40話-「毛布の中」
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**sideチロタ”**
遠浅の夢だった。
≪………そうか≫
しょうもねぇ笑い話をしてみせる俺を、仏頂面でじっと聞いてくれた、親父の横顔。
――俺は…いつか顔いっぱい笑かしてやろうって…。
ある日の思い出――ユーハルディア諸島。14歳ぐれぇの俺。少し早めに仕事を切り上げ、マチルカを連れ、急いで港に走った。
――その日は島一番の金持ちの家にやってきた、舟守の上位職、水上守とかいう国家職の男。船出の前に、娯楽も何もねぇ村の子どもたちに”羅針盤のペンダント”を見せてくれるって話だった。
なんでも”どんぐり”とかいう東の海域の木の実があしらわれているそうで、たかが木の実だろうとたかをくくってたのに、実際みると生意気なことに…帽子をかぶっていやがった。
胸ぐらいの長さの平べったい革紐に、洒落た小型の蓋つきの羅針盤の根元のリングから、どんぐりと、紅い石がそれぞれ一緒に結わえてあった。この石は羅針盤の儀式の年度ごとに色が違ってるそうだ。
(……垢抜けてんな)
「そこのでけぇの」
ミナサキなんとかの浅黒い男は、輝く岬を背に、俺の顔をみると吹きだして「そんなに珍しかったか?」と笑った。俺はどんなツラで見てたんだろう…。テキトーに場を取り繕う。
「そのガタイなら学をつけりゃお前も舟守なれるぜ?」肩をバンとはたかれて、俺は転びそうになってしまった。
(学…)
俺は普段なら軽口を返して笑うような場面で、何故か黙り込んでしまった。
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帰り道、マチルカのおかっぱの黒髪に夕焼けが映って、輪郭を金に照らしていた。林檎みてぇなほっぺたが、ぷくぷくと笑った。
「どんぐり、ぼーし」
手を引く間中、どんぐりの帽子を頭の上にかぶるようなポーズをやってみせてにこにこしていた。
「そんなに気に入ったか?」茜色に染まりながら俺はマチルカの顔を覗き込んでニッと笑った。
マチルカはこくんと大きくうなずいて、澄ました顔を作りながらもう一回首のとこできらきらーっとしてみせた。
こいつがこんなにモノに興味を持つのは珍しいことだった。モノを欲しがれる環境でないことを、幼いなりに知ってるみてぇだった。
「そうだな…」
「―――いつか…兄ちゃんが…」
言いかけて、やめてしまった。
――出まかせなんか言っても何にもならない。
(学があれば…)
舟守や水上守、もっと実入りのいい職にも就けるかもしれねぇ、マチルカに絵本だって読んでやれる。もしかしたら、俺のセカイってやつも、広がるかもしれない…。
まだ見ぬ世界を想像すると、圧倒されるようだった。字っていうのはその場に俺がいなくても、気持ちが伝えられるし、本を開くだけで違うセカイに行けるって。
(…うちに金さえあれば)
ガキの頃から、何度となく頭に浮かんでは、追い出してきた呪いの言葉。
だってそんなこと言ったって始まらねぇ。俺は愛してくれる家族がいるだけありがてぇし、こんな思いを、マチルカにはさせなきゃいい。
――「お兄ちゃん」
――「センソウなんかいっちゃやだ」
戦役を終え、マチルカに選んだ土産は、流行のドレスや筆箱、赤い靴。寄宿学校に通っても、当面笑われずに済むような小物の他───
───藍白ラムネの丸い瓶…。瓶のラベルは帽子をかぶった小さな木の実の意匠だった。
(…どんぐり代わりって、わけじゃねぇけど…)
霧の向こう、遠くから、恋しい家族の声が聴こえる。何度も、何度も。
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――「家族みんないっしょなら、きっとなんでもだいじょぶなんだよ」
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ふと気づくと、俺はどこかの闇の中、下からゆるゆると気持ち悪く煽る風を背中から受け、ゆっくりと堕ちていた。
腹んとこがもぞもぞ浮いて、重力が遠く背中側に離れてるのが分かった。
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――そうだここは何度も視た悪夢。永遠に堕ち続ける、底なしの淵。
