第十三話 ふたりともやめようよ
翌日昼、ムネチカはカンパニュラ学園一階にある食堂に来ていた。
少し前までガーベラにロックされたままベッドにいたのだが、様子を見にきたキュキィに助けてもらったのである。
(午前中の授業をさぼっちゃった)
全校生徒百五十人を完全収容できる食堂は広大だ。身分を問わず一堂に会すために、テーブルなどの調度品はそれなりの品で揃えられ、出される料理も専門の調理師がつくっている。
今日の昼食は白パンとハムを焼いたものにゆで卵とサラダだ。育ちざかりの子のためにお代わりは自由だがムネチカはしたことはない。
ガヤガヤと騒がしい中、ムネチカは出された食事をモクモクと食べていた。
「ムネチカ」
喧噪を切り裂く、鈴を揺らす声が食堂に響く。ムネチカは聞き覚えのある声にパンをのどに詰まらせた。
急いでコップの水を飲み、喉の奥へ流し込む。
「ッゲホッゲホッ!」
激しくむせり、涙目になったムネチカが顔をあげると、ひとりの少女が腰に手を当て頬を膨らませていた。彼女の名はユキシロ・サナダ。
黒髪を肩で揃え、ムネチカと同じくらいの背丈の女の子だ。ムネチカと同じく全開のおでことクリっとした目と小さな鼻と口が幼くも可愛らしい。
ドレスではなく、白地に瑠璃色のネモフィラ柄の前あわせな衣装で腰に紅の帯を巻く、独特な衣装を着ている。
そんな彼女が、睥睨するがごとく、黒い瞳でムネチカを見下ろしていた。
「お、おはようユキシロ」
「おはようムネチカ。もうお昼ですけどね?」
ユキシロが僅かに首を傾げると、黒髪もさらりと揺れる。柳眉がピクピクしているところから、彼女の機嫌が悪いことが察せられた。
(なんでか知らないけど、ユキシロの機嫌が悪い……)
ムネチカの額から汗が流れる。
「ちょ、ちょっと昨晩遅くってさ。寝坊しちゃったんだ」
「小耳にはさんだんだのですけど、寝る時もユーニタスから来たっていう年増の魔族と一緒なんですって?」
ユキシロが、鈴を鳴らすような声できつい言葉を吐く。食堂が静まり返った。
「ガーベラさんはまだ二十歳だよ! 年増なんかじゃないよ!」
「あら、一緒に寝てるのは否定しないのね」
「あ、いや、それは……」
複数の視線がムネチカに注がれ、彼の顔がみるみる赤く染まっていく。昨晩も一緒のベッドで寝てはいるのだ。
何をしたわけではないが、事実は事実である。
この学園に在籍するのはまだ成人前の少年少女たちなのだ。彼ら彼女らにとって、その言葉は衝撃だろう。
(ガーベラさんが僕を守ってくれるからこそ、一緒に寝起きしてるんだけど、それをここでいうわけにはいかないし)
まごついているムネチカを見て、ユキシロが胸元から扇子を取り出し、ペシンとテーブルを鳴らした。
「ちょっとお話がしたいのだけれど。よろしくって?」
背後からゴゴゴゴを雷鳴が轟かんばかりのユキシロから、凍てつく言葉が零れだす。
(あんなちっちゃい口からよく底冷えするような声が出せるよなぁ)
「ムネチカ?」
「もー、わかったよー」
まだ食べ途中だったが待たせるとユキシロの機嫌が悪くなるだけなので、ムネチカは諦めて下膳しに立ち上がった。
学園は堅牢そうな壁に囲まれており、その敷地には、運動場と四角い校舎がある。運動場は校舎の前面にあり、裏は目隠しの木が植えられていて、ごみを焼却する設備などがある。
ユキシロに連行されたのは、四角い校舎の裏にある、見通しの悪い木々の間にある空間だ。半径二メートルほどの敷地の上が、ぽっかりと開いている場所だった。
(ユキシロが連れてくるのって、ここばっかりだよな)
