43話-「わたしは灰かぶり姫」前編
。゜
+.
.
*
****
せらせらと頭の中、内耳の奥響くささやき、嘲り声。ここは神域
護りの森。ひずみのような環の時空。
――――――そこかしこから聞こえていた”声”は鈴鳴草の音と重なり、混ざり合って、音の結晶になり、わたしたちの前にしゃらしゃらと周囲の色を飲み込みながら、ゆっくりと灰色のヒトガタを形成していった。
短い髪、不機嫌そうな鬱陶しい前髪のシルエットがうっすら浮かぶ。小柄で色気のない腿から繋がるハート型の大きなお尻。少年のような風貌の中、やっと女性型のヒトガタだということが分かる。
―――ひゅっと薄く細長い胴から、かろうじて胸の膨らみが確認出来た。
彩神さまの絵皿の、緋と常盤の光具を、星ではたいて零したような美しい森に、ぽっかり湧いた無彩色。
(……こ、この貧相なような体格は…)
見覚えのある顔の”それ“はふわり、と輪郭を放ち、卑屈な表情でせらせらと笑いながら、森の中空にゆっくりと降りてきた。
。゜
+.
.
*
――鉛色に光る“わたし”だった。
。゜
+.
棘で体中締め付けられて、あちこち苦しそうに肌に食い込んでいた。
**ワタシはあなた、テメェはワタシ。あなたはあなた。せせらせら**
チロタはギリリと後ろに下がりながら、
「おい……」
「そこの灰かぶり姫…」
「嬢のカッコするんならな…」
鉛色のわたし——”ゲートキーパー”に向かってバサァ!と自分のマントを投げ、渾身の力を振り絞るかのようにこういった。
「服を着ろォオオオオオ!!」
耳まで真っ赤だった。
そ、そういう問題なのだろうか…。つい咳払いしてしまう…。
わたしもつられて恥ずかしくなってしまった。いや、ほんとは見られたくなくて死にそうになってたんで、助かったんだけども。意識されたらされたで死にたくなる…。
キーパーはちょっと驚いた後、
**せせらせら、紳士のフリがうまいのね**
体の棘に引っかかったチロタのマントを纏い、隠微に口の端だけで笑う。はらりと落ちてきた山吹の葉の色を、掲げた手のひらで一瞬にして吸い取って、粉々に灰にして砕いた。
キーパーは、こほん…。と居住まいを正し、さめざめとわざとらしく泣くふりをして―――――
**いや、ほんとは見られたくなくて死にそうになってたんで、助かったんだけどもぉぉぉ**
**意識されたらされたで死にたくになるぅぅ~**
「ちょっ…!!」
―――あろうことかわたしの口真似をし始めた。しかも、心の中の…!
**せらせらせせら、ああもう、今朝から、毛布代わりにされるしぃぃ、ショックだしぃ、**
**森では迷うし、おじさんとかひどいこと言うしぃ…。…死にたい。死にたぁぁあーい**
「ちょ、ちょっと!やめてよ!」つい思いっきり動揺してしまった。
横で聞いてたチロタがわたしの様子を見て、なんとなくこのキーパーが何の話をしたのか、だいたい掴んで「まぁ…おじさんだ」という顔をして生えかけの無精ひげを引っこ抜いた。もう、違う違う…違うんだってば…。反省してます…。
。゜
+.
この子がやってることは多分わたしの”影”みたいなのなんだろう。
――キーパーの首元のチョーカーをよく見ると、”錠前”のモチーフの飾りがついていた。チロタは鼻の先をピンとはじいて掻いて、わたしに目くばせした、そう、「鍵だ」と。
―――きっとあれを開けることが出来れば…。
わたしもチロタの少し後ろ、盾の構えで櫂を取った。
。゜
+.
