。
「待ってくれユキノジョウ殿。煉獄に落とされた亡者のような顔をしないでほしい」
ずいと無表情で迫るガーベラに、ユキノジョウはソファから崩れ落ちた。ムネチカの背後でギルベルトが動く気配がした。
(ガーベラさんが怖いって噂が流れてるからなー。あのザイザル姉妹が悪いんだけど、彼女たちはガーベラさんのために良かれと思ってやってることだしなー)
なす術もなく経緯を見守っていたムネチカは、ボタンのかけ違いを強く感じた。
魔族は怖い。強大な力で人を躊躇なく殺す。
長年にわたった戦火で、そう刻み込まれている。
(でも、ガーベラさんもキュキィさんも、そうじゃない)
ここ数日一緒にいただけだが、ムネチカは強くそう感じていた。
もちろんガーベラとキュキィにはムネチカと同じように立場と責任があり、簡単に暴走するわけにはいかないという枷はある。
普通の魔族では人間を敵視し、その力をふるうことに快楽を感じる者もいるだろう。それは憎しみを持つ人間も、同じだ。
ムネチカは、それを見過ごせない立場にある。
(ここで僕が断ってしまうと、ガーベラさんの評判も悪くなってしまうのか)
座っていることしかできていないムネチカは、その膝の上で握っていた拳に力をこめた。
人間と魔族の懸け橋となるべく意志を固めたばかりである。
(いきさつはわからないけど、ガーベラさんはユキシロを嫌うどころか仲良くなってる)
自分よりも先に、という思いも湧くが、この場を円満に収めるのが優先だと、ムネチカは立上った。
ガーベラの三つの紅い目が、ユキシロの黒瞳が、ムネチカに注がれる。その視線を感じつつ、もはやこれまでと絶望に染まっているユキノジョウの脇に膝をついた。
「えっと、なんというか、人生色々、というか、その、僕がガーベラさんと分かち合うには、ユキシロのサポートが必要なんです。たぶん」
最後の「たぶん」が気にらないのか、ユキシロが頬を膨らませた。
「なんですの、たぶん、って! わたくし以上にムネチカを理解しているのは、現時点ではおりませんことよ?」
ユキシロは顔だけをガーベラに向けた。
「うむ、現時点では、そうだ。だが今後はわからぬぞ?」
「今後は、あいこで我慢いたしますわ」
「ふふふ、そうでなくては」
ガーベラが、わずかだが口角を上げた。
残念なことに、ムネチカは不穏な空気を読み取り、顔をあげることができずユキノジョウを見ていたのだった。




