第十一話 ムネチカには見せられぬ
ガーベラの言葉に、謁見の間は静まり返った。
にやりと口角を吊り上げるクニツナ。不敵な笑みのヤスツナ。そしてハンカチを目元にあてるアンジェリカ。
複雑な顔の重鎮と近衛たち。
ムネチカは振り返り、彼女の紅い瞳を見つめ続けた。
できる兄と比較されるばかりの自分を、肯定してくれた。今ではなく将来を見据えて。
魔族との寿命の違いがそう言わせたのだろうか。魔族故、勇者の血を畏怖しているのか、尊重しているのか。
ムネチカにわかりようはなかったが、それでも自分をかばってくれたことは理解できている。
(ガーベラさんは、やっぱりすごくて、かっこいい)
ムネチカは、そう思わずにはいられない。目を輝かせて見惚れているムネチカに、ガーベラが囁く。
「ムネチカ。どうだ?」
無表情だがわずかに首を傾げ答えを催促するガーベラに、ムネチカは深く息を吸い込んだ。
「僕、頑張ります!」
彼の叫びが謁見の間を満たした。
(頑張って強くならなきゃ。ガーベラさんが信じてくれるなら、頑張らないと!)
ぎゅっと拳を握るムネチカは、不敵な笑みを浮かべるガーベラに抱き上げられた。
「なななに!?」
「よし、よく言った! それでこそ我が夫となる人物だ!」
ドレスの胸元のリボンにムネチカの顔を埋め、ガーベラが不敵に笑った。
突然抱きしめられたムネチカはそれどころではない。お淑やかだが胸の柔らかさにパニックになる。
(い、いい匂いが、あの、胸が当たって、その、柔らかくって、って、ここは謁見の間で、目の前にはお父様とお母様とお兄様がいるんだぁぁ!)
もがくムネチカが「がーべらさん、ちょっと!」と叫ぶが「ほがほがほが」としか聞き取れない。
「まあまあまあ!」
アンジェリカが嬉しそうにパンと手を叩く。クニツナとヤスツナは「何が起こっている?」という顔をしていた。
謁見の間はガーベラが入った時以上にざわつき、彼女は困惑の視線を背後のキュキィに向けた。
「ふむ、何故ざわついている?」
「そりゃーお嬢様がムネチカ殿下を抱きしめてるからっすよ」
キュキィの返答にガーベラの片眉が上がる。
(ガーベラさーん!!)
抱かれているムネチカの叫びはモガモガとしか聞こえない。
「頑張ったご褒美というのは、乙女の柔肌ではないのか?」
「全・然・違うッすよ、お嬢様。その不要な知識はどこで得たっすか?」
「昨晩寝た部屋に置いてあった本には、そのように書かれていたぞ? 違うのか?」
「違わないけど違うッすよ!」
「その本では、思いあう男女はところ構わず抱き合っていたが。なかなか興味深い内容で、人間の男女とはなんたるかを知るにはよい資料だと思えたぞ」
ガーベラがウンウンと頷くかたわらでキュキィは肩を落とした。尻尾も羽も力なく垂れ下がる。
「なんか薄くて読んじゃいけない本を読んでるっぽいっすね。その本の知識はとりあえず脇に置いておくっす」
「釈然とせんな。絡みつくように仲睦まじいふたりこそ、理想の男女像であろう」
「悠然とのたまうセリフじゃないっす!」
キュキィの剣幕に渋々ムネチカを解放しようとしたその時、ガーベラの表情があからさまに曇った。
「お嬢様、魔力感知!」
「わかってる!」
キュキィが警告を発すると同時に、壇上とガーベラの間の空間が歪む。
「この場で襲撃だと!?」
「な、なにが起きてるの~~~!?」
「まったく、デリカシーがないっす!」
舌打ちしながら後退するガーベラ。抱かれたままのムネチカはもがくばかり。キュキィがふたりをかばうように前に出る。
近衛が剣を抜き国王と王妃の前に立ちはだかり、諸大臣が情けない悲鳴を上げる。謁見の間は大混乱だ。
ムネチカを抱きしめたガーベラが空間の歪みを睨みつけるが、何かに気がつきその顔が呆れに変わった。
「まさか……」
歪んだ空間がガラスが砕ける音を奏で爆ぜた。砕けた音から橙色の影が浮かび上がる。
「んーー、大丈夫かしら?」
