41話-「はじまりの祠にて、あべこべのわたし」
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***sideミカダ”***
縁の湖に映りこんだ藍に、紅梅色の朝が溶け始める。トートーピョウルル…ー…チーチキグゥ…。不思議な鳥たちの五重奏。眩しい風に吹かれ、木々達の梢のささやき、美しいチカイチカイ山、朝の演奏会だった。
わたしは鼻先にかする冷たい風の匂いをスンと嗅ぎ、重たい瞼を開けた。はらり、金色の落葉。
——ここは…?
やたらあったかい。いつもとは様相が違ってる、ぎゅうぎゅう詰の寝袋の中。岩みたいな大男が後ろからわたしを抱きしめていた。
むにゃむにゃと夢の扉を行き来しながら、大男は、わたしの首の後ろを嗅ぎつつ…「…んあ?」と一回ぎゅーっと抱きしめた後、ぐしゃぐしゃに頭を撫で、またぎゅーっとやった。
服は着ていた。が、腰の下らへんに、なにかが当たる違和感を感じた。なんだろう?
しばらく頭にハテナマークをいっぱいつけながら、寝ぼけた大男の行動を見守った。バケツ一杯分ほどのハテナマークが溜まったあたりで「…いい匂い…」ともみくちゃにされ、もう一回抱え込まれてしまった。
——これは…ヌーイとかが…春になると…よくやる…。
わたしはすぐさま肘鉄を食らわし、急所に一発——。バチーン!——山頂に木霊する、大音響。
「最ッ低!!」
———泣きながらチロタの顔面をびんたした。そうだった、この人は見た感じ通り、まごうことなき”男”だった。
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今世紀最大に、気まずい朝を迎えた。
「……………………………ほ、ほれ」チロタが銀のカップに入った薄いトウジン湯に干しパンを浸し、テンテンの実と雁塩に似た結晶を砕いた料理をふるまってくれていた。
朝ごはんも昨日と同じく簡単に済ませるつもりだったのに、わたしが止めるのも聞かず、チロタが強引に食糧を調達しに行った成果だった。
「……塩の石をみつけたから…」遠く離れた焚き木の向こうから、手だけプルプルと伸ばしてわたしの手が届くところまで、運んでくれた。
「…その、…ユーハルディア…俺の…故郷に、こういうメシがあって…」
「………………………………………」
──これで機嫌を取れるとでも思ってるのだろうか?
いらない。と無言でそっぽを向いていたのだけど、山で食事をとらないわけにはいかなかった。
すすってみると、あったまった。味がついてるはずだったけど、何を食べてるかわからないような状態で押し込んだ。
「本物の塩とかって高級品だから…」チロタは勝手にほっとしたような顔をして「貧乏人はこういう代用品で済ませてたんだけどよ…」「ユ―ハルディアは他にもマシュ魚ってうめぇ魚がいてさ」
──慌てたように聞いてもない料理の説明を続けた。
ふーん、ユ―ハルディアって、確か金珠海域の向こう辺りだっけ。だいぶ辺鄙な海域ですね。…で?
お腹が満たされると、涙がこぼれた。
「……じょ、嬢…」
「その、言い訳させてくれ…」
「男ってやつは、その…生理現象とかいうヤツで…」
「寝ぼけると…その……こう…毛布とか、やわらけぇようなモンに…」
「………………近寄らないで」
──張り詰めた空気がピシ、と裂けた。縦に。
この人は女の人や柔らかいものならなんでもいいんだろうか?
いやしかし、そんな人だろうか。そもそもわたしはどうなりたいんだろう。そうだ死にたいんだった。遺書を書かなきゃ…。誰に?チロタに?ちょっと…そこでなんで出てくるの…。
もう何に傷ついてるか、混乱してさっぱりわからない。チロタってやっぱり男の人だったんだ。こわい。わたしが勝手に信頼していただけだったのかもしれない。
ぼろぼろ涙がこぼれ続ける。食事なんか一切食べた気がしなかった。
「その…」
「俺…」
「そんなじゃ…」
チロタは自己弁護に忙しそうで、そのユーハルディアの貧乏人の郷土料理とかいうのに全然手をつけていなかった。
「……………じゃ、どんななの?」ギンと睨みつける。
「いや、そんなだけど…」
「そんなじゃなくて…」
モソモソと尻に敷かれたハガネグマの様相でしばらく言い訳を続けた後、唐突に
「あーもう!」
とイライラしたように、ばりばりと頭をかいて、一気にマグをあおって
「出発するぞ」「沙が下がるばっかりだ」と、野営地の後片付けを始めた。
わたしには、そのイライラがなんなのかわからなくて、全部自分に向けられてるように感じてしまい、一層怖くなってしまった。
今日の行軍のことを気にするのは、きっと正解だ。それでも、どうしても、沙の方を優先して、わたしの気持ちは蔑ろにされたような気分になった。今日は、やっとカシの木に会えるのに…。どん底からの一日の始まりだった。
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木漏れ日の中、縁の湖から1カロン程、山道を進んだ先に少し開けた広場に”苗”を祀った小さな祠があった。”はじまりの祠”だった。
羅針盤の儀式は、この広場で、瓶入りの種を一粒、そして羅針盤のペンダントを授与される。儀式はこの地点でおしまい。後は、”水指の試練”――海まで戻る試験の方に切り替わる。水上守になって最初の試練だ。
広場の奥には綱が張っており、綱にはところどころ護符が貼ってあった。――”護りの森”の入口だった。
