07話‐「”家族”」
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――この世のすべての闇がまとめてジルバ号の周囲を取り囲んで、引きずり込もうとしてるかのような、澱んだ空気の夜だった。
星はどこに隠れてるのだろう?月はどこで寝坊してるのだろう?風はまだ吹くことを諦めてないだろうか?
――「どこにその”オトモダチ”とやらがいるんだい?」
船員ABCとの無駄なやりとりの後、わたしはこの煤だらけの紙切れみたいな記憶を、無意識に何回も何回も、ぐしゃぐしゃに丸めて捨てる作業に追われていた。
―どうだっていいのに……。
もうどうすればいいか分からないまぜこぜの感情のまま、腐りかけの琥珀草の瓶を全部ひっくり返して使えそうな”光黄”分を瓶にせっせと移す。
フワ…。琥珀草から漂う小さな光を瓶まで注意深く仰ぎ、蓋をする。
ジルバのごはんだ。光を捕まえるのはいつも骨が折れた。
(ジルバ…)
わたしは、ジルバに命や尊厳を助けられた後だった。
(ごめん…)
昨日までかすかに残っていた”黄色”を海の蒼に一気に吸われて、ジルバは革袋の底で、白く。ぐったりとうずくまっていた。
「食べれる?」
弱弱しく光る、水色。冷静になって考えたら、あんなごろつきどもの船に乗ったら最後、女だろうが男だろうが構わず売り飛ばされてただろう。
――わたしは…。
――馬鹿か…!
どうかしてた。 自分が死ぬほど情けない。しかしその事で嘆くのは、キザンについてからだ。最悪どこかキザン近辺の無人島につけば、琥珀草でなくても、土や雑草から、多少は”黄色”を摂取できる。
「ジルバ、そのままで、動かないようにね」
すこしずつ慎重に黄色の光をつまんでジルバに”食べ”させる。
ほんのちょっと翠に光るが、また白い光に戻ってしまう。思わず胸が詰む。動揺を見せてはいけない。
「…少ししかなくて、ごめんね」
少しずつ、慎重に…。光黄をつまんで革袋の中に落とす。ふわり。黄色の綿毛のような光。少しずつ…。病気の時は、ゆっくり…。
――本来、ジルバに光黄を与える時、美しい光を毎回放つ。ほわり。始祖の海を思わせる気持ち安らぐ暖かな翠の輪。まるでジルバが小さな地球みたいに感じたものだ。
――のっぺりとした闇が船室の外に広がる。”黄色”は革袋の中、ほとんど散っていた。
「ジルバ、食べたくなかったら、いらないですって、一回だけ教えてね」
ジルバはナニカを伝えようと光る時必ず、”色”を消耗してしまうからだ。
「……。」
「キザンに付いたら、しばらく休もうね」
「……。」
ほんの少しだけ光が吸い込まれてる感じだ。
(…一応食べてる…ようだけど…)
こんなに光らない食事風景は初めて見たので、内心狼狽してしまう。
――わたしの様子を察したのか、ふいにジルバはふわりと海の色に光る。
≪元気出して≫
弱弱しく。海の色。
――”励まし”の光り方だった。
「!…もう!わたしのことはいいんだってば!」
――船室の外は、まるで張りついたみたいだった。音が何か違うセカイに吸い込まれたみたいに、静まり返っていた。
「ご、ごめんね…」
「わたし……なんか…どうかしてて…」
「……ちょ…ちょっと、船倉をみてくるね!」
たまらなくなって、ジルバを「星守に預け、船室をでてしまう。
――”星守”――
――船室の一角にすえつけてある、ジルバを守る頑丈で透明なセルロ製の”水槽”のことだった。
わたしが勝手に名前を付けたのだけど。。
もとは劇薬なんかを運ぶための、搬送道具で、懸架装置とバネで吊ってあるので中の積み荷が揺れないし、状態が一目で分かる。操舵で手が離せない時なんかは、星守にジルバをだっこしててもらうのだ。
わたしは、船倉で種火の樽や、炎振のレバーに油を差しながら、また夕方のやり取りを何回も頭の中で再生してしまっていた。
煤を、丸めて捨てて、ぐしゃぐしゃ。ぐしゃり。
――「どこにその”オトモダチ”とやらがいるんだい?」
――「凪で頭やられちまったのかい?」
ぐしゃぐしゃと。捨てては広げ、広げては丸めて捨てる…。
いつの間にか歯ぎしりだけが、静寂を割く。
「………………………今度会ったら」
(脛を櫂ではじいて、全員海にたたき込んでやる!)
