第十七話 魔王軍はファンシーだった
ヤスツナの言葉にソファの後ろのギルベルトの眉が寄る。ムネチカはパチクリと瞬きをして兄に口を開く。
「ラーヤーンに、ですか?」
ムネチカは、はて、と考えるように首を傾げる。胸元のルッカも長い首を曲げる。
兄は小さく頷いた。
「父上でも兄上でもなく、僕、ですか?」
「厳密に言うと、ムネチカではなく、その……」
「その?」
ヤスツナは言い難そうに顎をさすり、ムニと口を曲げた。
「ムネチカを、というのはおそらく口実で、ガーベラ殿を見たいのだと思う」
「ガーベラさんを!」
ムネチカがぎゅっと抱きしめたのだろう、胸元のミニドラゴンが苦しげにミュミュと唸る。
「内密に進めていたはずだが、どこかで漏れていたらしい。ガーベラ姫が到着すると同時にラーヤーンから使者が来た」
ヤスツナは苦々しげに眉間にしわを寄せる。ムネチカは苦しげに呻くルッカを抱いたまま視線を足元に移し、理由を探し始めた。
「ラーヤーンはユーニタスとの戦いには参戦していなかったはず……」
「ふん、腰抜けどもが。遠いだなんだと、のらりくらり理由をつけて山の向こうにこもった連中の言うことなど聞く必要はないかと」
思考の海に沈むムネチカとは逆に、ギルベルトは奥歯を鳴らし憤慨した。彼の父は兵を率いる将として、戦場を駆けた末に命を落としたのだ。
「多くの犠牲のもとにユーニタスとの和平が成り立つというタイミングで、何を言っているのか!」
「引きこもりだったおかげで、虎視眈々と王都を狙うだけの戦力を温存できたわけだ」
ヤスツナは苦笑いでギルベルトの言葉を受け止めた。
「ぬぅ、卑劣。あまりにも卑怯! かつて勇者の仲間だったということで領土の半分を分け与えた恩を、このような形で返してくるとは許しがたい!」
「落ち着いてくれギルベルト」
「も、申し訳ありません」
はち切れそうな筋肉を丸め、ギルベルトは頭を下げた。
「ガーベラさんを……何のため」
ムネチカは、ゆっくり顔をあげた。
「これって……」
「遠回しな脅迫、ともいえるかな?」
「顔を見せないと攻め込むぞ、と」
ヤスツナは肩をすくめることで、ムネチカに答えた。ギルベルトの顔が憤怒に染まる。
「なんたる侮辱! 我々の血で守り抜いた平穏に、ぬくぬくと使っていただけの連中がっ!」
「んーー、さすがにそれはあたしも看過できないっすねー」
「な、なにごとだ!」
ムネチカの影に潜んでいたキュキィが、床からぬぬぬと湧き上がってきた。予想だにしない事態にヤスツナの顔が引きつる。
「ご機嫌麗しゅうっす、ヤスツナ殿下」
漆黒のお仕着せ姿のキュキィが、可愛らしくスカートの裾をつまむ。
「昨日ぶりでございまっす」
「あ、あぁ、キュキィ殿か……」
ヤスツナは大きく息を吐き、「驚かせないでいただきたい」と背もたれに寄りかかった。
「殿下の御前ではしたない真似をお詫びするっす」
ニカット笑ったキュキィはムネチカの横に腰を下す。あまりにもしれっとした行動に、ギルベルトも声を上げられず、唖然としていた。
気にしなかったのはムネチカだけである。慣れと不用心と。色々と足りなさが露呈していた。
「ムネチカ殿下、申し訳ないっす。お嬢様の名前が出たとあらば、黙ってられなかったっす」
「そりゃそうだよね。キュキィさんの仕える主だし、親友だもんね」
「そう言っていただけると嬉しいっす」
褐色の淫魔はこれ以上ないという笑顔を見せた。ムネチカも頬も自然と緩む。彼女の笑顔にはそんな力があるのだ。
「で、ラーヤーンって、なんなんすか?」
すぐに真面目な顔に戻ったキュキィの言葉に、ムネチカが「そっか、知らないよね」と応ずる。
無遠慮な様子にギルベルトは眉間に深い谷をつくっているが、キュキィはどこ吹く風だ。
ムネチカは奔放なキュキィに慣れ始めていて、至って普段通りだった。
「アークレイム王国は、大まかに二つの土地から成り立ってるんだ。王都のあるアークレイム地方と、国の中央を南北に分断するマリエネ山脈の向こう側、ラーヤーンとね」
「あー、それって王都に来るときに遥か彼方に見えてた連峰っすか?」
「うわ、あんな遠くなのに見えたんだ」
「真っ白で綺麗だったっすよ! ユーニタスの山は岩ばっかりで、どんより見えるんっすよねー。いやー、綺麗だったっすねー」
ムネチカの脇にちょこんと座っているキュキィが、腕を組んでうんうんと首を縦に振る。
「早馬を飛ばしても一週間はかかる距離だよ!」
と興奮気味なムネチカ。
「それだけ遠いのに、あたしらの到着と合わせて使者が来たってことっすよね」
「そう、なるな」
苦笑いをしていたヤスツナだが、キュキィにそう言われ、神妙な顔つきに変わる。
早馬を飛ばすのは喫緊の事態で、街ごとに馬を用意し、昼夜問わず走ることを意味する。馬車でのんびり行くならば半月は覚悟せねばらならない。
「それだけ事前に用意されていたということか。かなり初期の段階から漏れていたことになるが……」
