第十五話 友になって欲しい
「あれは、自分の体質を納得できないでいるのですわ」
ユキシロが、少し悲しそうに目を伏せたのを、ガーベラの三つの目は見逃さない。彼女自身、そのことに心を痛めているのが手に取るようにわかる。
恋の経験値はなくとも戦いの経験値は、一介の乙女などには負けない。
負けないからどうということもないのだが、それでも些細な表情の変化には敏くなる。
その敏さが恋愛面でも発揮できればよいのだが、そっち方面ではすっかり鳴りを潜めているのがガーベラだ。
「ふむ、体質、とな?」
彼女がムネチカに好意を抱いているがゆえに彼の問題を理解しているとわかり、ガーベラは身を乗り出す。
彼が苦しんでいるのならば、それを助けるのが妻の役目。ひいては、このことで好感度アップをさせ、ムネチカに好いてもらうという高度な戦略である。
恋愛面ではポンコツでもそれを戦闘で考えるとがっちり嵌る、という残念仕様ではあるが、これでもガーベラなりに考えてのことだ。
「ムネチカは、小さい時から体力がないのです。いくら鍛えても身にならない。そんな体質なのです」
「身にならないとは、筋肉がつかないということか?」
「えぇ、そうです。それに同じ年頃の男子と比べても小さい身長が、それに拍車をかけているのですわ」
緑茶で唇を湿らせたユキシロが、ふぅと艶のあるため息をつく。そのため息は彼を馬鹿にするものではなく、心配しているからなのだろうとガーベラは感じ取った。
伏せられた憂いのある瞳がひっそりと語っているようにも見えたのだ。
自分の半分にも満たない年齢の少女に、ガーベラはただならぬものを感じた。
(品格とは、出すものではなく滲み出るものだ。やはりこの少女は……敵にしてはならんようだ)
ガーベラは心の内で彼女を賞賛した。
「勇者の血を引くがゆえに自身の体質が許せない。そして周囲からの期待に応えられない、その周囲にすら見劣りする自分を責める思いに苛まれている、と」
「仰る通りですわ。ランニングや筋肉トレーニングなどで鍛えようとしていた時期もあったのですが、まったく結果が出ず、諦めてしまったようです」
「結果が出ず心が折れてしまうのは誰にでもあることだ。私とて不得手なことなどたくさんある。攻撃魔法は得意だが補助系魔法はお察しレベルだ。ムネチカを守るためには補助系魔法が必要だというのに、な」
ガーベラは背もたれに身体を預け、自嘲気味に言葉を吐き出した。
彼女は魔王の娘として、あらゆることができることを嘱望されてきた。
幼いころから英才教育を受けてきて、自身もそうあらんと望んだが現実は甘くなかった。得手不得手ができてしまったのだ。
努力はするが、できないものはできない。それがどれほど望まれていることでも。
彼女は、そこでそう悟った。
その上で母親に申し出た。
得意な面を限りなく伸ばすために欠点を補う存在が欲しい。
その系統はキュキィが得意としており、それが彼女がガーベラにつけられているゆえんである。
「仕方がないのだ。我が魔力は破壊には適しているが、何かの支えとなる力を生み出すことができぬ。魔王の娘といえども万能ではない。できぬことは、誰かに頼っても良い。それでいいではないか」
「まったくですわ。ムネチカの体質は仕方のないもの。個性として捉えてしまえばよいのです。戦うのは配下に任せればよいのです。ムネチカの才能をいかすべきはそこじゃない」
ガーベラの主張に、ユキシロも深く頷き同意をあらわす。少女はカップを両手で包み込むように持ち、頬をやや紅潮させ、興奮気味に話しだす。
「ムネチカは、体が弱かったせいもあって本をたくさん読んでおりましたのに、それをいかそうとしないのです。自分はダメなヤツなんだと内にこもってしまって、そのためにため込んだ知識を使おうとしないのです」
吐き出すだけ吐き出してすっきりした顔のユキシロが、緑茶をコクリと飲み、のどを潤している。