樽を蹴とばす。
大きな船のやつら、何が「頭やられちまったのかい?」だ。
何が「”どこ”にいるんだ」だ。
目の裏に蘇る、革袋の中、ふわり、海の光。癒やしの光。
―― ≪元気だして≫ ――
「………くそ!」
――こんないいヤツが”ここ”にいるじゃないか!――
わたしは眉をひそめながら、必死で思いを振り払っていた。
「くだらない…… 」
樽を力なく叩く。
――(普通のニンゲンどもにジルバが視えててくれたら…)
「どうだっていいのに…… 」
――(この”宝物”をもっと、もっと)
よわよわしく。何度も。
――(もっと、大切に出来るのに!)
わたしは、うすうす感づいていた。
この「視えないニンゲン」たちの言う事を気にして、
――大きな声で親友を誇れない自分が、
――1番嫌だということを。
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――纏う闇をふり払うように、舵を取る。
澱んだ空気の中、舵をとる、船倉から伸びるレバーをゆっくり手前に引く、慎重に…。点火した残り少ない種火が、爆ぜる。燻された油の鼻を突く。懐かしいこの臭い。
わっしゅわっしゅ、蒸気が煽る。船底の方で、震動がはじまった。プロペラに動力が点火する。
徐々に波が泡立ち、海をわらりと割く、ほんの少しの、波紋が、黒羽の海を、割く。割いて、ゆっくりと。広がる波紋。黒羽から銀鼠色に。徐々に泡立つ海。海。波。
闇を後引き、纏いながら、のろのろと、ジルバ号は、凪の海を這い始めた。逃さないぞ、そうはさせない。冥から亡霊が手を引く。引く、引く。
わたしは、落ち着いて、方角を確認する。まずは滅紫の航路を南に進んで…。
「目標。東南東、朱の航路」
ふいに炎が、船首像のバジルの冠をブルと震わせた。行こう!
「ヨーソロ!」
船尾で舵をとりながら、船室がよく見えるのが支えだ。操舵を急ぐ時なんかは、よく外から星守に抱かれてるジルバの光を眺めて癒やされたものだ。
星守に包まれ、ジルバは大人しい。
(…もうちょっとだよ)
ジルバの光は見えない、今日は革袋のまま吊るしてあるからだ。少し心配だけど、しょうがない。
祈りを舵に込める。満身の魂を込め、操る。樽の中を何度確認しても、キザン諸島、手前5カロンあたりから、ボートで抜けないと辿りつかない感じだ。風がどのポイントから吹き始めるかにかかっている。最悪の事態が頭をもたげる。だめだだめだ。
大丈夫だ。この舟を乗り捨てる頃、もう少し、ジルバは回復してるはずだ。久しぶりに頬を撫でる風。煙を含んだ風。顔はあっという間に煤だらけになった。なんでもいい。この凪から、抜けださないと。
ナニカのお話で読んだような、ドラマチックに豪快に風を切るシーンなんかいらない。確実に風が吹くところまで、大切に種火を使うのだ。
船尾の方で、ずっと足をからめ取り、後ろ手を引いていた亡者どもが、徐々にプロペラで蹴散らされていく。闇の中、進んでるか止まってるかわからない中、煙突から湧きだす黒煙だけが、進路を示す。
セカイ中が沈んだみたいな闇を抜ける。藍を裂きながら。
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バルバルバル。静かな海に、炎振の音だけが響く。奇跡的に途中で止まっていない。
「よし…。このまま…」
80カロン程進み、速度が安定した時のことだった。
ふいにヌっとした感じの生暖かい南のしけった風が鼻先に届く。
新しい航路の…風、風…?
「………… … 風…が…」
スンと、もう一度嗅ぐ。
「………これは……」
この独特の、湿度を帯びた風は…。
ザァ。血の気が引いてきた。
空気中の水蒸気をすべて連れた風。
――雲を連れてる!
―しかも大量に。
「ジルバ!」
とっさに船室のドアがしっかり閉まってるか確認する。
坂道を転がる歯車みたいに梯子をかけあがり、甲板を駆けあがるように反対側のドアも確認する。窓に鎧戸をかませる。
ドア窓のところだけ弱いけど、しょうがない…。少し船室の様子が見える。
(もしもの時は、星守ごと抱えて…。)
――まだ月は我々を見放してはないだろうか?――
わたしは腰につけた”浮き”の紐をほどけないようぎゅっと縛った。
ビョウ、突風。
(………来た!)
波は徐々に高くなり、しぶきをあげ、暗雲は小さなジルバ号を横から横からあおっていく。
――嵐の到来だった。――
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