48話‐「ちっぽけなわたし、一歩前へ」
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カシノギさんは、薬瓶を耳元で振って確かめながら
「途中、”この物語”はボクも読ませてもらってたけど」
「個人的には第三幕、よかったねぇ」と謎すぎる言葉を放った。
わたしとチロタはカシノギさんの書斎の本の雪崩入り乱れる樹上ハウスで、お茶会のテーブルを囲んで、ひたすらぽかんとしていた。
―――どうやらその謎の台詞の説明をする気は微塵もないようだった。
「おいジジイ、わけわかんねーんだよ」
チロタはあからさまにイライラしながら、紅茶…ほぼミルクの白茶をあおった。わたしは(失礼なこと言わない)と耳打ちしつつ
「わたしからもお願いします…もうちょっと、わかるようにお話を伺えたら…」と。
カシノギさんは「…申し訳ないね」と、眼鏡の上にはね上げていたルーぺを下ろして、ラベルの文言をメモりながら、ぼそりとこう呟いた。
「物語の”解説”なんて、野暮な事、ボカァやんない」
「まぁ、おいおい分かるよ。」
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多分この方は、見た感じの温厚さとは別にして、もともと絶対折れない頑固な面もありそうで、これ以上解説を求めても無駄な感じだった。
「君たちは、自分で思い込んでるよりも、”信じる”ことがうまいんだよ」
組んだ手をうーんと伸ばし、ついでに肩の奥ら辺にある大きな幹に手をついてストレッチして、ぱっと居住まいを正してこう続けた。
「物語は、必然だった」
あたたかな微笑み。
「…このお届け物が来るのは、もともとご存知なようですね?」
カシノギさんは片眉をあげてニヤッと無言で返したあと、いそいそとお湯を追加したり、ミルクを瓶ごと持ってきてくれたりした。
アールグレイとかいう紅茶をすすった。鼻先を癒しの香りがフゥと抜けた…。このお茶ほんと好きだな…どこで売ってるんだろう。
カシノギさんはガタつくティーテーブルの脇を通る幹をさすりながら、
「このカシは、まぁ、ちょっと延命方が面白くてね」
「たまに、こうやって」
「”薬”を”完成させてくれそうな方がいたら、瓶に詰めて持ってきてもらっててね」
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「物語が、命を助ける事だってあるのさ」と、ウィンク。
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さっきまで怒っていたチロタも、いつの間にか話に聴き入っているみたいだ。なにがなんだか、まだよくわからないけど、わたしはどうやらいい仕事が出来たようだった。
「君たちは、この島のどこかで、ひとつの問いを投げかけられたと思う」
***あなたは、どうしてここへ?***
鉱窟のささやき…いや、もう一人の”ワタシ”からの問い…。カシノギさんは、深く椅子に腰かけながら細い指の腹と腹を顔の前で合わせて
「それをでかい木の方のボクに答えに来て欲しい」とチロタの方も見ながら、キミも。と端的に伝えた。
「”薬”の最後の仕上げで、問いの答えが必要でね」
「は、は、はい」
――カシノギさんは、わたしがまだ解答が思いついてないことを、お見通しと言った様相で大丈夫大丈夫と笑った。
「“出発の岬”側の、一番大きな根っこの二つ隣。少し黒くなった根のとこにかけてやって」と、サインをした伝票ととも、薬瓶をもう一回託した。
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「そうそう」
「依頼人の”異国”の少女ね」
「彼女も、どこかのセカイで、大切にしてたバジルを枯らしてしまった少女」
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言い終わると、もう一度立ち上がって固く握手をしてくれた。
―――今はまだ全然わからないけど、多分わたしたちは、これからこの薬瓶を届けた意味をゆっくりと理解していくのだろう。
「ミカダ君は、皆には視えないもの、あやふやなものを、信じ ”ここ” までやってきた」
「チロタ君もだ」
「それはなかなか出来ないことだ」
「大切になさい」
チロタはわたしの目を見て。グッと親指を立てて「やったな」と、笑った。
この冒険、本当に色々な事が起こった。
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チカチカチカ…。
――目の裏に、駆け巡る思い出。見上げた空、遠く千切れた大きな雲、石を投げられて、悔しかった夕焼け。ジルバと笑った影踏みドンドン。凪の海で励ましあったこと。
恐ろしかったゴース・ゴーズの鱗だまり。チロタと喧嘩しながら歩んできた、長いようであっという間だったトオイトオイ島の道中。可愛かったチコダヌキ。ヤマセンドウの旦那。ゲートキーパーは泣いてないかな…。