「ヤスツナ殿下、内通者を炙りだしましょうか」
「ここで騒ぐとばれたことが露見する。泳がせておいて対策を練る方がいいだろう」
ギルベルトの進言に、ヤスツナは額に手を当て俯いた。
「んー、それ、うちらからも情報がいってるかもっすね」
「ユーニタスから?」
思いもよらぬキュキィの言葉に、ヤスツナとムネチカは視線を交差させた。
「ムネチカ殿下にはお話ししたっすけど、うちも色々派閥があるっすよ。当然、魔王様に不満を抱く勢力もあるっす」
「一枚岩ではないって、ガーベラさんから聞かされたけど……」
ムネチカもそこまでしか聞いていないし、尋ねることもしなかった。自身が狙われると聞かされた時であったので、落ち度ではない。
「ユーニタスについて、さっくり説明するっす」
キュキィは人差し指をたて、尻尾と背筋をぴんと伸ばした。
「魔王陛下の軍、通称〝かわいらしき魔王軍〟は、ザックリ分けて五個の軍団から形成されてるっす」
「かわい、らしき……」
ヤスツナが肩を落とし、呻くように呟いた。
「アザレア様はそうおっしゃってるっす」
「そ、そうか……まぁ、確かにアザレア殿はかわいらしいと思うが……」
ヤスツナはそれとなく視線を逃がし、少し遠い目をした。
かわいらしい、という判定は主観にゆだねられている故、ヤスツナもそれ以上の突込みはできないでいる。
決してアザレアの趣味を非難しているわけではない。決して。
「アザレア様の配下には強い力を持つ魔族四人が四天王としてそれぞれ軍団を抱えてるっす。それとあたしの母親アグライアが率いていた親衛軍〝キューティーブラック〟っす」
ふざけているのか本気なのかわからない命名基準に、ヤスツナはさらに肩を落とし、ギルベルトは顔を顰め、ムネチカは目を輝かせた。
「カッコイイ名前ですね!」
「策略謀略を司る、軍を裏で支える、大事な部隊っす」
「ア、アザレア殿の好きそうな名前ではあるが」
「アザレア様の親友であった母も、大層気に入ってた名前っす!」
興奮気味なムネチカと頬を引きつらせるヤスツナに対し、亡き母を自慢するように、キュキィは嬉しそうに語った。
「で、母の〝キューティーブラック〟はアザレア様の手足となって働くっすけど、四天王はバラバラっす。竜王エリーシャはわれ関せずで自分の一族に被害が及ばない限りは中立でー、妖精王リューリは交戦的で誰が頭だろうが関係なく戦えればいい脳筋っす。獣王スカーレットはアザレア様のファンクラブ会員一番でガチファンっす。冥王ベアトリスは、良くわからないけどアザレア様をライバル視してるっすね」
「なるほど。だから戦場でも兵団がちぐはぐな動きをしていたのか。我が軍の戦術に対し、貴軍は各個の力で対抗していたわけか」
いい加減慣れたのか、ヤスツナは腕を組み、王太子の顔に戻った。
「まぁ、アザレア様が魔王としてまとめてはいらっしゃるっすけど、魔族はかなり自由っすからね。やりたいようにやっちゃうんす」
キュキィはヤレヤレと言わんばかりに肩をすくめた。自分も魔族なのだが、そこは棚上げのようだ。
「あの、今の話だと、怪しいのは明確だと思うんですけど」
おずおずと、ムネチカが手をあげた。ヤスツナも同意の頷きで応える。だがキュキィは小さく首を振った。
「あくまで推測であって確証はなんもないっす。先の戦争でも、ベアトリスは戦場で暴れまわっていたっす」
「人間に加担するいわれはないということか? 確かに、加担するならば兵を殲滅はしないだろうがな」
ヤスツナは足を組み、肘置で頬杖をつく。
兵を失えば、手を組んでいるアークレイム側の誰かも立場が悪くなる。損耗も避けるだろう。
ヤスツナであればその様な愚策はとらないということだ。
「戦場で、灰色のローブを着た幼女が、比類なき威力の魔法で殺戮を繰り返していたという報告があったが、もしやそれが冥王なのか?」
「あー、ベアトリスは見た目幼女実年齢数百歳のリッチーロードっす」
「魔族は我らの常識では測りきれんな……っと失礼した。悪気はないのだ」
ヤスツナは足を戻し、殊勝に頭を下げた。違和感なく会話をしているが、キュキィも立派な魔族だ。しかも次期魔王とされるガーベラの右腕である。
それにムネチカの婚姻相手はそのガーベラだ。ヤスツナの大きな失態であった。
後悔の滲むヤスツナの顔とは対照的に、ムネチカはぐっと口を結び拳を握る。
戦場での話を聞いても、年齢と立場故、戦いに出たことのないムネチカには実感がわかない。部隊の名を聞いて目を輝かせたことには、すぐに後悔した。
彼の部隊に、国民である兵が殺されているのだ。喜ぶなどもってのほかだった。
さらにはガーベラまで巻き込んでしまったことに、自責の念に駆られていく。
(僕がやらなければいけないんだ。兄上でも父上でもない、僕が)
ムネチカはソファから立上り、兄を見つめた。何ごとかと訴えかけてくる兄の眼差しをしっかと受けとめる。
「僕がその溝を埋めますから、大丈夫です」
静かだが、芯のある声で、そう言い切った。




