第十四話 敵ではない
「えっと、あの」
ふたり揃った突然の行動にムネチカが言葉を告げないでいる。ガーベラはチラとユキシロに目をやる。彼女もガーベラを見返してきた。
(なるほど、想いは一緒か)
ガーベラは、何故か楽しくなってきた。
「喧嘩などしていない」
「喧嘩はしてないですわ」
握手したままのふたりは、同時に言う。困惑が極まったのか、ムネチカの瞬きが激しい。
(この娘とは、話が合いそうな気がする)
恋敵といえるユキシロに、何故か親近感がわく。
国の決定は覆らないことの安心感だろうかとガーベラは考えた。好敵手と戦う前の高揚感とも違うワクワク感に、やや戸惑いもあった。
目の前の少女から、もっと幼いころの彼の情報を聞き出す方がより良い、との合理的な判断だろうか。
それとも、同じ獲物を狙う狩人としての仲間意識だろうか。
キュキィと軽口をたたき合う間柄ではない、今までに築いたことのない親近感。
ガーベラは、そんな名状しがたいものを、幼き少女に感じていた。
カランカランと鐘の軽い音が響く。
ムネチカがハッとした顔をした。
「午後の授業が始まる! 行かないと!」
ムネチカの困った声に、ガーベラは「キュキィ」と最も信頼できる親友の名を呼んだ。
ちょうどガーベラとユキシロが握手を交わしている、その影から、銀髪褐色の淫魔がにょろりとせりあがってきた。
「はいはーい、頼りになるおねーさん、キュキィさんっすよー!」
ニカリと屈託のない笑みを浮かべる親友に「ムネチカを見張ってくれと言っておいたはずだが?」とガーベラは冷たい。
「殿下の影の中にいたっすよー」
「いただけだろう」
「ちょっと盗み聞きもしてたっす」
「正直なのはよろしいがな」
ガーベラはふうとため息をつく。ユキシロは、さすがに驚きを隠せず、口を開けて固まっていた。
「キュキィ、私はこれから彼女と話をする。ムネチカの護衛を頼むぞ」
「わかってるっす。影の中に潜んで見守ってるっすよ」
キュキィはそういうが早いか、足から影に溶けていく。
「ムネチカ、急がないと間に合わないのでは?」
「え、あ、そ、そうだ! っとユキシロは?」
「彼女は私と大事な話がある」
ガーベラはユキシロの意見も聞かず、軽く頷いた。ムネチカはオロオロとふたりの顔を見比べ、「変なことしちゃダメだからね! ダメだからね!」と言い残し、走り去った。彼にとってはガーベラが来るというイベントがあっただけで、日々の生活に変化はないのだ。
学園で学ぶ以上は規則を守らねば卒業もできない。たとえそれが王族だとしても。
それがこの王立カンパニュラ学園のルールだ。
「えっと、三つの目があるだけではないのですね」
握手したままのユキシロが、見上げていた。驚いたことに、彼女はもう平静を取り戻しているように見えた。
(肝が座っている)
ガーベラはまた楽しくなった。
目の前の少女は、おそらく自分の様に地位がある生まれで、厳しく教育されてきたのだろう。
垣間見せる彼女の冷静さが、余計ガーベラに親近感を持たせていく。
「ふっ、だてに魔王の娘ではないからな。そちらこそよく取り乱さなかった」
「これでも王家の末席に連なる者ですから」
にっこりと、ユキシロが笑う。
(やはり王家の血か)
ガーベラは納得したとともに、自分の嗅覚に狂いがないことに、喜びを隠せない。
幼くも見惚れんばかりの笑顔に、ガーベラも笑みを浮かべようと思い頬を動かしてみた。
「……どこか具合でも悪いのですか?」
怪訝な顔のユキシロに覗かれ、ガーベラは笑顔をあきらめた。
(思うようには動かんのだな)
無念に思ったが、そこはおくびにも出さない。
「体調は万全だ。ちとユキシロ殿と話がしたい」
「ムネチカについて、ですわね?」
「察しが良くて助かる」
「では、寮のわたくしの部屋でお茶でも飲みながらお話をいたしましょう」
かたく結んでいた手を開放し、先に歩き始めたユキシロの後をついていった。
四角い校舎の、堅牢な階段を登った四階にある女性専用のエリアに、ユキシロの部屋はあった。
間取りはムネチカと変わらず、大きめの部屋にベッド、勉強机、サイドテーブルがあるだけのシンプルなものだがそこは乙女であるからして、窓のカーテンはレースをふんだんに使用し、クローゼットを隠すカーテンもフリフリで、非常にフェミニンあった。
(母上の部屋のセンスと変わらないな)
ガーベラは、ややうんざり気味ながら、ユキシロに招かれるまま椅子に座った。
「お茶をお持ちしました」
扉の向こうから女性の声が聞こえると「入って」とユキシロが答える。すっと扉があき、妙齢で前あわせの服にエプロン姿の女性がトレーにポットとカップを載せ、静々と入ってくる。
腰から足元までの裾の幅が一定のため、ちょこちょこと足が動く様子を、ガーベラは興味深げに見ていた。
(そういえば、ユーニタスで見た映像のムネチカも、そのような服をきていたな)
眼前のユキシロの服も比較し、おそらくはアークレイムの伝統ある衣装なのだろうと結論付けた。
ユーニタスの魔族にも種族ごとの特徴があり、人間にいおいてはそれに匹敵するものなのだと。
