34話‐「護りの灯よ、彼の人を照らせ。」
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***side”ミカダ”***
――どこまでも色のない世界――
――ここはどこだ――
「祭壇から、盗みを働くとはね。」
烟々煙のヤニに混ざった獣の臭気が、鼻先をなぶるように、狭い八角堂に充満して、嫌悪が、体中を締め付けた。
わたしは後ろ手に何か持っているみたいだ。
「…ち…違…」
頭をぶるぶると振りながら、”男”を見上げる、この世の闇という闇を集めたような影。目だけが爛々と、光っていた。
ぐるぐると、残像を、尾を、引きながら、狭く沈んだ無彩色の洪水。灰が、黒が、抜け殻のセカイが、廻る、廻る。
”影”はわたしの後ろ手から、ひょいと”駒”をつまみあげ。へぇ。というような顔をして、ポケットに仕舞い、にやりと笑った。
「…黙っててほしいか?」
後ずさりして、後ずさりして、もう後がなかった。
「なぁに、おとなしくしてりゃ5沙で済む…」
闇をそのままニンゲンの形にくり抜いたみたいな”影” は島の住人じゃないようだった。肩を撫でまわしながらつかんで、そのまま、”影”は、わたしを、祭壇の奥の物陰で、なぞるように、這い回るように品定めをしたあと、頭をぞわりと撫でた。
「ガキでも女ってのは、得だな」
つい睨みかえすと”男”はポケットから”駒”をちらと見せ、何事もなかったように、がさがさの親指で頬をゆっくりと弾いた。
動悸が肋骨を内側から叩くつど、色の抜けた八角堂の風景が、弾けて弾けて、眼前をゆさぶる。がたがたと、もう立っていられなかった。
(…こ、の風景は、何度、も、うなされた…。)
たしか、中ぐらいのわたし、髪の長いわたしは、この後…。思い出せない、息が、苦しい、誰か、誰か…。
――だれか…!
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***side”チロタ”***
――彗星が弧を描き、南の空に消えてった。ここはどこだ。
文水望鉱山の、山奥…冷たい小川…。暖かい南南西の風に乗って、どこかから金恋花の香りがした。
何時の間にか胸に下げていた、碧い光の、これは…なんだ。御守か?結わえてある皮紐に針でひっかいて、何か書いてある。読めねぇけど。眺めてるだけで、まるで心に細い蝋燭の灯が一つずつ点るようだった。
+*。
――真っ暗闇の中、たどる、辿る…。
+*。
この御守は、たしか、誰かに、貰って、うれしくって鼻の下を、伸ばしちまったやつだ、どこで…。俺は、なんで…。
+*。
――俺は、なにがどうして、どこにいた?
+*。
(俺は、そうだ、この後、文水望鉱山…の、小川から這い上がって、山を…下りた…)(…プラミオネの疫病事件なんか、信じようとせず…)
+*。
――頭ん中、碧い道しるべを、辿る。
+*。
(消えた家族を…探しに、世界中、不毛な旅を…していて…)
――御守の三角形の碧い光が、頭の中”こっちだ”とでも言ってるかのように。
――道を、組み立てる手伝いを、してるみてぇだった。
(10年ぐれぇ、西へ東へ…一人で…旅を……)
(いい加減、もう受け入れようって…)
+*。
――ここは、たしか、
+*。
(最後の目的地に、神の島を…選んだ…)
眼の裏に、短い黒髪の、マチルカに少し似た、小さな顔、白い肌、くりくりの黒い瞳、どこかのよく泣く心配の塊みてぇな娘の姿が浮かんだ。大きな船の甲板の隅っこ、抜け殻みてぇな面をして、星ばかりみてた娘。
勝手に隣に座って、見上げてみた、東の海域の空は、高くて、遠くて、銀色の星がざんざと降り注ぐようだった。羽ペン座とかいうのが、俺でもわかった。
(その娘の視線の先には、いつも美しい空があって。)
(なんか、こーゆーのは、いいな。って)
+*。
――心の中、灯る、碧い光。追え、追うんだ。
+*。
ふらふらしてて、そのくせ意地っ張りで…。俺は、心配で、心配でたまらなくて…。記憶の片隅、どこかで喰らった問答が聴こえた。
+*。――どうして、あなたは、ここにいる?――+*。
俺は、卑怯で、すぐに逃げ出す、臆病者。だけど…。だけどな――。
「―――…ったんだよ、悪ィか?」
ぼそりと呟くと、急に耳が通った。”音”が戻ってきたようだった。