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ここから先は本来司祭しか入れない神域だった。わたしはモカモイ島で彩神さまの司祭にも話を通して、結界に入る許可を取ってあるのだけど、やはり緊張する。
「………………………………」
「……………………」
わたしたちは、結界を前に、黙って黙りこくっていた。泣きはらした目を、もう面倒臭いから腫らしっぱなしにしていた。少し遠くの方に気まずそうなチロタ。
しばらくの沈黙ののち、昨日拾っておいた銀柘榴に似た果実と、儀式用の白の石を取り出し
「……名前、全部教えて」わたしから沈黙を破った。わたししかこの結界の儀式が出来ないからだ。しょうがない。
「…”庭守”を作るの」
「………な…なんだァ?」ちんぷんかんぷんみたいな顔。
「………………………結界の儀式に名前が全部いる」わたしは淡々と儀式の説明をした。
神域の中にいる間は ”結界を浄化する庭師”として、銀色の果実に名前を書いて置いていく。我の分身をあなたの庭の守人として捧げます。といった意味合いの儀式だ。
「へぇ」首をかしげながら、
「……………オガヤ」
「………………………………」
「…オガヤ・チロタ」
──…初めて名前を全部聴いた気がする。
御手本を手帳に書いて「………見て書いて」と。銀柘榴に名前を描き入れるのは、本人じゃないといけない。
少しわたしが喋ったので、安心したのか知らないけど、チロタは「学がありゃあなぁ…」とおどけたような口調で独り言を呟きながら書き入れていた。
わたしは、少し離れたところで、こそっと名前を書き入れることにした。下の名前は、どう考えても柄じゃない感じで、恥ずかしいのだ。
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「………」チロタがいつの間にかすぐ近くで、読めないだろうに、わたしが銀柘榴に書きいれた名前をなんとか覗きこもうとしていた。
そういえば、最初のころやたら名前を聞かれたな…。
「……調子に乗らないでくれますか…?」ギンとにらみ返して、あからさまに後ろに下がった。
大男は頭をかきながら、まぁ、その…と決まり悪そうに黙って、書き終わった銀柘榴を渡した。
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黄土色の木立がきらきらと揺れていた。持参した簡易祭事用の紅い絨毯を敷いてる途中、また朝の事を思い出してしまった。チロタが急に怖く感じた。昨日まで、安心しきってた自分が、バカみたいに感じた。
(…ほんとにチロタは)
(…言い訳してるとおり…)
森の中、こぼれる光がまぶしくてくらくらと視界が揺れた。
(……わたしだったからっていうんじゃなくて)
(…生理現象で…)
(…しょ…しょうがなくって…)
(……でも)
気づいたら涙がこぼれて、紅い絨毯にぱたぱたと落ちた。心を落ち着ける言葉がどれか分からない。
(………こんな大切な…)
(…儀式の途中で…)
孵ノ鉱窟を抜けた後から、わたしはすぐ泣くようになった。どうしたんだろう。青い雨が降るみたいに泣いてしまう。今までのわたしでは考えられない。
チロタは泣きじゃくるわたしを、遠くから見てるだけみたいだった。
——もしかして、わたしが自由にさせなかったから、もう愛想を尽かしたんだろうか。
「……………」
チロタが意を決したように、ずざりとしゃがんで頭を下げた。しゃがんでやっとわたしと同じぐらいの高さになる。
「謝ってすむもんじゃねぇけど」
「今はこれしか出来ねぇから…」
「……ごめん…」
チロタの表情は髪の陰に隠れて見えなかった。
わたしは「………もういいから」とため息をついて、空気を緩めた。どうあれ、この状態は落ち着かないので、頭をあげてくださいという旨を伝えた。
しょうがなかった。いったん許すしかない。嘘をついてるようには見えなかった。
「…わたし達は、冒険の仲間ですよ」
「…適切な距離を保ちましょう」
─────口に出すと何故だか胸が痛んだ。
一瞬チロタはズンと何かに耐えたような顔をして、
「…わかった」もそりと呟いた。
言って当然の話なはずなのに、わたしはなんだか、言っちゃいけない一言を発してしまったような後悔で、いっぱいになった。違う言い方は、なかったのだろうか…。
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絨毯の上、額で印を切って、祈りをささげた後、我々の髪を一本、銀のへたに結び付け、実の部分に木の枝で”手”をつけたものを作り、結界の綱の前に置いた。
「ここからは神の領域です」死にたいような気持ちのまま、泣いてぱんぱんだった顔を、少しぬぐった。
チロタも「……………ちょっと邪魔するぞ」と結界に向かって頭を下げ
ごしごしと手をズボンの腿で拭いて綱をくぐった。
綱をくぐると、ただでさえ寒い山頂が、ひんやりと水を打ったような空気に切り替わった。
ここは、その昔”錨”を護って散った、”鏡”の破片―――”欠片の湖”を大切に抱き、この星の大賢者”智慧のカシの護衛を務める錠前、別名「鍵の森」――
森の奥から、ちりん…鈴鳴草の花の音が聞こえた。
──可愛い銀柘榴の”庭守”が二人、わたし達を見送った。今の精神状態で精一杯やらなくては。全ての色彩に敬意を払って。
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