49話‐「灯のじょうろ、チカチカと瞬く」
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森の途中に現れた大きな亀裂から、岬の彼方、唐突に、絶景が、夕焼けが、湧きだしていた。みるみる間に青空は端っこから順に、橙混ざりの緑や青紫に滲んでいった。
まるで空に絵具をこぼしたみたいだ。いったい何が起こるとこんなことになるんだろう…!?
このままずっと見惚れてしまいそうだったけど、樹上の家をつなぐ吊り橋の下で、カシノギさんが、腕まくりで工具片手に何かを修理をしているのが見えた。
「まったく、おじいの発明品はボタンが多すぎなんじゃ!!」「ピコピコさせおってからに!!」「せめて3つに減らすんじゃ!!!」どこかで聞いたような女の子の声が響く。
「彩ちゃんが機械音痴なんだろ」くっくっくと笑うカシノギさん。
隣の小屋に駆けていくと、下に抜けられるポールが立っていた。ザックを先に放って急いですべり降りる。チロタはやっぱり「あいてーー!」とかいってどこかをぶつけていた。
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風そよぐ星の草原に降り立つと、カシノギさんの隣に、身長のちっちゃい、くりんと顎ら辺でカールした髪、赤いベレー帽をかぶった可愛らしい少女が、遠い空を見つめ、思案顔で立っていた。
岬の向こう側、少し左の方に紫とピンクが固まってる感じだったけど、さっき程ではなく、少しおさまってる感じだった。何が起こったんだろう…。
カシノギさんは、我々に気づいて「チロちゃん、ちょっとこいつを運ぶのを手伝ってくれんだろか?」と、どこかから運び出されたと思しき、壊れた大きな板みたいな物体を指さした。
「俺を使おうたぁ、いい度胸してるじゃねぇか」高いぞーと指でお金のわっかを作ってチロタ。カシノギさんは笑いながら「一個ボクの借りね」といいつつ、指示を出しながら一緒に斜面を上り、森の中に消えて行った。
平べったい額縁のような板にボタンが6つ。横に鉛筆の芯がそのまま握れるぐらいのサイズになったような棒状のナニカがくっついてた。何に使うか想像も出来なかった。
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「あの辺はもう上から描いて直すかの…」少女は空に向かって筆を立て、構図を取ってる途中だった。
どうやら画家さんのようで、クリーム色のスモック───。裾に赤と紺の刺繍が施されており、どうやらスモックを自分風にアレンジして着ているようだ。色白で小さな顔にとてもよく似合っていて、手や顔は絵具で汚れていたけど、見るからにセンスのいい、面白そうな感じの少女だった。
何の変哲もない木製のパレットに、絵具のチューブをぎりぎりまでしぼって「光具が切れてしまったわい」と言いながら足元に群生するフユジロリンドウに丁寧に話しかけながら、いくつか摘んで、ポシェットにぽこぽこと放り込んでいた。
(あ…)
(…この子、もしかして…)
わたしの脳裏に2人(?)の人物(?)が同時に浮かんだ。
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≪ズガァーン≫また護りの森のどこかで爆発音が響いた。遠くの森から今度は、藍色が漏れ出しているみたいだ。カシノギさんとチロタが丘の上から駆け下りながら戻ってきた。
息を正した後「お茶会、お開きだねぇ」名残惜しそうにカシノギさんはすっとわたしたちに前で直って胸のところに手を当て、丁寧に敬礼をした。
「このたびは、こんな素敵な会に、お招きいただきありがとうございます」わたしも丁寧に敬礼を返した。
「"向こう"まで送りたいんだけど」「もうここで」ごめんね、とチラと藍色が漏れ出してる方向を見やる。どう見ても取り込み中だ、早くおいとましなくては。
チロタがいーよいーよ。とザックをかろった。わたしも慌てて後に続く。
「薬瓶は持ったね?」
「"近道"を開くと、衝撃がくるんで」
「チロちゃんミカダ君の盾頼むね」肩をばんばん叩いた。