「才学非凡というやつか」
「そうですわ、ムネチカは学園でも座学は主席ですもの。ヤスツナ様の政の助けにと、国内の、とりわけ歴史的にも遺恨が多い南部の知識を積極的に習得してましたわ」
「ほぅ、ムネチカはヤスツナ殿の補助をするつもりだったのか」
「ユータニスとの戦いで得た戦術戦略、過去の法規体制なんかも修めてるはずですわ。ヤスツナ様が即位したときに新たに興される公爵としてどこかの領地をあてがわれた後、国のために働くにはと考えた末なんでしょうけども」
ムネチカにしかできないことなのだからもっと胸を張ればよいのに、と子供らしく頬を膨らませるユキシロを、ガーベラは微笑ましくも羨ましく眺めていた。
兄を心配するできた妹のように振る舞う背伸びに、姉妹がいない自分には生まれなかった感情を見つけ、ムネチカの得意なことを嬉しそうに語るその姿に、彼に対する政治的でない真摯な好意を見つけた。
(真っ直ぐで眩しいくらいだな)
まだ幼女と言われてもおかしくない年齢だからとガーベラは侮っていない。現時点ではムネチカを巡る争いの相手なのだ。
だが、彼女の話す内容からか、嫉妬という感情は湧かず、どちらかというと共感すら覚えた。
立場的な優位さからくる余裕なのか。それとも好敵手と捉えたのか。
ガーベラもはっきりと答えを出せないでいるが、ユキシロが何か腹に含んで接しているのではないと空気で伝わってくることがそう思わせている、と理解した。
なによりも、ムネチカをまっすぐに評価し、彼の貧弱な体を馬鹿にせず、それも個性だと言い切った部分に共感を得、感心したからかもしれない。
ガーベラも、いまは頼りなくも見えるムネチカが、いつかは自分を追い越すのだと信じている。
(夫を信じずして何が妻だ。なるほど、この子も本気でそう思っているのかもな)
考え付いた先の内容に、ガーベラはおかしくなり、ふっと顔の力が抜けた気がした。
「何かおかしくって?」
眉を寄せ、不機嫌そうにするユキシロに、ガーベラは右手をかざした。
「いや、淑女を目の前にして失礼した」
ガーベラはすっと立ちあがり右手を差し出した。
「貴殿とは相容れぬ立場ではあるが、私としては友好関係を構築したい」
ガーベラは言葉と共にまっすぐユキシロの黒い瞳を見つめた。ムネチカの血縁者だからか、光彩が良く似ている。
自信なさげなムネチカとは違い、ユキシロには強い意志がこもっているようにも見えた。
(本来であれば、ムネチカと彼女を足して二で割ればちょうどよい英傑になるかもしれないな)
そうは思っても妻の座を譲ろうなどとは微塵も考えない。意志の強さなら負ける気がしないからだ。
それはそうとして、ユーニタス側にも事情がある。その事情をもってすれば、目の前の少女と友好の維持は、難しくはないと思われた。
「……真意が読めないのですが?」
「残念ながら、私は腹芸が不得手でな。これこの通り悪意は持っていない。なんなら裸の付き合いとじゃれこんでも良いのだが?」
ガーベラがドレスの襟元に手をかけると、ユキシロも渋々立上った。同性愛の趣味はないようで、そこはガーベラもホッとした。
「貴女、バカですの?」
「ふ、得難い人物が目の前にいるのでな」
「わたくしが得難いのですか?」
ユキシロが可愛らしく首を傾げると、濡れ羽色の黒髪がさらりと揺れる。少女ながらも仕草の中に微かな女を見つけ、少し羨ましいと感じたが、そこは年長者としての余裕を見せておく。
「うむ。ともに同じ人物に心を寄せるという点で、戦うのではなく共闘できる相手であると感じた」
ガーベラの自信あふれる声に、ユキシロの眉が不愉快そうに歪む。
「わたくしは、ムネチカを渡すつもりは御座いませんけど?」
「そうはいっても和平と融和に傾いたこの流れを変えるのはアークレイムにとっても益はないと思われるが?」
険しい顔のユキシロが唇を噛んだ。彼女もわがままを通している自覚はあるのだ。
「そこで、戦友として提案があってな」
