44話-「わたしは灰かぶり姫」後編
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護りの森の中、わたしとチロタは、”鉛色に光る、もう一人の”ワタシ”――"ゲートキーパー"と相見えていた。
”もう一人のワタシ”を裁くよう深く胸貫いていた鉛柱は、”わたし”に向けて発され、砕かれ爆ぜた。残ったのは、あちこち磔の跡の残る、空っぽの、穴だらけ、灰かぶり、”もう一人のワタシ”
**ああ、ほんと、…くだらない…**
――何故だか、心の奥底、荒れた花壇の前で、髪の長いちいさなわたしが歯をくいしばって泣くのを我慢してる姿が視えた気がした。”キーパー”はどこを見てるか分からないような、虚ろな眼で、しばらく笑った後、
**そろそろこの茶番も、オシマイ**
**ワタシは…”わたし”は…**
ぼそり、と
**どうして、私に…見つけてもらえないんだろう……**
疲弊した、深い悲しみ。
―――目の前には、ぼろぼろになった、みすぼらしいようなちいさな肩の少女が、虚空を見つめ、諦めきったような顔をして漂っていた。
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――刹那。森が戦慄いた。
ぐおらと山気が大きく震えた。突風、木っ端が頬を切った。チロタは旋風の中、即座に構えを解いて「こっちだァ!」木に掴まってわたしの手をグイと引いた。
孤独、孤立、嗚咽、悲慟。苦しい、悲しい、哀しい。”カナシイ”の嵐が、木々を、天を、樹冠の葉を、波立たせた。”灰かぶり姫”は黒い涙をぽろぽろと流し、風の中、次第に泣き声は、強く、大きく震えていった。
断崖絶壁の波動。灰かぶりの心が森中に染り、映った。
(わたしは…)
(……どうして、”ここ”にいるんだろう…)
わたしの鼻先を伝い、涙は風に飛ばされ、ぽろぽろと森に吸い込まれていく。わたしは、わたしなんか…。そうだ、”わたしなんか”…。
飛ばされないよう、しっかり、しっかり…。意識が、ふらつく…。チロタ……。どこ…。心の雨ざんざと、”カナシイ”が邪魔で何にも見えない。
子どもの頃の記憶───
───「あいつの母ちゃん、雑草かばって積荷に潰されたんだと」
───「ばっかじゃねぇの」
───「シッ、可哀相だろ…」
お母さんが遠い“旅”に出て、残された時間は膨大だった。火の消えた家で一人、ずっとずっと一人、お母さんがいつか帰ってくる日を待ち続けた。心の奥底。かの小さな野の花を恨みながら。
あれは事故だった。しょうがなかった、立派な死だった。そう思い込んでるうちに、いつの間にか、事故の記憶が頭の隅、心の花壇の荒れた土塊の中、埋め立てられ、思い出せなくなっていった。
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――泣き叫ぶ、ちいさな“わたし”を、心の片隅、放って逃げた。
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髪が乱れてちらちらと目の端に、さっきかばった白い蕾とチコダヌキに似た丸い石が、カナシイの大嵐に耐えて揺れてる姿が涙で滲んで膨らんでいた。
(…どうして、わたしは…同じことを…)
――幼いときの思い出が蘇る。
一人ぼっちの、ちいさなわたし、髪の長いわたしを、近所のガキどもは、こそこそとこう呼んだ。
「雑草以下」
がらんどうの家に「ただいま」と精一杯挨拶をした、いつかの夕暮れ。わたしは平気。わたしは強い。わたしはスゴイ。わたしは、わたしは大丈夫…。
――わたしは、この世界に、いらないのだと。心のどこか―――