――ああ、そうだ、ここは、目的の地、神の島。
――誰もが還る、ええと…
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ぴちょん
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水滴の落ちる音の木霊。ここはええと、冒険の途中。どこからか、闇の中、頭ん中、声じゃねえような、声が聴こえた。
≪我は……神の遣い≫
それは声というより、なにかカタチがはっきりしねぇ”光”そのものだった。目の前にあるのに、そこにいるのかわからねぇ。
≪右に剣。左に盾≫
暗闇の中、ぼわりと丸く、どこかの八角堂の片隅が浮かんだ。遠くの海域の民族衣装を着た、長い黒髪の少女が、混乱し絶望したような顔をして、震えているのが、視えた。
―「なぁに、おとなしくしてりゃ5沙で済む…」―
彩神の祭壇の物陰、小汚ねぇスケベそうなおっさんに雪隠詰めにされていた。これは、アレだ。ヤバい。
頭の中の”視えない光”は俺に直接呼びかけるような感じで、こう続けた。
≪一度だけ選べる≫
――俺は、なんだかさっぱりわからねぇが、急いで右か左か選ばねぇと、大変なことになるのが、直感でわかった。ぐわらんと、大きなカーブを描くような一瞬。まるで螺旋に沙が張り付いたみてぇだった。
ぐるぐるとたりねぇ頭を廻らす、盾か?剣か?なんだそりゃ、わかんねぇ。
剣だとか、盾だとか。どっちだってかわらねぇ。大体俺の場合どっちを使ったって、今までずっとなにかを護ってきた、いや、護るって言葉に酔っぱらってたかっただけだった。
わからねぇ。俺は盾で…俺は剣で…。右はどっちで、左は天で。右は剣で、左は盾で…。汗が伝う。早く…早く…。
一瞬だか永遠だかわからねぇような沙は遠く大きな弧を描いて、遠く、廻る。あともういくばくも猶予がねぇ。
ふいに頭の中。
+*。
―――チカチカ…チカ…。
―――チ、カチカ、チカ…。
+*。
頭の片隅、瞬き閃いた。何かを知らせたがってそうな、碧い点滅…。青翠。碧…。
そうだ、どこかで碧い光で指し示した、少し険しいけど、”あの娘”が、ちったぁ安心して通ってくれそうな、どこかの、暗い、洞窟の、でっけぇ岩の別れ道…。そうだ、そうだ。
こっちなら、きっとあの娘が安心してくれる。そうだこっちだ。
あの娘って誰だ。
アレだ。黒髪、黒紅色、くりくりした瞳の――
――”右”の道を問題なく、渡ってくれただろうか…。
「…右だ!」
闇の中、声が轟いた。
――沙は、時間は、瞬間は、俺の声と同時にゆっくりと音を立て。次第次第、廻りだした。ぐぅるりと、絵筆を、彩を、動かすように。
いつの間にか右手に石を握っていた…なんだこりゃ、さらりと白く削れたさわり心地のいい石。拾った石か?手の中でバチバチと音を立て、闇の中まばゆく、俺の傷だらけの右腕を照らし始めた。
薄く周囲を包むように、巻き上がる風とともに、手の中の、光る石は、火花ととも 勢いよく天を貫き、爆ぜながら、見覚えのあるでっけぇ剣に姿を変えた。
――頭ン中、空気が歪んだみてぇな瞬間。
俺は、くだんの祭壇に、追い風を連れて飛び込んでいた。
「おい!!!おっさん!!!」
轟音――。 声が枯れるほど怒鳴った。祭壇中が震えた。
おっさんも少女も、俺の存在に気づきもしなかった。俺はこっちの次元だかじゃ、いねぇヤツ扱いみてぇだ。くっそなんとかしてやる。なんとかしようとして、なんともなんねぇことなんかねぇんだよ。
――…一度も自ら人を切りつけることのなかった…形だけ剣の…使いこんだ、俺の…盾。
「――ってのは、得だな」
黒髪の少女は、何か言われたようで、睨み据えた目に涙をため、必死でこらえてるようだった。(………許せねぇ)細胞が派手にぶち切れる音が聴こえた。ありったけの気を溜めて、剣に込めた。
祭壇中の気配が、剣が纏った火花ととも巻き上がる。
――だって、こいつは、この子は、この娘は、多分、俺の、大切な…。
恐らく、こっちの次元だかなんだかの事柄に、関渉出来るのは…
――この”剣”のみ…。
「そいつに、手ェ出したら…」
護るだの助けるだの、口に出して言って回った瞬間、偽善だ。でも今は!善だ偽善だ?!くだらねぇ、どうだっていいんだよ。すっこんでろ!
