42話-「鍵《アケル》の森」
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ちりん。ちりちりしゃら…
ちりん…。
シンと冷えた森の奥から、”子どもの鈴“といったような音が、水を打ったように、粛々と鳴り響いていた。多分鈴鳴草の亜種だった。
あれから、いったい何沙たったろう…。
「またここか!?」
護りの森。——”神域“の入り口だった。見渡す限り、深い常盤の緑。紅葉した木の葉がひら…と舞う。
落葉がまるで紅狐の結婚式のように色とりどりにふりつみ、樹冠から覗く天の瑠璃。チカイチカイ山の山頂の通り名そのまま、彩神さまの画材、このセカイに色を”塗る”ための絵具「光具の絵皿」の中――
――わたしとチロタは………迷っていた。
「これ、入口の先にあった石だよなぁ?」
「……やっぱり”鍵”が開いてないんだよね…」
目の前には、苔生した小さな石が、道の脇にちょこんと座っていた。上に緋色に染まったプクラカエデの葉によく似た、ちいさな葉っぱを帽子状に一枚乗せており、なんだかチコダヌキを連想させる、丸くて可愛い石だった。
石の手前には、小さい可憐な白い花の蕾が一輪。違う石と間違えてるわけでもなさそうだった。
森の中心に位置する、欠片の湖に森の翠と空の青が、柔らかなグラデーションの帯になって木立の奥にチラチラと輝いていた。
―――太陽の位置はまだ悠々と、東の空に朝の輝きを放っていた。腰に下げた砂時計は、森に入るなり、砂が詰まって止まってしまった。
―――司祭のいう通りなら…。
―――わたしたちは”鍵”を開けれてないみたいだった。
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モカモイ島役場でのこと。どうしようか悩んだ挙句、そのまま正直に「智慧のカシに配達物があって」という無茶な説明をしたのだけど、役場の受付の人の混乱ぶりと来たらなかった。黙って渡航証だけ取れば良かった…。後悔していたところ――
――後ろの方から上司らしき人が出て来て、何言か簡単な質問をされたあと、「ふむ」と、司祭に取り付けてくれたのだ。もしかしたらこういう依頼は一回だけじゃないのかもしれない。
一般の立ち入りが許可されてる、はじまりの祠までのルートは、沢山解説の書物も出版されており、ラクに調べることが出来たのだけど、ここから先のことは司祭に聞かないと無理だった。
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モカモイ島の彩神さまの祭壇を訪ねると、司祭は絵具であちこち汚れたスモック姿で、裏のアトリエの方に通してくださった。神経質そうな深い皺。
彩神さまの司祭はみな、こと、色に関して創造的な、画家や建築家、染織家なんかが抜擢されることが多かった。
天井の高い北向きの窓。アトリエのテーブルセットの前の壁には、大きなキャンバスに、山吹色のベレー帽をかぶった、ふんわりとした顎ぐらいの長さの髪の、可愛らしい少女の肖像画がかかっていて、なんだか“それ”は吸い込まれるように崇高に思えた。
この少女も絵の具で服が汚れた描写になっているので、「娘さん…?ですか?」と聞いてしまった。
司祭はプッと笑って
「そのお方が娘なら」
「わしはこんな」
「ちっぽけな絵で……」と呟きかけて
「…それはまた描き直す」とボソっと言い直した。
こんなに惹かれる絵なのに、司祭は気に入ってないようだった。司祭は、わたしに薬瓶の配達依頼の経緯などを確認したあと、慎重に、神域の歩き方について話し始めた。
●護りの森は、欠片の湖を囲むカタチで、環になってるので、左右どちらから進んでも元の道に戻る。
●司祭達の中では別名「鍵の森」という。
●“太陽の円卓”という名が付いてる切り株を探せ。