ジルバの深い海の色、翠の光、黄色の点滅、大きな大きな青翠、包むような”ありがとう”。早回しのように浮かんでは消えた。
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「”セカイ”を決めるのって、他の人じゃなくてね、自分なんだよ」
太陽みたいだった、お母さんの笑顔…。
後悔もいっぱい。わたしは、旅に出る前より、だいぶ、だいぶ、ちっぽけになっちゃった気がする。でも、そんなもんなのかもしれない。
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わたしは、気づいたら胸の小瓶、”ジルバの家”を握りしめ、涙をぼろぼろこぼしていた。
チロタが慌てて立ち上がって、腰の革袋から何か探してる途中、カシノギさんはさっと胸ポケットから美しいレースのハンカチを出して、「どうぞ、マドモアゼル…」と涙をぬぐってくれた。
「おい…」とチロタは、何か言いたげにした後、ムスっと座ってしまった。どうしたんだろう…?カシノギさんはプーッとチロタを見て吹きだして、わたしにこそっと
「大丈夫、ただのやきもちだよ」と耳打ちしてくれた。ど、ど、どういうことだろう…。そんなことはないと思うんだけど。
「おいこらジジイ、聴こえてっぞ」チロタは横を向いて知らんぷりしていたけど、じわじわと顔だけ真っ赤になってしまった。
「聴こえるように言ったからねェ」あっはっはとカシノギさん。
チロタはカシノギさんが、少し苦手そうだな。と思ってたんだけど、なるほど、わたしがチロタにからかわれて、怒るのと同じ感じかもしれない…。
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その時だった。
≪ドガァーーーン!≫
窓の外から何かの爆発音が聴こえた。チロタがつい立ち上がって「あいてー!」とまた頭を打っていた。
「あー。また”彩ちゃん”か」とカシノギさんは、しょうがないな。と小屋の隅の工具箱を持って、樹上の家同志を連結してる小さな吊り橋、渡り廊下の向こうに走っていった。
渡り廊下の向こうから「こりゃ面白い」と手招きして「念のため帰る用意をしておいで」とカシノギさんは消えてしまった。なんだろう…?
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チロタとザックを急いで点検して、忘れ物はないか、薬瓶は持ったか、声に出して確認してから、ザックをかろった。
薬瓶をベストの内側に仕舞う時、瓶からしゃらりと、澄んだ音が聴こえた。
――隣の小屋に移る途中、
「―――――……………………」
―――チロタが立ち止まって、茫然としたような面持ちで部屋の隅をじっと見て固まった。「…どうしたの?」――視線の先。隅の作業台の上に、作りかけの細工ものが散らばっていた。
思わず驚きの声が漏れた。
(…これっ)
智慧の実…どんぐりがあしらわれた、小さな羅針盤が革紐に結わえてあるものが、何パターンか作って、台の上に雑に放置されていた。今年の羅針盤の儀式で授与されるであろう、作りかけの水上守のペンダントだった。
何パターンか違うデザインの羅針盤のペンダントの意匠図が描き散らかされており、造ってる途中で悩んでそうなのが分かった。
どんぐりの頭の所には、可愛い木のヘタのようなものがそのままかぶさる感じで残してあった。”帽子”はまだかぶせてないみたいだけど、これだけでも十分可愛かった。
そういえばカシノギさんの名刺に”羅針盤職人”と記してあった。
(スゴイ…!)
震えながらチロタの方を見ると、
「…………」
まるで捨てられた子犬みたいな目。何ともいえないような表情で、じっとペンダントを見下ろしていた。どう声をかければいいか悩んでるうち
一言ぼそりと「……いこうか」無表情のまま、吊り橋に出ていった。
ふと蘇る、わたしがうなされて、チロタに子守唄を唄ってもらった夜のこと。
――「妹にさ。羅針盤のペンダント、ほんとはあげたかったんだ」
――「どんぐりのやつ」
――「…世話ねぇよなぁ」
チロタの抱えたものが、なんなのか、よく知ることが出来ないまま、もうこの冒険が終わろうとしている。焦燥感がぎゅうと胸の奥を締め付けた。
わたしは…どこからきて、どうしてここにいて、どうなりたいんだろう?
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「なんだありゃ」チロタの驚いたような声。
隣の小屋に移る途中、ぎしぎしと綱がたわむ小さな吊り橋、若草の香りが渡った、もう午後の陽光だった。――我々が下りてきた星の草原の少し上。護りの森の木々、頭の先…。
「あ、あれ!」わたしも声を上げた。
――――これは…
森の木々の風景に亀裂のようなものが走り、白藤。紫苑、菫色、薄鼠、続いて金茶、柑子色、橙…。まるで破れた森の先から夕焼けが、岬に向かって流れ出し、こちらの青空に滲んで溶けてるみたいだった。
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