凄みを滲ませた笑みを浮かべるガーベラに対し、怯えた顔のユキシロが一歩下がった。
ガーベラは、やや高揚してしまったらしいが本人は気がついていない。
「そう身構えなくともよいではないか」
「そのような恐ろしい顔をされては、身構えてしまうのは当然です」
「恐ろ、しいか……」
ガーベラは、ちょっとしょげた。怖がらせようなどとは思っていないのだ。
魔王の娘ともあろうものが十にも満たない少女を怖がらせるなどしたならば、従えている魔族が狭量さに呆れてしまうだろう。魔王の器は、それなりでなければならないのだ。
「何をがっくりしているのですか? わたくしが言ったことが、それほどショックだというのですか?」
「うむ、正直、しょげた」
ガーベラは、ユキシロに対し、胸襟を開いた。彼女との対立は望まないのだ。
「はあ、なんだか気が抜けてしまいましたわ」
ユキシロのため息に、ガーベラは顔をあげた。言葉通り気の抜けた彼女の顔を見ると、なんだか頬が緩んでいく気がする。
「なんですの、その嬉しそうな顔は」
「む、そうか、嬉しそうに見えるか?」
ガーベラの額の目が爛々と輝いた。表情は死んでいるが。
「やっぱりわたくしをバカにしているので?」
訝しむユキシロに、ガーベラは頬に手を当てむにむにと揉んだ。
「育った環境もあってな、私は表情がないのだ。嬉しく見えていたのなら、それをムネチカに見せたい。そうすれば、私に興味を抱いてくれるようになるだろう」
真面目に語るガーベラを、ユキシロは「ほぇ?」という顔で見ている。
「私の噂くらいは耳にしているだろう。駐在のザイザル姉妹がやらかしおって、私は恐怖の権現だと思われている。まぁ、畏怖の目で見られることには慣れているが、ムネチカにもそう見られるのは辛い」
「魔王の娘なのだから、恐怖をもたれるのは、いわばまっとうなことでは?」
「貴殿がその立場にあり、そのせいでムネチカに怖がられたら、どう思う?」
「いや、ですわね」
納得の表情を浮かべたユキシロに、それは私もだと続けた。
「難儀ですわね」
「まったくだ。酔っぱらってブレスを吐き散らして暴れまわるドラゴンの群れを叩き落とす方が余程気楽だ」
「それには同意しかねますわ」
「なんだ、と?」
三つの目を大きく開き、分かりやすく困惑するガーベラ。大きなため息のユキシロ。
価値観の相違が甚だしいのだがガーベラにはそれが今一つ理解できていない。
いつもならキュキィのフォローが入るのだが彼女はムネチカの護衛で不在。ガーベラは額の目をオロオロさせながら必死に整合性を取ろうとしていた。
「なんとなく、事情が察せられましたわ」
思いっきり肩の力が抜け、ユキシロはやや項垂れた。呆れた、とも意訳できる。
「うむ、察してもらえたか」
「要はムネチカに好かれたいのでしょ。で、その術を教えて欲しいと。ついでに人間との価値観の相違を教えて欲しいと」
「おお、まさに。我が意を得たり」
「……いやですわ。何故敵に塩を送らねばなりませんの?」
「むむ。まぁ予想通りの答えだ。こちらもただで教えを請おうとは思わん」
ふいっと顔を背けるユキシロに、さもありなんと頷くガーベラ。
「先程〝提案〟と言ったろう。あれだ」
ガーベラの顔に威圧的な陰影が現れ、魔族としての凄みを滲ませる。ひっと顔を引きつらせるユキシロを無視するように、ガーベラは続ける。
「魔族は先天的に男が生れにくい。理由はわかっておらんが、嘆いても仕方がないと考えた先祖は、解決策を練った」
わかるか?とガーベラは詰問する。
まるで尋問だが、気性の荒い魔族らと相対していたガーベラにとってはこれが普通なのだ。
テーブルを回り込み、ユキシロの前に立ったガーベラは、その両肩に手をのせた。
「な、なに、なんですの!」
三つの目に見下ろされ、肩を掴まれ動けないユキシロの足がガクガク震えはじめた。
「我ら魔族が導き出した答えが、一夫多妻制だ」