と小さな声で注意深く話してくださった。あまりにも簡単すぎるので何回も細かく聞きなおしたけど「ワシも調子が悪い時は”鍵”がなかなかあけられんのだよ、あそこは」としか言わなかった。
本来漏らしてはダメな話なんだろう。口止めもされた。ただ、行けばわかるとだけ。
わたしがアトリエを去る前
「全ての彩とこのセカイに慈愛と敬意を。―――手と手を取って、ね」と、うっすら微笑んで握手をし、
「普通迷うような森じゃないから」
「キミなら大丈夫そうだ」と付け加えて、小さな緑の庭先までわたしを見送って下さった。
気難しいようで、優しい方みたいだ。
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「…分かれ道なんかも、なかったよね?」
木々からの贈り物みたいな彩が次々と深緑の大地に降り積む中、わたしとチロタはもう3回も入り口の石のポイントに戻った後だった。
チロタは「俺も、なんかヒントとか、探しときゃよかったな…」
と、責任を感じてるようだった。普通舟守でもなければ、はじまりの祠から先があるなんて想像も出来ないだろう。しょうがない。
こんなとこで迷ってたら、火の起こせない神域で一泊しないといけなくなる。今はまだ入り口に戻れてるから結界を出ればいいけど、夜になって迷ったら出てこれない。いまのうちに結界の外に戻るか、そろそろ判断を下さなくてはならない。山の日はすぐに沈む。急がなくては。
それにしてもいったい何沙経ったんだろう…。迷った回数の割に、空を見上げた限りでは、あまり沙も過ぎてないようだった。この森の規模がよくわからない。
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「嬢、一旦休憩しよう」
チロタが、いかにも気を使いまくってるという様相で、座れというジェスチャーを、わたしに。
「疲れてるだろ?」
わたしは少し考えて。
「…なんでか疲れてないんだけど」と。
そう、さっきから感じていた違和感。なんだか何周しても、何周でも歩けそうな感じで、一向に疲れないのだ。
「…3周もしてか?」
「…………まぁ、そうかな?」
チロタはどうなんだろう、もしかして、この現象もなにか鍵になってるかもしれない。
「ねぇ、チロタは―――
言い終わる前に、チロタはわたしの顔をじっと見て、一言。
「………いいから。休憩だ」
――ピキっと険悪なムードがわたし達の間を取り巻いた。
「……………………………」
多分…こういう時のチロタは、パーティの安全を考えてというよりも、わたしが疲れてるのに意地を張ってるんだって思ってる感じがする。
確かに一回落ち着いた方がいいのは分かる…。でも。
(わたしはチロタが思ってるほど、弱くもないし…)
(女の子女の子してるわけでもないのに…)
「……別に疲れてないから」
つい棘のある口調で返す…。ああ、もうなんでこんなしょうもないことで、わたしはすぐつんけんしてしまうんだろう…。
「………いいから、休憩だ!」チロタも意地になって返す。
きっとこれはチロタの優しさで、いいとこなんだろうけど、イメージで押し付けないで欲しい。
ムッとしたような空気にイライラしながら、わたしはとどめを刺してしまった。
「あなたみたいに!」
「おじさんじゃないですから!」
「17歳ですから!!!」
「………!」チロタは一瞬のガンとしたような表情の後。
「………お」
「…おじさんはやすみてぇの!!!」
と、苔を踏まなくて済むところに、注意深くザックをおろし、むすっと座り込んでしまった。わたしも休むしかなくなってしまった。
しばらく座って空を眺めている間に、少しずつ自己嫌悪の種が芽吹いて、膨らんで、モリモリと育ってきた。
——今は迷ってるこの現状をなんとか打破しなきゃいけない時で、仲間割れしてる時でもない…。そもそも焦っても策が湧かないのだから…。そりゃぁ、チロタもごり押ししたけど、わたしは、なんでこう…。
わたしは、とりあえずこの空気をなんとかしないと、と思い、絞り出すような声で
