54話-エピローグ前編「春うらら、トトバル島」
+.
.
*
。゜
+.
─4年後─
───赤道付近の島々、寄せ集めれば大陸ほどにもなるであろう面積の島々が散らばる中央海域──グース群島……。
───から、だいぶ遠く、離れた海域…。───ここは、島もまばらの”東の海域”の少し南東。安全に航海する船乗りたちは必ずこの航路まで回り道することで知られている、若草の航路のはずれ。
坂の町と朱橡の木工細工が名物のトトバル島。
この島には、グース群島“中央”では見られない、彩あふれる四季があった。トオイトオイ島程ではないけど、春になると、そこかしこに花が咲き、秋には落葉し、冬にはごくごく稀に雪も降る。
**sideミムラス**
まだ仄暗い早朝、小さな部屋ぐらいのサイズはある特注の大きなベッドから、大男がわたしのおでこにチューをして、なるべくこっそり起き上がる。
わたしは寝ぼけながら、大男の水玉のパジャマの裾を掴んで、
「…いっちゃやだ」ほぼ毎朝困らせてしまう。
「俺の奥さんおはよう」ほっぺにちゅっとやって、大男がもう一回寝かしつけようとするもむなしく、わたしはベッドから裾を引っ張ったまま一緒に起きてしまう。
*
。
──わたしとチロタは、トオイトオイ島から戻ってきて、すぐに結婚してしまった。二人とも天涯孤独だったので、モカモイ島の宿屋のおかみさんに立会人を頼んだ。
おかみさんはあらあら、やっとか、よかったね。この子のニブさったらなかったね。でっかい兄さんの苦労がしのばれるねぇ。と謎な感じで、わたしが思っていた角度とは違う切り口から祝福してくれた。
ダイニングテーブルには、昨日のうちに用意しておいた、小動物ぐらいは棲めそうなサイズと重量感のお弁当箱。
───毎日毎日、大きな大きなお弁当を、少し面倒くさいけど作る。チロタは日中ずっと力仕事だ、お腹が減って、事故を起こしたら大変だ。
この生活を守るために、わたしが出来ることだった。
青いチェックのシャツと革のベストの仕事着に、斧と大きな大きなお弁当を軽々と担ぎ、腰の道具入れを点検し、
「きょうもいってきます」「俺のミム」と最後にもう一発ほっぺにチューをして、わたしの頭をくしゃくしゃに撫でた。
──ふたりお揃いの御守りのペンダントが同時に揺れる。
孵ノ鉱窟でふたりばらばらの時、それぞれ拾って持っていた、色の抜けた石を、革紐で結わえてわたしが作ったものだった。どういうわけかわからないけど、この石はわたし達を守ってくれる気がした。
+.
往来には、チロタと同じように朝早いパン屋のおかみさんや、散歩中のお爺さんが明け方の薄紅色の空を仰ぎつつ、今日を迎える準備を始めていた。
ガロンロン、ゴラロン…。島のてっぺんの物見櫓から、今日も快晴。いってらっしゃい。と天気を知らせる朝の鐘が響いた。少し遠く、ホホザクラが岬の灯台に向かって、島をなだらかな桃色に縁どっていた。
わたしは見送りながら毎日手を振る。見えなくなるまで、いっぱい、両手いっぱい手を振る。チロタも、何回も何回も振り向きながら、手を振り返しながら走る。
いってらっしゃい。いつもありがとう。いてくれてありがとう。いっぱいいっぱい、手を振る。
暫くの間ののち、チロタがふと手を振りながら、豪速球で駆け戻ってきた。
「忘れもの」と言って、わたしのほっぺたにチューをし、そしてもう一回。さらにもう一回チュー。
「ど、どれ?」
「これ」といって、またほっぺにチューをして、頭をぐしゃぐしゃにして、ハグをした。あれだけチューをしておいて、どれを忘れたというんだろう…。
「も、もう〜遅刻するでしょ!」必死で照れ隠ししてしまう…。
品出しの準備中のパン屋のおかみさんに「仲が良くてほんと羨ましいわー」と、声をかけられる。
2人で声を揃えて「おはようございます!」と町の人たちに挨拶をした。
────わたし達は、どうやら東の海域の住人との方が馬が合うようだった。
ここは斜面にそのまま建てられた情緒あふれる景観で知られている、星乞町。ここはわたしとチロタが選んだ、”ふたりで生きていく町”だった。
*
****
あれからわたしは少しだけ髪を伸ばした。片耳を編み込んだセミロングの黒髪が頬をくすぐる。白いブラウスとくるぶしまでの長いスカートを、潮風が吹き抜けていく。
「オガヤせんせーい、文法のことで…」
熱心な生徒が質問に並ぶ。
──わたしは、この小さな坂の町で講師になった。
舟守の免許と、学んだ数々の語学がここでやっと役に立った。国家職免許には、簡易の教員免許のような資格もついてるのだ。
わたしは得意の語学の講師として、トトバル島立図書館の非常勤講師の枠に合格した。上級教職免許がないので、薄給ではあったが、葉国から国家職手当も出る。免許を取ってよかった。やっと報われた。
──舟守は、辞めてしまった。舟守を本格的に続けてると、家に帰れないからだ。暮らしと仕事、天秤にかけ、大切な方をとった。わたしに講師は向いていた。
チロタの方もそうだった。毎日家に帰って、わたしと一緒にごはんを食べて、一緒のベッドで眠れる仕事ならなんでもいい。