伸ばしっぱなしの金炎の髪が、頬を払って天になびく。
親父の気難しそうな顔が浮かんだ。おふくろと結婚する直前、事故で足を潰してしまった。おふくろはそれを承知で親父と結婚したそうだ。親父は何も言わなかったが、きっと気にしていたことだろう。
いつも「……そうか」と仏頂面で、最後まで話を聞くだけだった。別に機嫌が悪いわけじゃねぇ。親父はそういう人なのだ。顔いっぱい笑ったらどんなツラをするんだろう。
戦役から帰る時、親父の土産には、細工用のゴーグル型のルーペを選んだ。少しでも楽に仕事ができりゃぁ、ちっとは気持ちも楽になるんじゃねぇかなって思った。
おふくろやマチルカへの土産は、包みを開けたらきれいな色がついてるようなやつばっかだったし、数も多かったから、まーいいやって思っちまったんだけど、親父の土産だけ花が咲いたような要素が一切なくって…。
なんでかリボンをかけてもらった。赤地に小さな白い水玉で、あとで、マチルカの頭につけれそうなヤツだった。俺が買っていったら絶対恥ずかしいようなでっけぇリボン。思い出すといたたまれなかった、俺は、俺は…。
「俺は…。なんで…。」「どうして…」
「お、俺は…」
心の底、鉄くずの塊みてぇな俺の後悔。ねじきれるような悔いの中、声を絞り上げる。
俺は、俺は…。
「………バカで…」
親父がこのリボンをみたら、声を出して────
─────やっと大声で笑ってくれるんじゃないか———なんて。
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≪………ょうぶ?≫
天から、聞き覚えのある声が聴こえた。
≪起きて≫
≪大丈夫だよ。大丈夫だよ≫
――ドサァ!
ここは淵の底なのか…?じゃねぇ、そうだここは、家路ノ黄島…トオイトオイ島の…。星空がごぼごぼと滲んで、涙で膨らんでいた。少し離れたところに、銀熱燈の火花。
「チロタ!」
マチルカに少し似た短髪の娘が泣きながら揺り起こす。
――少し後ろ、山頂の闇の中、微笑む懐かしい小さな妹の姿が視えた。
≪お兄ちゃん…―≫
俺が土産で買っていったふんわりとした赤いドレスに赤い靴を履いてるようだった。
「マチルカ!」
遠く藍の中、かすみながら、マチルカは俺に何かを伝えてるように口を動かし、手を振って……。
≪……に、す…るね≫
小さな手には…丸い瓶…。頭には、親父の土産にかけた、大きなリボン…。
俺はとっさに追いかけようと跳ね起きて、寝袋が邪魔で、立ち上がれず腕から転んだ。
「…行くな…!」ぜいぜいとひくつく呼吸。嗚咽で何を言ってるのか、自分でも聞き取れないぐらいだった。
目の前では細っこい天使みてぇな娘が、小さな体全身使って必死でなだめてくれている。
「もう大丈夫だよ」
「なんにも悪くないよ」
「夢だよ」
「チロタ、落ち着いて」
ここは…チカイチカイ山の…野営地。俺たちは…地獄みてぇだった…孵ノ鉱窟を抜けて…。
”お嬢”が俺の取り乱した様子にうろたえながら、涙をながし、でけぇ肩のところに捕まりながら、必死でぽんぽんしてくれていた。体のでかさの差的に、山登りでもしに来てるみてぇだ。
「嬢…」まるで心を毛布に包んで、撫でてもらったようだった。でけぇ図体で恥ずかしいとも思ったが、泣きやむことが出来なかった。
嬢のちいさな体をぎゅうと抱きしめて、泣いて泣いて離せなかった。
山頂に赤ん坊みてぇな二人分の泣き声が響く。
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気づくと、ただでさえ寒がりの嬢の体が、がちがちに冷え切っていた。毛布をかぶせて、さすりあいながら泣いてる途中で、えいや、と一緒の寝袋にいれてしまった。
「…ちょっ」「…チ、チロタ」
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しばらく嬢は、我に返ったみてぇに、泣き止んでもぞもぞ逃げ出そうとしていたが、俺はここで離したら、一生このセカイからおいてけぼりにされそうで、どうしても、どうしても離すことが出来なかった。
(ごめんな。怖いだろ)という言葉を伝えたいのに、ひくひくと情けなく震え、まともにしゃべれなかった。