ムネチカはヤレヤレと言わんばかりにため息をついた。彼女の呼び出しには、慣れっこだった。
「さぁ、白状してもらいましょうか」
ユキシロが、艶やかな黒髪を羽ばたかせるようにくるっと向きを変えた。にこやかな笑みを浮かべてはいるが、ムネチカは感じる怒気に背筋が伸びる思いだ。
やましいことはしていない。胸を張って言える。
だが、このユキシロに何を言っても無駄だろうとは思った。
「色々あって、ガーベラさんと同じ部屋で寝てるよ」
「その、い・ろ・い・ろ、とはなんですか?」
「縁があって、将来を約束する運びになったんだ」
「将来を、約束、ですか」
ユキシロの目が細まる。
「わたくしというものがありながら、魔族の、それも十も上の年増にかどわかされるなんて」
「僕はよわっちくて情けなく見えるけどさ、これでも王族なんだよ? 立場に伴う責務があってさ」
「そんなことは百も承知です。わたくしも、クニツナ陛下の妹を母に持つ、ムネチカの従妹ですから、責務についても重々承知しております」
ユキシロは、またも懐から扇子を取り出し、バッと広げて口もとを隠した。扇子には雪原に鶴が舞い降りる絵柄が描かれている。
鶴は瑞鳥であり、サナダ家の紋に描かれている。彼女の扇子は身元を示すものでもあるのだ。
「以前からお慕い申し上げておりますのに、どうしてほかの女になど!」
「法規上は従妹同士でも婚姻は可能だけど――」
「可能なのです」
ユキシロが、ずいと一歩踏み出しムネチカに迫る。扇子で恨み言を吐き出す口もとを隠し、あくまでも淑女たらんと平静を装っていた。
「ユキシロはまだ九歳だよ? 縁談とか、まだ早いんじゃない?」
「女子の九歳と言えばいつ嫁ぎ先が決まってもおかしくない年齢ですわ。アヤメ姉様は十二の時に嫁ぎ先が決まりました。わたくしも、もう内々に話がもたれていてもおかしくないのですわ」
もちろん相手はムネチカを要求しますけども、とユキシロは続ける。
ユキシロは、従妹であり歳も近いということで幼い時分より親しく接してきた。両親が兄妹ということもあり、ふたりで放置されることも多々あった。
それ故に、ユキシロはムネチカと共に在るのが当然、と思い始めたのか、それを公言するようになったのが最近だ。
ムネチカとガーベラの縁談を聞きつけたからなのかどうかは、彼も知らない。
だが、体が小さくひ弱なムネチカに対し、含むところなく接してくるのは、彼としてもありがたいことだった。
それが好意からくるものとは、おぼろげながらも意識はしていた。ただムネチカにはその好意に応える感情は生まれなかっただけなのだ。
従妹である、というのが一番の理由だ。
並ぶと、若干ユキシロの方が背が高いとか、そんなつまらない理由ではない。
「僕とユキシロの縁談って、どこのメリットがあるの?」
「ムネチカには、この可愛らしいわたくしと、ずっと一緒にいられるという、これ以上ないメリットがありますわ」
「美人っていうのだったら……」
ムネチカはガーベラを思い浮かべた。魔族ではあるが彼女も美人だ。しかも魔王の娘でユーニタスでも指折りの実力者だ。
相手としてはこれ以上ないだろうことは、ムネチカも理解している。
「なんですの、わたくしでは不服だと?」
「いや、不服とかじゃなくってさ、僕の場合もっと話が複雑でしかも大げさなんだ」
「魔族との和平に利用されているだけですわ」
ユキシロはふいっと顔を背けてしまう。まだまだ子供だな、と思いつつも、自分を省みると指摘はできないな、とムネチカは黙っている。
詳しいことを話すこともできず、かといって強く否定するのもかわいそうだ、とジレンマで胃が痛くなるムネチカだ。