**せせらせら、対話、対立、心の迷子、因果な因果な灰かぶり。貴方は私。ワタシは“鏡”**
それにしても鉱窟の時からなんなのだろう。あながち悪いやつでもなさそうだし…と受け取っていたのだけど、行動の意味がいまいち分からない。悪いやつではないというのは、さしていいやつでもなく。むしろ嫌いな類だろう。いや、もしかしたら、大っ嫌いかもしれない。
わたしはチロタの後ろから丸腰で歩み出て、単刀直入に聞くことにした。
「あなたは何なの?」
「敵なの?」
鉛色のわたし”はせらせらとのけぞって笑った後、馬鹿じゃないのというような顔をしてこう言った。
**そうかしら、そうかもね。そう思うならそうなのかも**
**鏡、水面、映る影**
**貴方は私、あなたの嫌いな”わたし”**
はぁぁ…。とキーパーが諦めたようにため息をつくと、同時に口から鋭利な“鉛柱”がガゴギギと不協和音を奏でながら天高く吐き出された。腰を落とし深く構え直したわたしたちを尻目に、
**私に嫌われて、貴方、死にたぁーい**
――鉛柱はそのままヒュッとゲートキーパーの体を貫いた。
「「!?」」
森中が痛みに震えた。キーパーは次から次へと、鉛柱を吐きだしては、自分の体を次々貫いていった。
「やめろォ!」
「やめなさいよ!」思わず体が動く。
見ていていたたまれなかった。そして、こういうのは卑怯だなとも思った。構わざるをえないような行動だった。
。゜
+.
**”貴方”は、どんなに心の中の花壇が、踏み荒らされて、ぐしゃぐしゃになってたとしても**
**”私”を信じてここまできたよ**
**きっと貴方は大丈夫なんだって**
。゜
+.
キーパーが己を貫くたび、一緒になって胸が痛んだ。
あっという間に刺さる場所がなくなってしまったみたいだ。あーあという顔をして、胸に刺さった一番大きな鉛柱を一本抜いて、いまいましそうに砕いて星に還した。
体に空いた大きな穴、空っぽの部分から、護りの森の美しい木漏れ日の彩が見えた。――瞬く間に”空っぽ”は色を吸い取り、灰に染めた。
**いつかきっと”貴方”が泣いてることに気づいてくれるだろうって**
この子が、もしわたしの本物の影だとしたら、相当傷ついていた感じだ。
「…あなたが嫌いって、さっき心の中で言ったの、聴こえてたんだね」
それ以外は何て返答すればいいか全然思い浮かばなかった。本当は最後に「ごめん」と付け加えようとしたけど、なんとなく言葉で言ってはいけない気がした。
**あっははは。おもしろぉーい。私のことなのに、「聴こえてた」だってぇ**
ケタケタと笑う途中、黒い血の涙がキーパーの頬に伝った。
………。
何を言っても嘘になってしまいそうで、何にも何にも言えなかった。
そもそもわたしは、今まで何に傷ついていたのだろう。お母さんが忙しかったこと。お父さんがいなかったこと。舟守の仕事で何度も蔑視され、女だと馬鹿にされてきたこと…。
「……」
チロタはずっとわたしの前で、盾の構えを崩さず、やりとりを静かに聞いてくれていた。
。゜
+.