ウオラァアアアァアアアアァアアア‼
――おっさんの肩めがけて、力の限り剣を薙ぎ払った。届け!
「一生ぶっ殺すぞォオォオォオ!!!」
剣が纏った火花が、勢いよく、おっさんの肩に弾けて当たった。――
――ガタン…!――
剣圧の勢いに反して、
細い棒きれみてぇな何かが倒れるだけの、拍子抜けの音――。
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***side”ミカダ”***
「ガキでも女ってのは、得だな」
にやにやと醜悪に笑い、肩を撫でまわして、二の腕に向かい手を滑らせはじめた。影の前、わたしは惨めさでいっぱいになっていた。
灰色の洪水、祭壇の前。わたしは恐怖で何も言い返せなかった。髪の長いわたし。弾くような動悸の中、体が硬直して、身動き一つとれなかった。
――女なんかにゃ、舟守なんか、できないだろう。
――お前は、体がちっこいから、大切な積み荷は、わたせねぇな。
――お前は、まぁ、女だから、とりどころがあって、よかったな?
わたしをがんじがらめにしてきた、”男”ども、世間、この世界がかけ続けてきた、呪いの言葉。
――どんなに努力したって。
――どんなに、跳ね返そうと、したって。
悔しくて泣くなんて、絶対に、嫌だった。”影”はこらえきれなくなったかのように、わたしの前ボタンを引きちぎり、闇に引きずり込もうと…。
――その時だった。
ちぎられたシャツの内側――
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一瞬、翠の点滅のような光が視えた。
――ガタン…!――
祭壇の向こう側、音を立てて、何かが倒れた。司祭が置き忘れたのだろう。何の変哲もない、壁に立てかけてあった”箒”だった。
箒が倒れた先、木製の円い座面の椅子が視えた。どこからか、聞き覚えのある優しく力強い声が、聴こえた気がした。
≪逃げろ!≫
――。一瞬の隙。わたしは夢中で足で椅子をさばいて”男”の脛を弾いていた。退路を通し、祭壇の外に駆け出した。
町外れは夕暮れに沈んでいた。海からの強い風が、わたしの長い髪を煽っていた。走れ、走れ…。
――「こンのガキィ!!」
後ろから男の声。太い怒鳴り声が逃すものかと追ってくる。黒い影。まるで、この世にかけられた、呪いそのものの姿だった。
「誰か!」
往来には人っ子一人いなかった。路地の角を滑りこけるように曲がった瞬間、わたしは、”右手”に何か握っていることに気づいた。
そのままの視線の先、右方。小柄な子供がやっと通りぬけられるほどの、枯れた水路と藪の隙間。そこだけ奥に向かって光るように”道”を示していた。
一瞬町の方に逃げるか迷った。しかし、次の瞬間 、この細く光って視える道を”選択”した。追いかけてくる”獣”の大声は、次第次第、遠吠えになって散っていった。
――夕闇にぶゆりと太った、紅い蠅のような月だった。
わたしは、シャツの襟首をつかみながら、ぜぃぜぃと、浜辺で、気を失ってしまった。むしられたボタンの代わりに、何かを握っているようだった。
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ここは、どこだ。わたしは、どうして…。
ぴちょん。闇の中、水滴の音。
右手の内側が光っていた。開くと、そこには、どこかで拾った、燃えるような籐黄色の水晶と、チカチカチカ…一片の青翠。
よく見ると、右手には、ぼろ布が巻き付いていた。石は少し光ったあと、スゥと、水晶の黄と青翠、色たちだけが、天に昇って還っていった。
手に残ったのは、色の抜けた水晶と――小瓶のペンダント。”ジルバの家”だった。
頭の中、せらり、と響いた。
**そこの舟守のお嬢さん**
**カシの木宛に返答しにきて?**
ーパチンー
セカイがはじける。
コォォ、遠くに風溜まり、頬にごつごつと湿った岩の感触。
ここは…?