「ごめん…」
「おじさんとかいって…」
真剣に謝ったのにチロタは吹きだして。「追い打ちをかけるなよ~」と、笑いながら「飲め」と水筒を差出した。
───わたしはまた失敗したんだ…。ああもう、今朝からびっくりするし、ショックだし、森では迷うし、おじさんとかひどいこと言うし…。…死にたい。
放った言葉は返ってこない。こういう時自分が心底嫌になる。
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チロタは水筒の水を煽って、空を仰いで、黙って、黙って、黙ったあと
「なぁ、嬢」
「護りの森に入って何沙経ってるか…」
「…違う方法で測ってみねぇ?」
……実は…このことはなんとなく言いたくなくて、黙っていた。
チロタが一言
「沙…経ってるか?」
──そうだ、1周目からなんとなく感じていたもう一つの違和感。
──樹冠に抜けるいつまでも同じ色の紺碧。
太陽の位置は、簡単に影時計を作って測ると、まだ出発してから1沙と変わらない、朝、”明けの琥橙石”の刻のあたりだった。
わたしたちは無言で目を合せ、
”一回結界を出よう”と、ザックをかろい直した。
でこぼこ道の少し向こう側、木々に隠れたほんの3クムロン程先まで戻れば結界の綱のはずだ。
後ろを振り向くと――
「……えっ…」
そこには、例の、苔生した、チコダヌキの子どもみたいな石と白い蕾がやたらと印象的に、わたしたちの前に存在していた。
石が移動してるのではなかった。同じ道だった。2人で慌てて森の方を向き直す。
――ぐりゅん。時空が歪むのを感じた。
目の前には、やっぱり、小さな石と花。元の道――
「なんだこりゃ…」
ちりん…ちりん…ちりん。ちりちりしゃら…。ザワザワと木々が揺れる。風は凪いでいた。ナニカがすぐ近く、少し遠く、狼狽えるわたしたちの様子を見てる気がした。
凪いだ風が帯になって止まって光った。
**ここはいったいどこかしら?**
**ようこそ、ようこそ、**
ちりちりしゃらら…せらせらせらり。
「誰!!?」
**あらあら飽きずにまたその質問?**
せらせらせらり。くすくすくくす。
頭の中に直接響く、このささやきは…。――鉱窟で聞いた…
**せらせらせらり、そこの可愛いお嬢さん**
**簡単に死にたぁ~いとか言っちゃって**
**随分”貴方のことが、嫌いみたいね
チロタは剣の柄を握って、こう発した。
「よぅ、多分鉱窟で世話になったな…」
───やっぱりチロタも鉱窟で、わたしと同じ目に会ったみたいだった。
**ワタシはだぁれ?“テメェ”はだぁれ?**
**どっちもアナタ、どっちもワタシ**
クスクスクスス…ちりちりしゃらら…。
わたしは周囲を注視しながら、無意識のうちチロタの右手の甲を、両手で抑えていた。ここは神域だ。剣を抜くのは出来るだけ避けないと…。
「なっ!?」不覚にも一瞬で顔が破裂しそうなほど赤くなってしまった。
**ねぇねぇおっきな助平猿**
**そこのちっちゃな舟守さん**
**案外ちょろそう、ヤレちゃうかも?**
「…………この…」ゴウとチロタの周囲が熱で揺れた。怒ってるのだろうか。何故だか温度が上がって感じる。
しばらくの沈黙の後「大丈夫だ」とやっと口を開いて「これは剣じゃねぇ」片手で帯剣用の腰のベルトを外し、「盾だ」と、ごっとと鞘ごと手に掲げ、大きく受ける構えを取った。
声の主はせらせらと笑いながら、
**そうね、もしワタシに”ワタシ”だけの名前があるとすれば―――
────Gatekeepe────門番ってとこかしら**
そこかしこから聞こえていた”声”は鈴鳴草の音と混ざり合い、音の結晶になり、わたしたちの前にしゃらしゃらと周囲の色や光を吸い取りながら徐々にカタチを作り、───灰色のヒトガタを形成してしていった。
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