心の中のちいさなわたしも、耐えられなくなったみたいに泣きだした。花壇の残骸は、よく見たら、ぬかるんで自分の足跡でぐちゃぐちゃだった。どうしてこの惨状に、今まで気づかなかったんだろう…。
ふわり、目の前で泣きつかれた穴だらけの少女が、諦めたかのように───
**この世界に、ワタシは、いらない**
───ふつりと風に巻き込まれ、舞った。
(…大変…)
(あのままじゃ…)
――ハッと我に返った。
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―――そうだ、今は、鍵の森の――
―――”もう一人のワタシ”との対峙の途中――
気づくと、涙でぐしゃぐしゃの中、風の中で大男が木に掴まりわたしを抱え、がっしと踏ん張り、耐えていた。食いしばった口元が風を、圧を受け、はたはたと震えていた。
そうだ、この人は、わたしの、味方…。
「俺は…偽善者…。価値のねぇ…クズ…」「いや、待て、ダメだ、俺は、俺には…。」チロタの押し込めたような涙声が聴こえた。
チロタも同じ状態みたいだった。わなわなと呻いて、呻いて、呻いたかと思ったら
「グァアアアアァアアア」
己の、―――腕の肉を食いちぎって、吼え、目に涙をため開口一番、叫んだ。
「あああ、もうてめぇら!」
「イイコだから泣くなこの野郎ォオオオオオ!!」
真っ赤な目でわたしをぐっと引き寄せて、片方の手を木に掴まらせてくれた。
そうだ、この人は、わたしの味方、きっと、ううん、それどころか、もっと―――。
「……ひっ」
気づけばわたしのすぐ後ろ、3クムロン程先、手を伸ばした先の先。轟、禍々しい音を立て、目が痛くなるような”漆黒”のひずみが口を開けていた。
中からはヒリつくような苦悶の気配。森中の”カナシイ”の大嵐を吸い込んで、漆黒の淵が、うぞうぞと広がっていく。
これは多分、迷ノ淵――――これに飲み込まれたら…。
刹那、風に煽られもう一人のワタシ”ゲートキーパー”が飛ばされて、引っかかって、飛ばされて――
「キーパー!」
———体がくたくたに折れたようになりながら、迷ノ淵のすぐそばの木にかろうじて引っかかった。チロタが着せたマントがボッっと音を立て”ひずみ”の中、吸い込まれた。
このままではキーパーが“飲まれて“しまうのは沙の問題。
「…」
少し考えて、わたしは、ありったけの声をあげこう呼んだ。
「わ、貴方!!」
「力!!出せる!?」
かすかに動いた。
チロタが後ろから「イイコだ頑張れェ!」と、しっかりと木に体を巻きつけ、わたしのウェストをぎりぎりのとこに、注意深く持ち直し、わたしが大きく手を伸ばせるようにした。
「その木を離しちゃダメだ!」
「手を、こっちに、手を!」
”貴方”はかろうじて幹に掴まりなおし、本当…?という顔をして、おずおずと手を伸ばした。灰の体に巻き付いていたいばらが次々と割れ、木っ端と共、”ひずみ”に吸い込まれていった。
禍々しい嵐の中、手を伸ばすわたしの上半身がたどたどしく揺れた。皮膚の表面、風圧で、薄い波紋のようになびいた。
二人の指先がかすっては踊る。もう少し、もう少しなのに…。
――その時だった。
**…あ。**
一瞬の出来事。いったい何億分の1沙だか、途方もないほどの小さな一瞬。手を伸ばす、灰かぶりの貴方。風にあおられ、バランスが崩れる前の前の前のその前の予兆。
”わたし”はこの小さな、銀河の一塵のような瞬間に、全ての状況判断を余儀なくされた。
——失敗は許されない。勝機はあるか?助けるべきか?
——これは野の花?それともたったひとつの灯色?
──天よ、瑠璃よ、この森の緑たちよ。道端の花、ある日美しかった西極星。掌の陽よ!
──ジルバ、わたしの翠の守護者よ!そして──
わたしのすぐ後ろ、嵐に耐える大きな大きな支え手―――温もりから、チロタも同じ思慮を巡らせているのが伝わった。
―――チロタなら…!