空間を叩き割り、謁見の間に出現したのはガーベラの母で現魔王のアザレアだった。
フリル満載のファンシーな深紅のドレスに身を包み、アップにまとめた橙の髪の上に金色のティアラを戴せ、ミスリル銀の錫杖を持ち、アザレアは悠然と起立している。
魔力なのか、周囲の空間に陽炎をつくったまま、不敵な笑みを浮かべる様は、まさに魔王だ。
近衛が外に控えていた兵士を呼びに走る。国の重鎮は声にならぬ絶叫をしていた。
突然の魔族出現に謁見の間は蜂の巣をつつかんばかりの騒ぎだ。
「母上!」
身体を捩じってムネチカの身体を隠し、ガーベラは叫んだ。
「やっほー、きちゃったー!」
くるりとスカートをひろげ、華麗なターンを決めて振り返ったアザレアに、ガーベラは思わずムネチカを落としかけた。
「母上。きちゃった、じゃありません! 来たわけではなく、私と母上の魔力回路を使用した遠方投影魔法でしょう!」
ガーベラの叱責に、ざわつく謁見の間が沈黙した。国王も傍らの王妃を落ち着かせ、手で猛る近衛を制している。
「あはは、ばれちゃった?」
「魔力に干渉されればわかります。して母上は何故このようなことを?」
「えーだってー、ムネチカ君を生で見たかったんだもーん」
指を咥えてあざとく首を傾げる実の母親に、魔王の娘はその伴侶を取られまいとする。
「ねー見せて―」
「母上と言えども、見せられません」
「ガーベラちゃんのケチー」
ぷくーと頬を膨らませるアザレアに、魔王の面影はない。それどころか、三つ目でなければグラマラスで可愛い女性としか見えない。
ガーベラが警戒するのも無理はない。
「というか母上、クニツナ陛下の御前です」
「あらやだ、そうだったわね」
周囲の困惑する気配を感じ取ったガーベラがもの申すと、いま思い出した、というそぶりでパンと手を叩いた魔王がくるりと振り返る。
何が起きているのかわからなくてもがくムネチカに「母上が来ました」とだけ耳打ちし、行く末を見守ることにした。
「恥ずかしい所をお見せしてしまいましたわ」
アザレアは笑顔でスカートをつまみ、軽く膝を曲げた。唖然としていた国の重鎮たちの肩が下がり、近衛たちの口からは大きな息が吐かれた。
緊張で張りつめていた空気が、巻かれた毛糸が解けるようにへにゃりと潰れる。
「数週間ぶり、かのう。相変わらずのフリーダムさで何よりだ」
「えぇ、そうね、クニツナちゃんも元気そうで何よりだわ~。アンジェリカちゃーん、元気~?」
答えるようにアンジェリカが小さく手を振るのを見て、「アザレア殿は変わらないようだな」とクニツナが息を吐く。
「そうよー、こちとら魔王だもの! 健康第一よ!」
ムキっと力こぶを見せるアザレア。ざわつき始めた謁見の間は妙な雰囲気に包まれてしまった。アザレアが、予想を超えて魔王らしくないからだ。
「して、わざわざご魔法ですっ飛んできたのは、何用か」
「そりゃーガーベラちゃんの母親として、キチンとあいさつしておかないと!」
アザレアはにまっと笑い、各大臣たちを見渡す。もちろん、そこには裏の意図がある。
含みのある笑みを向けられ、ぎょっとする者、視線を逃がす者、色々だ。
ガーベラはその者達の顔を記憶に刻む。
(母上はおそらく釘を刺しに来たのだろう)
場違いな明るさを振りまくアザレアの真意を探った。
「あの、僕はあいさつしなくてもいいのですか?」
「ムネチカは会わなくてもいい。将来ユーニタスに来れば嫌でも会うことになる」
「でも」
「見ては、いけない」
ガーベラの冷えた声に、ムネチカは「ひっ」と短い悲鳴を上げる。小刻みに震える彼を胸に感じ、申し訳なさに口を結ぶ。
(やってしまったか……しかし、母上を見たら、ムネチカの心が持って行かれてしまうかもしれぬ。見せるわけにはいかない)
いらぬ対抗心を燃やすガーベラに気がついているのかいないのか、アザレアは呑気にクニツナと会話を交わす。
「うちもねー、色々あって隅々まで目が届かなかったりするからさー」