(僕くらいの歳でも、胃が痛くなることがあるんだな)
思わず苦笑いが出た。
「自分のことなんだから、もっと真剣に心配なさい。わたくしは、貴方がひどい目にあっているのではと、心配で寝られない日々が続いているのです!」
唇を戦慄かせ、黒髪の少女が肩を震わせている。
ここまで心配されると、ムネチカの胸もチクチク痛みだす。お腹も胸も痛い。
「ごめん、そこまで心配してくれてるとは思ってなくって」
「女子を放置していた責任は重大です。その責任はとってもらわねば!」
ユキシロがズイと迫った瞬間「待ってもらおう」と頭上から声が降ってきた。
凛とした聞き覚えのあるその声に、、ムネチカは空を見た。
「ガーベラ……さん?」
ガーベラが、空中に浮いていた。
いたのだが、紫紺のワンピースのスカートが捲れないように足にぐるりと巻きつけた、妙な恰好のガーベラだったのだ。
だが彼女の視線の行く先はムネチカではなかった。
「我が夫をかどわかしている貴殿は何者だ」
「わたくしのムネチカを横からさらおうとする盗人なあなたはどなたですか?」
静かながらも怒気を孕む声で、ふたりは見つめ合っている。
ムネチカは狼狽えながら上へ下へと顔を向ける。
(あわわわ、ガーベラさんが来るとは考えもしなかった)
「ムネチカのぬくもりで寝ていたのだが、いつの間にかベッドから姿が消えていたのでな。指輪の反応を追ってここまで来たのだ」
ガーベラはそう言いながら降下し、着地した。
「心配したぞ」とガーベラに見つめられ、ムネチカは左手の指輪のことを忘れていたことに気がついた。
(この指輪って違和感がないからすっかり忘れてた)
ムネチカはそっとその指輪を撫でた。それを目ざとく見つけたユキシロが「なんですの、それ」と鋭い声を上げる。
「我らが夫婦である証だ」
ガーベラが言い切る。だがユキシロは扇子をビシっとガーベラに突きつけた。
「アークレイムの法律では婚姻は十五からと決まっております。ユータニスの法律は存じ上げませんが、ここはアークレイムです。よって婚約はできても結婚はできません」
「婚約も結婚も同義であろう。ちなみにユータニスにおいて結婚に年齢制限はない」
「魔族はなんて野蛮なんでしょう。話を戻しますが、婚約とは約束です。破棄も可能なのです」
「それを言えば結婚も破棄が可能であろう」
「では、わたくしがムネチカに嫁ぐことも可能ですね?」
「ふん、一杯喰わせたつもりか?」
ガーベラの口もとが嬉しそうに歪む。白い歯が覗くがそこに麗しさはなく、牙をむく本能が漏れ出していた。
ムネチカを挟む形でガーベラとユキシロが睨み合う。
二十歳女子対九歳女児
不敵に見下ろすガーベラに、ユキシロは優雅に扇子を仰いでみせる。オロオロとふたりを見比べるムネチカ。
(一触即発だけど、ガーベラさんが魔法を使ったらユキシロは……ダメだ、僕が止めないと!)
覚悟を決めたムネチカは大きく息を吸い込んだ。
「喧嘩する女性は、嫌いです!」
ふたりの視線がムネチカに注がれ、そしてまた火花が見えそうな睨み合いに戻る。
だが、ふたりは足を前に出した。
「ユータニスの魔王が娘、ガーベラ・ヴェニディウムだ」
「アークレイム王国、外王家ユキノジョウ・サナダが娘、ユキシロ・サナダですわ」
手を伸ばせばお互いを殴れるまで近づいたふたりに、ムネチカは失敗したと悟った。
止めるつもりが逆に煽ってしまったのだと。
「だ、だめぇぇぇーーーーえ?」
ムネチカの絶叫は、がっしりと握手を交わした、予想外の光景に、尻つぼみとなったのだった。