次の瞬間、風の中蹴りだした。チロタに全信頼を預けて蹴りだした。一瞬がひどく長く感じた。
―――次の瞬間「ほい来たァ!」チロタがガッシと足首をつかみなおしてくれた。わたしは嵐のさなか、片足、宙ぶらりん。
同じ瞬間、灰かぶりの貴方も精一杯手を伸ばした。
風の中、わたしは今まで小さくて嫌でしょうがなかった、ちっぽけな体を大きく、精一杯大きく、出来るだけでいい、いっぱい、いっぱい。伸ばして、伸ばして、伸ばした!―――
「こっちィ!!」
突風の中、3人――繋がった。つないだ手と手、ぬくもりが通った。
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―――かしゃん―――
遠くで小さく”鍵”の開く音が響いた。
――ふいに司祭の言葉がよぎった。
「全ての彩とこのセカイに慈愛と敬意を。―――手と手を取って、ね」
―――”風”が、止んだ。
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ここは夢か、うつつか?ぼんやりとしたイメージの中、
どうも荒れた森の中で寝転がってるのが分かった。蚊の鳴くような小さな高い声で誰か2人歌いながら何か作業しているのが聴こえた。
≪オレタチャ庭守≫
≪森ノモリビト≫
目を凝らすと、銀色のへたの小さな丸い果実が、ぴょこぴょこと石を運んだり、苔を植えたりしていた。
≪オレタチャ銀ノ実≫
≪森ノモリビト≫
大きな方の銀の実は、にこにこ笑っていて、少しチロタに似ていた。
≪森ノ修繕、シューゼン、ララロ♪ルロラ♪≫
≪キョーノシゴトハ、オカゲデチョットラク~≫
ちっこい方の実は、銀のヘタがもさっと長くて、少しわたしに似ていた。
ああ、そうか、結界の儀式って、この為の―――
音が、空気が、沙が戻ってきた。
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鼻先を澄んだ風達が。さらさらと木立を渡っていった。
樹冠に抜ける太陽は頭上高く、正午、正の黄虎石の刻を指していた。
――わたし達は欠片の湖を左手に進んでいた。もう沙は流れ始めていた。急がなくてはならない。
折り重なる木々の向こう側、輝く欠片の湖が見えた。湖の中心に、光の帯、ひら、と揺らめく。――あんなに荒れたはずの森は、ほとんど元通りになっていた。庭守、ありがとう…。
「灰かぶり姫、もう大丈夫かねぇ」
手当した左腕の包帯をいじりながらチロタが呟く。まったく正気に戻るためだったとかいって、腕の肉を齧り取るなんて無茶をする…。
仰ぐと紺碧の天蓋。鳥たちが秋を歌う。
「………わかんない」
一瞬だけ、手と手を取った瞬間。冷え切ってたわたしの手に少しだけ温もりが通った。
わたしは少し立ち止まって
「わかんない…けど」
「きっと、大丈夫にするよ」
茫然と呟く。
チロタは「そうか」と一言。微笑んだ。わたしはまた心臓をぎゅっと掴まれたみたいになってごまかした。
――これからの事をぼんやりとめぐらせながら、光振りつむ森の中、歩く。
わたしは、何故だか、モカモイ島に戻ったら、ポンヌ屋さんで、蒸栗色のざらら糖煌く砂糖菓子、星ポンヌを山ほど買ってきて”一人お茶会”を開けたら素敵かもしれない、と思いついた。
チロタが急に口に放り込んできたせいで、まだ一度もまともに味わえた事のない、夢のお菓子。
―――山ほど買ったら…。いったいいくらぐらいになるんだろう。
(ま、まずは…)
(3つぐらいで、いいかな…)
どこかでせらり、
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**せめて4つ…**
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と、嬉しそうなささやきが聴こえた。言霊は煌めいて、昼間の花火のように弾けて溶けた。
――心の中、髪の長いちいさなわたし。腫れた目で、荒れた花壇の土を正して、苗をまずは一つ植えようとしている幻影が、先を照らした。
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