思えば、ムネチカやその父クニツナ、そしてユキシロは黒髪であり、護衛のギルベルトや謁見の間で見かけた金髪の大臣たちとは明らかに違いを見せていた。
(もしや、勇者の末裔とは、この特性を継いだものだけなのかもしれんな)
自分が導きだした結論に満足したのか、ガーベラは無意識に小さく頷いていた。
「おいておいてくれれば、あとはわたくしがやりますわ」
「承知いたしました」
女性は白いポットとカップと布がかけられた皿をテーブルに置くと、一礼して部屋を出ていった。
ガーベラは白いカップに目をやった。
(滑らかな曲線。純白ともいえる陶器だ。高価な品だろう)
「さて、まずは何からお話をいたしましょうか」
手ずからカップに茶を注ぐユキシロが問うた。ガーベラはカップを持ち、中に注がれた液体を見てその手を止めた。
「ふむ、緑色の紅茶? いや、紅ではないから緑茶とでもいうのか?」
「あら、初めてですの?」
ユキシロはカップに口をつけ、一口飲んだ。笑みをつくり、カップを置いた。
(ふむ、毒は入ってはいないか。毒見をして見せたのかもしれん。なるほど、ひとかどの人物なのだな)
見かけは幼女でしかないユキシロを、ガーベラは評価した。そして同じようにカップに口を付けた。「む」とガーベラの眉が寄せられる。
「これは、苦いな」
「アークレイムでも王族しか嗜まない特殊なお茶で緑茶と申します。紅茶に比べると苦みが強いですし、砂糖やミルクを入れる飲み方ではないので、ちょっと慣れが必要ですけど」
予想はできていたのだろうユキシロは、少し困った顔をする。だがガーベラは気にせず嚥下し、飲み干した。
「ムネチカもこれを嗜むのか?」
「ふふ、えぇそうですわ」
「何かおかしな点があったか?」
ガーベラは静かにカップを置いた。
紅茶ではなくとも磁器のカップを使用している。嗜む作法は間違ってはいないはずだった。
ただ彼女のもらす笑い声は、ガーベラを不快にするものではなかった。故にガーベラもおとなしく訊ねたのである。
「真っ先にムネチカのことを気にするんですもの」
ユキシロに指摘され、ガーベラの耳が熱くなる。意識しなかったが、味の感想よりもムネチカがこれをのんで苦そうにする顔が浮かんだからだ。
あって数日しかたっていないが、ここまで心を侵食されていると気づかされたのである。
「我が、夫であるからな」
「まだ、予定、ですわ?」
「その予定に変更も狂いもない」
僅か九歳の幼女に押し込められるが、ガーベラは気づかれないほどの息を吐き、冷静さを取り戻す。
魔王の娘として、小娘にペースを乱されるわけにはいかないのだ。
「私が聞きたいのは、貴殿とムネチカの関係だ」
「関係、ですの?」
「こたびの縁談は、急に決まったも同然だ。もしやムネチカには既に婚約者がいたかもしれないと思ってな。その者を飛び越えてムネチカをさらっていくように思われても、仕方ない面はあれども心外ではある」
「それがわたくしだと?」
「貴殿なら、そうであっても納得はできるからな」
ガーベラは、優雅にカップを傾けるユキシロを見つめた。
ムネチカの、ややもすると頼りなさげな性格を、ユキシロならばフォローできる。足りないところを補う相手としては、うってつけだ。
自分が感心できるほどの冷静さをみて、素直にそう思ったのだ。
「残念ですが、わたくしはただの片思い。それに王太子であるヤスツナ兄様がいらっしゃる以上、ムネチカもいずれはどこかの貴族に婿入りする予定だったでしょう」
「……そう、なのか?」
「わたくしはクニツナ陛下の妹の娘。王権の安定のために、ムネチカ同様いずれどこかの貴族に輿入れする身ですわ」
どこか自虐的ににも見える笑みを浮かべるユキシロ。
「ユキシロ殿もムネチカを好きなのだろう?」
「……はっきり仰いますのね」
「回りくどいのは好まぬ。正直、私もあっさりとムネチカに惹かれるとは思いもよらなかったのだ。お互いに腹を割って話すのもよかろう」
テーブルに肘を乗せ、祈るように手を組めガーベラに、ユキシロは「ずいぶんぶっちゃけますのね」と目を瞬かせた。
「壊されることのない関係の余裕がムカつきも致しますが」
左指に輝く赤い光を見据え、初めてムッとした表情を見せるユキシロ。意識したわけではない、指輪を見せつけるようなガーベラの仕草を挑発と受け取ったらしい。
「ムネチカの話をしたくてな。キュキィでは茶化されるばかりだ」
大事な人を預けている親友に対してずいぶんである。
「惚気を聞けと?」
「惚気話を聞かせられるほど親密ではないがな」
「今日の寝坊の原因をつくった方が?」
寝食を共にしているのに何を言うか、とユキシロの冷めた目が語っている。
「あれは、勢いで、その……思わず、頬ずりして抱きしめて寝てしまっただけで――」
「はぁ、もう結構ですわ。これ以上聞くとこちらがみじめになりそうですわ。で何をお聞きになりたいのかしら?」
少女が身体全部を使った盛大な溜息をつく。追い込んだつもりが、ツラツラと仲睦まじさを聞かされるという手痛い反撃にあったのだ。
ちなみにガーベラは無意識だ。
「うむ。ここ数日の間でもムネチカは俯くことが多いのだが、あれは何が原因なのだ?」
ガーベラは、逃さないとばかりに、まっすぐユキシロの黒い瞳を見据えた。