わたしは、そういうことならなるべく命が危なくない仕事を頼みます。と、お願いした。
チロタはこの木工の島で、木こりの傍ら、地産の朱橡を扱う家具職人の親方の所に見習いに通っている。木こりは危険な作業も多い。いずれ転職出来たら、という狙いだった。
あんななりでヘンなところが細かいので、続ければものになりそうだった。
うちのダイニングテーブルは、チロタが初めて自分で作った作品で、とても気に入っている。
毎日、寝ぼけながら朝がきて、ふたり同じ空の下、真昼の陽を見上げ、暮れていく薄紅を仰ぎ、今日しか吹かない風が髪を撫ぜる。色々な思いを乗せ、足跡を照らすように毎日が過ぎていく。
お互いの宝物は自然と「毎日の暮らし」になっていった。
****
青が吹く岬から、水色の水平線を見下ろすように建つ大小さまざまな三角屋根。おとぎ話のどんぐりの家のような意匠の島立図書館が人気で、トトバル島には学問を必要としている老若男女、さまざまな人種の人々が集う。
わたしの受け持ちは、子どもクラスの海洋史と、一般クラスの他海語の補佐など。あとは寺子屋にほぼボランティアで入ったり、色々だった。中には難しい生徒、難しい親御さんもいたが、舟守を上回るほどの大変さは感じなかった。
────決まって昼休憩は、港が見下ろせるベンチを選んで昼食を食べる。港にはずらりと大小さまざまな舟たちが並ぶ。
───わたしはいつもその中の一艘を眺めながら昼食をとる。
—ジルバ号—
入江に白く浮かぶわたしの ”誇り”。休みのたびに手入れしに行く。そろそろ船首のバジルの冠の欠損箇所を彫刻家に頼んできれいにしてあげないと。修繕費の積立ももうそろそろ貯まる頃だ。たまに舟守志願の方に貸し出したり、船舶実技を教えることもあり、自家用船としても、活躍している。
耳をくすぐり、南南西の風が駆けて行った。
***
「みむちゃんセンセー」
ここで休憩してると、わたしのもとに”手紙”が届く。ほぼ毎日。
「はい、届けたよ」
煤で汚れた少年が、”バイト”を頼まれて、にやにやしながらわたしの所にやってくる。
「ちょっと待ってね。返事を書くから」顔を拭いてやった後、わたしの方もこの為に持ち歩いている封筒と便箋を取り出す。
わたしからの返事はこんな感じだ。
***************************
おしごとおつかれさま。
───おてがみいつもありがとう。だいぶ、ぶんしょうかけるようになったね。すごいよ!このちょうしだよ。
今日のごはんは、ほうほう草でさかなをやいたやつだよ、おたのしみに。
きょうの空はなに色ですか? ミムラスより。───
***************************
そして、わたしのもとに届く”手紙”の文面はだいたいいつもこんな感じだ。
***************************
───いとしいとしのオガヤ・ミムラスさま
きょーはいいてんきでもりがグオオォオーってかんじだぞ!はやくべんとうが食べたいミムのべんとうはせかいいちミムミムしててうまいはやくはやくミムミムミムムべんとうが食べたいきょうも愛してる愛愛愛愛はやく愛たい。
あなたのあなたのオガヤ・愛・チロタより。───
***************************
(愛の字だけ毎回やたらうまいなぁ)
──読んでて笑ってしまう。
仕事と職人見習いで大忙しのチロタがモチベを保って楽しく読み書きを練習出来る方法、────それがわたしとの文通だった。
帰ったら答え合わせ。最後に花丸をあげて、チロタの成長と、ふたりの毎日の記録として、読み返せるカタチで綴じる。
手紙は本人が字を読めて書けないと成立しない。チロタは普段からの受け答えなんかでも、薄々わかっていたことだったけど、もともとすごく地頭がよかった。簡単な手紙が書けるようになるまで、普通の人の何十倍も速かった。
「これをトトバル島木材組合、宵明山第4作業場の、オガヤ・チロタさんに配達お願いします」配達の少年に手紙をことづて、バイト代の残りをわたしの方からも渡す。しょうがない、必要経費だ。
*
゜
配達の少年は、ヒューー。というような表情をしながら「毎度ォ」と来た道を戻ろうとして、いつの間にか我々のすぐ後ろに立っていた誰かにぶつかった。
「おっと、ごめんね」
その“青年”は少年の埃を優しく払い、怪我はないか確認し、しゃがんでもう一回謝った。
───ふんわりとした縫製、白羽絹で出来た美しいニッカボッカ。先の尖ったデッキシューズ。フードに3本線の飾りがついたベストに縞々の首が詰んだニット。
───肩からかけたメッセンジャーバッグの中から“発注伝票”を取り出し
「オガヤ・ミムラスさまでお間違いないでしょうか?」
「少々大きな小包が届いてまして、今日は確実にご在宅の日刻を伺いに参りました」
───ニッカボッカのベルト部分には水色のチーフ。
装備ですぐにそれとわかる。───そう、彼はそろそろ、海の上の経験が9年目。来年から水上守への昇格試験の切符を手に入れられるぐらいのキャリアの───
────舟守だった。
****
+.