**ねぇ、花壇に種を蒔いて。ねぇ、双葉に水を上げて。**
鉛色の”わたし”は森の中空にヨタヨタと漂いながら、虚を見つめ、呻くように吐露しはじめた。しくしくと、涙を、血を、黒を流して。
**お水が欲しいよ。せらせら、せらり、死にたい…死にたい…**
どうすればいいんだろう。この子は護りの森の門番"ゲートキーパー"なはずで、どうしてわたしの真似をするんだろう。
司祭の言葉に鍵を開けるヒントがないか、ずっと頭の片隅で、廻らせていた。太陽の円卓…。鍵…。環の構造…。「全ての彩とこのセカイに慈愛と敬意を、手と手を取って」
―――この子がほんとは何であろうと、もう一人の”わたし”として扱った方がよさそうだと思った。
チロタはたまらなくなったように
「死ぬなんていうなよォ…」「悲しいだろーが」と、こぼした。
鉛色の”わたし”はキッと睨むついでに、黒い涙、血を振り払った。
**うるさぁあああい!**
散!ヤニになって爆ぜた。
「おっと」チロタは構えた大剣をぐるんと手首で一周。あっという間に全部受けてしまった。音の吸われた静寂の森。いくつかの血弾が剣の鞘の上カンカンと響いて弾けた。
声にならない声。
裂!続く黒の弾。
**私はいらない、貴方もいらない**
**この世界ごといらない!**
慟哭が森中をつん裂いた。チロタがこの巨体の動きとは思えないような速度で、黒い涙を次々拾って受けた。後衛、わたし。こぼれ弾を櫂ではじき返すも全部拾えず、美しい苔にジュッと着弾。焦げたような煙が上った。
(…ああ、森が…)髪を振り乱し夢中で受ける。どうも血弾は有機物に特に高い攻撃力を発揮するようだ。
森の中、鉛色のわたし”ゲートキーパー”の涙。黒い血弾。次々と振り払われ、森を壊していった。木々の、緑の悲鳴を魂全部で感じた。
――苔の大地。神域を彩る常盤の緑。ツンと通る澄んだ森の香り。ここまで美しく深く覆うまでいったい何億の年月を要したろう。黙って荒らすわけにはいかなかった。
「チロタァ!」巨体の脇から潜り込んで、櫂を前に後ろに小刻みに回転させ、手首を駆使し、こぼれ弾を拾う。受けた圧、ジンと腕がしびれた。
わたしのせいで、森が、緑たちが…。少しでも着弾数を減らさないと!
「森も護って!」
「出来るだけでいい」
ガキンと大きな弾を受け、編んでくびった長髪、乱れ髪のチロタ。
「もうやってらぁ!」
音も沙も凪いだ森の中。樹冠の先、遠い青が見えた。届かない天。上空では風が吹いてるみたいだ。
**せせらせら、身を呈して、森の心配、美しいったらありゃしない**
。゜
+.
へっと下卑た笑い。黒い涙を手でぬぐった後、圧ととも、大きく右に薙ぎ払った。
――チロタの受けれる範囲を大幅に避けた攻撃。
―――そっちには…!
「ダメぇ!」
とっさに、わたしはケープをまとった背中で血弾を受け、ぐりんと軽く横転、短い黒髪の先、軽く焼いた。
「嬢!」チロタは剣を構え直し、キーパーの方から目をそらさず「バカヤロウ!」と一喝した。
「だ、…だって!」
わたしが受けた弾の先は――
例のプクラカエデの帽子をかぶった丸い石。その手前、小さな可憐な白い花の蕾――
ケープに穴があいて、ジュワジュワと舟守のベストを焦がした。肌に到達する前に、焼き切れてくれたみたいだ。
。゜
+.
**そこのちっちゃな舟守さん**
忌々しそうに笑う鉛色のわたし”の体から、胸から鉛柱がゴギガガと抜けて、宙に浮いた。鉛柱の抜けたキーパーは穴がほげて、空っぽみたいな顔をして、手を下し――
鉛柱は放たれた。――わたし一人に攻撃対象を定めたかのように。
「おい!嬢!」チロタはわたしごと、ぐいと後退。ガッキと前に構えた剣で、鉛柱を全身で受けて砕き、大きく薙ぎ払った。
破!大地が揺れた。
「お前が死んだらどーすんだよ!」今までにないぐらいの怒号。
”もう一人のワタシ”はチロタの肩越しにわたしを見、吐き捨てる様にこういった。
**ねぇどうして**
**貴方をいじめるのをやめてくれないの?**
――わたしは、ぼんやりと遠い記憶。お母さんがかばって死んだ、ささやかな野の花のことを思い出していた。
(…お母さんは、)
(花を…かばって)
。゜
+.
――そうだ、わたしは―――
わたしから、お母さんを奪ったその小さな野の花が、本当は、憎くて、憎くて、たまらなかった。
。゜
+.
.
*