「如何な魔王でも、か」
「そーよー。魔王って言ったって万能じゃないしー神さまでもないからね」
パチンとウィンクするお茶目さに、第一王子のヤスツナも苦笑いだ。彼も次代の王としてアザレアには会っていたが、その性格には手を焼くだろうなと困惑する、そんな顔だ。
統治者としてらしいくない振る舞いの彼女に対し腹に思うことはあろうが、それを顔に出す真似はしない。
「以前と変わらぬ美しさですね、魔王陛下」
「いやーん、アザレアって呼んでー! なーんて、奥さんに怒られちゃうわね」
「はは、妻はそんな狭い度量ではありません、ご安心ください」
「あらー、惚気られちゃったー」
ハラハラしている重鎮をさておき、アザレアとヤスツナ王子は軽妙に会話をこなしてゆく。
(威圧せずに相手の懐に入り込んでいくのが母上だ)
気を緩めたその時、お淑やかな胸に隠していたムネチカが「ぷはぁ」と顔を覗かせた。
「あ、熱くて柔らかくて苦しいのといい匂いでくらくらで……」
ムネチカの言葉が切れた事で事態を察知したガーベラの胸がキュと軋んだ。胸に押し付けていたはずの彼の顔は、母であるアザレアに向いていた。
アザレアとガーベラは親子故に顔のつくりはよく似ている。アザレアの身長はガーベラのそれよりも低く、より人間に近い。
身体は言うまでもなくアザレアの方が女性的だ。
「あの、可愛らしい方が、ガーベラさんの、母上ですか?」
彼の惚けた口調がなおガーベラに突き刺さる。後押しではなく邪魔をしに来たのかと悔しさで腹の底が冷えていく。
「あれが母で魔王のアザレアだ」
ガーベラはムネチカをおろした。顔からは生気が消えうせ、虚ろな目で自らの母親を見ていることに、目を輝かせているムネチカは気がつかない。
(外見など関係ないということは、頭では理解できるが、現実として、第一印象でどのような者なのかを判断してしまうものだ)
自分よりも女性らしく、母親と言われても首を傾げざるを得ない若さを見てしまえば、自分から離れてしまうとガーベラが考えてしまうのも無理はない。
加えてムネチカはまだ十歳で女性に対し耐性がないのは、昨日のわずかな時間でもわかっていることだ。
アザレアに心を奪われてしまうのも仕方のないことだと、ガーベラは厭戦気分になってしまう。
(詮無いことか。母上には敵わん)
「魔王に相応しい美しさと強さを兼ね備えた、私の誇りでもある」
「そうなんですね!」
「あぁ」
弾むような声に、小さく返すことしかできない。そんな寂しげな声にも気がついてはくれないことに、昨晩の高まった熱が冷めていく。
同時に、映像としては知っていたものの、出会ったばかりなのにそこまで惹かれてしまっていた自分にも、驚いた。
胸中、複雑で経験したこのとのない葛藤に、ガーベラ自身も戸惑っていた。
「じゃ、帰るわねー」
ガーベラに向かい、元気に手を振るアザレア。
「仲良くするのよー」
「大丈夫です」
「ムネチカ君も、またねー」
「ア、ハイ!」
ガーベラは淡々と、ムネチカはクルミ割り人形のようにカチコチで返す。
「キュキィちゃーん、フォローよろー」と叫んだアザレアの足元に血の色の魔方陣が浮かぶ。その魔方陣が回転しながら浮かび上がり、アザレアを呑みこんでいった。
「わ、消えちゃった……」
「映像だからな。私と母上を合わせた膨大な魔力と正確な座標を割り出さないと使えない、最高難易度の魔法ではあるが」
「えっと、この城には魔法で作られた対侵入者用の障壁があったはずなんだけど……」
「私と母上にかかれば紙同然。魔都ゲルベニングの居城には比較にならぬほどの障壁が供えられているが、それすらも無効化できる。それが魔王だ」
ガーベラを見つめるムネチカの視線には気がつかず、彼女は虚空を見つめ説明する。
同性として、同族として、母を誇りに思う心情。それに対し明らかに足りていない自身の敗北感。
ない交ぜの感情が、ガーベラの赤い瞳に、暗い影を落としていた。