.
**sideチロタ**
カーンカーン。小さな山あいに木を切り倒す乾いた音が朗々と木霊する。湿った森の香りが鼻先をツンと抜けていく。ここはトトバル島、星乞町の裏側に位置する、宵明山。朱橡の産地。
「おいチロ!」「西側の巨木行って来い」
「へぇー俺よりでけぇんスか?」
半笑いで俺を切り倒すポーズをし、バンと背中を叩かれた。
「へーい」
俺は汗を拭きつつ、西側に向かいながら、今日の手紙の内容を思い返して、質問する箇所を頭の中でまとめていた。
(…待ち遠しーな……)(返事…)
目の裏に映るのは、ミムの可愛らしい、ちいさな姿。
───疲れてる時は寝ちまって、思うようにベンキョーは捗ってなかったけど、俺は、どうやら学ぶことが、好きみてぇだ。
(もう4年か…)
早ぇもんだ。
俺はミムがいなかった時、もうどうやって息をしていたか思い出せねぇぐらいだった。
*
+.
───ふたり寄り添って、やっと気づいたことがあった。
俺たちは、自分が思っていた以上に、深く傷ついていて、孤独だった。あんまりにも傷が深すぎて、平気なんだと思い込んでただけだったみてぇだ。
俺は夜中アホみたいに涙が出るときがあって、そのたびにミムに頭を撫でて、ハグしてもらっていた。ここにいるよ、大丈夫だよ。と言われるたび、心が還ってくる。
ミムの方は、チューから先、愛し合ってるもの同士が当然する行為を、泣いて怖がった。何度聞いても話そうとしてくれねぇ。うすうす理由はわかっちゃいたが、何度も大喧嘩になって傷つけてしまった。
ある日、空っぽの瞳で、ぽつり、ぽつりと、ひとつずつ話しはじめた。何度となく危ない目に合ってきたこと。ひとつだけじゃねェ、さまざまな心の傷跡。
────俺は悔しくて震えた。そしてミムの心が解けて、受け入れてくれるまで、嫌がることはしないと、約束した。
お互い努力が必要だった。理解できねぇとこは、何度でも話し合った。それでも俺はミムに出会えてうれしくてたまらねぇ。ふたりの道のりはこれからも続く、ゆっくりでいいんだ。
俺のそばで笑ったり困ったりして、生きようとしてくれる愛しい人。パっとしたようなことが何も起こらなくっても、ミムと揃ってメシを喰ったり喧嘩したりしてるだけで、毎日が特別な木の実でもいれてこしらえた、あったけぇスープみてぇに感じた。
俺は、この幸福を、絶対絶対、護って、守って、守り抜こう。
こればっかりは「命に代えても」なんて口が裂けてもいわねぇ、一緒に、絶対ふたり一緒に、支えあって歩こう。傷だらけ、満身創痍で出会ったふたり。俺たちはきっと、どちらが欠けても、ダメなのだ。
*
。゜
+.
「チロ兄ーーー!」
「ヨメから返事ーー」
ミムへのラブレターを託した木っ端売りの坊主。俺のちっこいダチ公が、木立をぬって駆けてきた。こいつは配達をちょろまかすこともなく、いつも助かっていた。今度釣りにでも誘うか…。
「今日はサ…みむちゃんがよ、へへ…」
「な、なんだァ?」
ニヤニヤしながら勿体つけて返事を俺に渡す。
「イケメンに声かけられてたよォ」
「なっ…!」
「そいつおれなんかにもやさしくってサ」
「……っ…!」
「そいでよォ…」
坊主は俺の表情を覗きこんで確認しながら。
「…そいつもみむちゃんセンセーにさァ」
「……………………」
「意味深な手紙を持ってきてたなァ」
「なんだとォォオオオ!!!」
あまりの大音響に、天変地異でも起きたと思ったのか、鳥たちが一斉にバサバサと飛び立ち、藪からドウドウや野生のイシイノブタが次々と手品みてぇに飛び出し、山を駆けおり、宵明山からめぼしい生き物という生き物、すべてが逃げて行った。
震える手で手紙を開けた。
返事には、あとで急いで書き加えたみてぇにこうあった。
****
ついしん*カシノギさんから、こづつみがとどいてるみたいです。
****
後で俺は、このダチ公の頭を、このやろ、ばかやろ、と散々ぐりぐりすることになった。
*
。゜
+.