どう壁やりゃいいの?とチロタがいくつか質問した後、道具入れからゴーグルを装備して、ザックを綱でぎゅっと腰に固定して「任せろ」と問答無用でわたしを抱えた。
「ちょっ…ちょっと」
ゴウ。風が巻き起こった。カシノギさんが印を切って、最後に5人と1人分で6人分カウントして、チロタとわたしの影を同時に踏んだ。深緑の竜巻がわたし達を包む。
「遠くまで、ありがとうね!」竜巻の向こう、カシノギさんが手を振る。後ろの女の子とやっと目があった。
「お、おひょ!?」慌てて手をばたばたさせはじめた。どうも見られたらまずい姿なようだった。黙っておこうかな、と思ったのだけど
「おい、タヌ子、お前なんかでかくなったな?!」チロタがわたしの頭を抱え込みながら、何の疑問も抱かず投げかけた。……そう、姿は違えどチコダヌキの時と不思議なぐらい印象が変わらなかった。
木の葉が頬を切った。チロタの胸にガッシと抱かれ、目だけで振り向く、遠くからカシノギさんが
「ミカダ君!チロちゃん!」
「今日は嬉しかった!」
「また会おう!」
「後で、”掲載”の打診と…」
「あと、”依頼人役”の出演依頼を手紙で送るよーー」
(…依頼人役…?)視界が徐々に霞む。
続いて、チコダヌキ…彩ちゃん?の声「わ、わ、我はタヌキじゃないぞーー!ほんとだぞーー!」「またなーー!」
――思わず笑顔がこぼれた。わたしは、ぼんやりとモカモイ島の司祭のアトリエで見かけた…山吹色のベレー帽をかぶった、ふんわりとした髪の、可愛らしい少女の肖像画を思い出していた。
――彩ちゃんと同じ顔だった。
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「しっかり目ェつぶっとけよォ!お嬢さんよォオオオオオォオオ!」
竜巻のさ中、チロタがわたしを抱え込みながら怒鳴る。
風に乗って暗い洞窟から光の出口を目指してるような感覚が体中を蹂躙した。ぐりんぐりんと風で体が煽られ、ゆっくり廻ったり、急にひっくり返ったりした。目指す先はどうやらとても明るいみたいだ。
この冒険で、このセカイには、暖かなニンゲンもたくさんいることを知った。
渦の中次々思い出された、モカモイ島の宿の店主夫婦。漂流中通りがかって助けてくれた”大きな船”の船長や乗組員たち。そして────
────チロタは「…ぐ……」と堪えたような声の後、ぎゅっともう一度しっかり、わたしを抱えなおした。ザックはしっかりと固定してあるものの、体の外側で大きく風にあおられて、わたしたちを余計に振り回してるみたいだ。
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大きなフライパンみたいな手で、頭がすっかりおおわれて、あったかかった。こんな状態なのに、チロタって、なんだかずっと嗅いでいたい、落ち着く匂いがするな。と思った。
わたしは、まだ、この人にどう接したらいいかわからないし、自分がどうしたいのかもわからない、男の人らしい面が見えると、やっぱり怖いし、混乱してしまう。
そういえば、この人の最初の位置は、”乗組員B”だったっけ。せめてAにすればよかった。いや、そういう話じゃないけれど。
いつの間にか、大きな存在になっていた。わたしは体の奥底、衝動を抑えきれず、チロタにぎゅうとしがみついてしまった。体中の温度が上昇する。しがみつく力を強めるほどに、頭の芯がジンと痺れ、体のどこかが蠢いた。
(しがみついてないと危ないから…)そう言い聞かせつつ、それは嘘だということも、このドキドキが不快でないことも、わたしはチロタに触れていたいのだ、と自己嫌悪と同時に、心のどこか、もう気づいていた。
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**どうして、あなたはここへ?**
耳の奥、せらせらと何度も問いかける、鉱窟の問答。もう一人の”ワタシ”からの問い。
わたしは…どこからきて、どうしてここにいて、どうなりたいんだろう?わたしは、全然わからない。全然、全然わからない。もしかして答えなんかないのかもしれない。わからない。わからないけど、それが答えなんじゃないだろうか?