俺がすけべ心で寝袋に入れたんじゃねぇことが伝わったのか、しばらく恥ずかしそうにしたあと、腕の中でおとなしくなった。
触れたら、花みてぇに壊れそうな娘が、今まで一人で、海の男ども相手に、舟守として飛び回ってただなんて信じられなかった。苦労もあったろう。危ない目にもあったろう。
他の男に壊されてなるものか。勝手にそんな気分になった。ほんとに、本当に勝手に。
どこに肉がついてるかわかんねぇような体つきなのに、特別やわっこくて、ずっと嗅いでいたいようないい匂いがした。こいつは金恋花の精霊かなんかなんだろうか。俺は、なんだか安心してきて、いつの間にか額に乗ってた濡れた手ぬぐいで、ブーンと鼻をかんじまった。
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**side“ミカダ”***
(…こ、”コレ“はそういうことじゃなくて…)
だってこんな大男が…うなされて…あんなにわぁわぁ泣きじゃくってて……「大変だ!」…って思って…。
体中を血が駆け回っているのが、大音響で聞こえてくる。ど……どうしてわたしは、こんな…。――寝袋の中、大男に後ろからしがみつかれていた。
「チ…チロタ…」
自分の寝袋に帰ろうと、体を捻じると、なおさら嗚咽がひどくなる。ゴツゴツとした腕の中わたしは混乱しつつ、なんとか寝袋から脱出しようとした。
「は、離し…」
首をなんとか捻って横目で大男の顔をチラと見る。
「…ご…ひぐっうぐっ…め…うぐっ…うぐっ…こわ……ひぐっ…だ」
涙と鼻水でぐしゃぐしゃだった。わたしは腕の締め付けに負けず、ポケットからハンカチを探し出し、腕の隙間から指先だけ出すようにして、チロタに渡した。
さっきから手持ちの布きれが次々討ち死にしている。
(…あんな明るい人が……)
困り果てながらその様子を見てるうちに、こんな大男がなんだか、お母さんとはぐれた小さな子みたいに感じて、次第に怖さは消えていった。
無性に頭を撫でたくなってきたのだけど、硬く閉じられた腕の中から出られなくて、妙に落ち着く体臭の中、わたしはなんだか、眠くなってきてしまった。
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***sideチロタ”***
嬢の頭の匂いを嗅いで抱きしめてるうちに、やっと体温があがってきた。
あったまってくると自然に涙は乾いてきて、すけべ心が這いだしそうになってきて。俺は自分のケダモノぶりにうんざりしながら、必死で数え歌を思い出していた。
(ひぃふうみっつっつ、よっついっつむっつっつ…)ダメだダメだ絶対ダメだ、俺の帝よ静まれ…。
しばらくすると、嬢は、疲れて寝てしまったようだった。
腰を引きながら、ずっと数え歌を思い出してるうち、俺の方にもやっと眠気がやってきた。なんとか正気を保ててよかったな、野蛮人!
明日はついにカシの木に会う。長いようで、あっという間のことだった。
せらせらと笑う、鉱窟のささやき。
――どうして、あなたは、ここにいる?――
(…どうしてってそりゃぁ…)
**傭兵さん、そこの、おっきい傭兵さん**
**カシの木宛に、返答しに来て?**
(…俺なんかが、そんな…)
言うべき回答は決まっていた。後ろむきになったってはじまらねぇ…。寝よう…。
――夢から覚めたすぐあとに嬢の後ろに、うっすらと見えた、マチルカの姿。
≪お兄…―≫
≪…――、――――――≫
なんていってたか、わかんねぇけど、どうやら笑ってるようだった。
「もう大丈夫だよ」
「なんにも悪くないよ」
嬢がかけてくれた言葉を思うと、ほんの少し赦されたような気持ちになった。
――消える直前。マチルカの手の上。丸い藍白ラムネの瓶のラベルの中、帽子をかぶったナニカの木の実が、きらりと光った。
(…羅針盤のペンダントじゃなくて、ごめんな)
すぅすぅと嬢の寝息に、俺のガサツないびきが混ざりはじめたころ、遠くの方、きらりと、3つの光が一瞬光って、闇にふわりと滲んで溶けた。
≪……いせつに、す…るね≫
≪………りが………う≫
ひぃふぅみぃ、家族の数の光だった。
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