これから生涯かけて、答えを探して、心の中、旅を続けることになりそうだ。西極星を目指して。
セカイを決めるのは、誰だっけ?
――お母さんの口癖が、心の湖に凛と映った。
「”セカイ”を決めるのって、他の人じゃなくてね、自分なんだよ」
チカチカチカ…。目の裏、翠の光、懐かしい親友の姿が映った。
チカチカチカ…。
――ありがとう。
≪≪ …… … … ワタシは”知ってて”…この旅に…ついてきた… ん…だよ≫≫
チカチカチカ…。
≪…今まで… 一緒にいれて………… …≫
≪楽し… … … …かったね …… …… … …… ≫
――ジルバ、いつか、またいつか。うちにきたら、暖かいお茶を出すから。
「いっ…痛っ」ドンという振動とも、チロタの声が漏れた。なにくそと、わたしを抱えなおしたみたいだ、大丈夫だろうか…。
わたしは、朦朧とする意識、ぎりぎりのところで、チロタにしがみついて堪えていた。風が徐々にゆるやかになって、眩い光の出口がすぐそこであることが、目をつぶっていても分かった。
薬瓶の配達依頼を受けた、チチカ島の市場のはずれ、夕暮れ時の、薄紫が思い出された。そうだ、この冒険の始まりは――――
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≪あなたになら、この薬瓶を託せそう≫
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———見たこともないような不思議な装備の少女——
腰までのロングヘア、わたしと同じ背格好、わたしと同じ墨色の髪、苔色の雨装備、短い腰巻から出た細い足。
「…こ、この翠の光は地球の種なんですね」
少し低くて小鳥がさえずるような彼女の声。そういえば最初声をかけられた時、何故かどもってたな…。───少女は重い前髪の奥から軽くうなずき、手をふわり、印を切ってこういった。
「この報酬は、”自分で気づいて、大切にしていくもの”ですからね」
耳の奥に封じ込められた、魅力的な報酬の話…。いつの間にか、もう報酬が何か、気にならなくなっていた。
彼女は何故か、ジルバの姿が、視えていて―――
カシノギさんは笑ってこう言った。
――「依頼人の”異国”の少女ね」
――「彼女も、どこかのセカイで、大切にしてたバジルを枯らしてしまった少女」
異国の少女を見たとき感じた親和性が、どこかでパチパチと音を立て、頭の中、どんどんパズルが組み上がっていく。違うかもしれないし、確かめる方法もない。だけど…――もしかして…。きっと。
心を見透かされないよう、わざと鬱陶しく伸ばしてるかのような彼女の前髪の奥に、どこかで見たような黒紅色の瞳が光った―――。
「後で、”掲載”の打診と…あと、”依頼人役”の出演依頼を手紙で送るよーー」
――わたしの瞳の色も、黒紅色だった。
心の中で泣いていた、髪の長い小さなわたしは、花壇に植えた、たったひとつの大切な苗に、やっと水を与えたようだ。じょうろの先からから零れたのは、チカチカ瞬く一つの灯、ほんの小さなひとしずくだった。
光に包まれて、わたしは、孵る、還る。わたしに、このセカイに。平坦で、くだらない、感動すらおっくうだと思っていた、思い込んでいた、また思い込むかもしれない、あのセカイに。
―――もう冒険が終わってしまう。
――この逞しく、おおらかな盾。わたしは、この人に伝えなきゃいけないことがあった。
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キャラデ表より。彩ちゃんとミカダさん。




