33話-「”色の消えた世界”」
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***side”チロタ”***
醒めたような闇の中、どこかの冷えた洞窟に突っ伏す”おっさんの俺”の眼前に、見覚えのある、尖った山。霧の船着き場が丸くぼわりとくり抜いて視えた。
―――霧の中、満身創痍、”18歳の俺”は、降り立つ。二年ぶりの故郷、ユーハルディア諸島、プラミオネ島。
コル乳のような靄を抜けた船着場。金貨のたっぷり入った革袋を腰につけ、意気揚々と町を見渡した。
おっさんの方の俺はひゅうひぃとかすれた声をあげ、耳を覆い、突っ伏して叫ぶ。――視たくねぇ。視たくねぇ!誰か!”ここ”から出してくれ!!
瞑りすぎて顔が半分なくなっちまうんじゃねぇかというぐらい、力を込めて目をつぶった。瞑っても瞑っても、頭の中に浮かんでくる、深い霧の中、ひとりきょろきょろと見渡す、刀傷だらけ、欠陥品の俺―――。
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***side”ミカダ”***
気づけば、ここは、どこだろう。ここは、…灰色の回廊の奥。
わたしは、たしか、とても寒い、洞窟かどこかに、いたはず。ここはどこだ。
――ゆるやかに下に向かう螺旋の最深部。”黒の扉”が視えた。
瞬間、ぎくりと大きな音が、体の内側全体から聞こえた気がする。心臓をつかまれ、床に叩きつけられたようだった。細胞中、血の気がザァと引く音が聴こえた。
(…これは、多分…開けなくても、いい扉な、はずだ…)
わたしは、心を落ち着けながら、後ずさりして…。まだ、大丈夫だ、逃げよう…。これは、逃げてもいい…やつ…。そぅっと…。そう、動悸が、聞こえたら”黒”につかまってしまう…。
――振り向くと、わたしは、どこかで見た、夕暮れ間近の薄暗い八角堂。小さな祭壇の前に、一人立っていた。
――祭壇には色鮮やかな”飾り駒”が捧げられていた。妙に彩度の高い、ぎらぎらとした駒だった。
――床にひとつ、桔梗色のナニカが落ちていた。
――祭壇からこぼれたと思しき、どこか見覚えのある、流行りの駒だった。
「…あ…あ…」全身が震える。
扉を見つけた時、すでに、わたしは、この扉を、開けてしまっていたようだ。
ぐるぐると辺りの残像を後引くようなめまいの中、辺りを見回すと、退路は断たれ―――全ての色は、消えうせていた。
ジルバはどこにいったのだろう。色が消えた虚ろな世界。幼いわたしひとり、動悸を抑えながら彷徨う。”大きなわたし”はいつのまにか”小さなわたし”に取り込まれていた。
後ろで大きな一本の三つ編みにしていた黒髪が、ずしりと肩に、心に、のしかかるようだった。
ギィ。板の軋む音。
「――見ぃちゃった」
気づくと後ろに”ニンゲン”が立っていた。”男”に分類される、種族だった。
どこか、男の声が、頭に木霊して、響いて、響いて、いつの間にかわたしの頭の中、占領していった。これは誰だ、これはなんだ。幻聴、幻覚。蓋をしてきた記憶。
ここはどこだ、ここは祭壇。暗闇、漆黒。どこだ、どこだ。
――すくんでしまって、動けない。誰か…。
わた、し、は、ただ、駒が、おちてたから…。ほんとうは、きれいな、こまが、うらや、ましくて、ほしくって…。だれか、だれか、だれか、
わたしは、手に何か握り締めていたようだったけど、目の前に迫る男の影に、ただ、ただ圧倒されるしかなかった。
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***side”チロタ”***
――久しぶりの故郷だというのに、まるで異世界に降り立ってしまったみてぇな感じだった。
(…島を間違えたか…?)
いや、船着き場の配置は変わってねぇ。ここだ。
霧が深くて、島のどこからでも、でかでかと見えるはずの、文水望鉱山は、影すら見えなかった。
(土産…)
(ハズしてたらどうしようかなぁ…)
ザックの中のたくさんの土産。俺の2年間の結晶だった。
家族が迎えに来てるかもしれねぇな。と思い、ひとりで乗ってきた”小さな舟”を舫るまで、期待して、どんな風に土産を渡そう。マチルカの前では泣かねぇぞ。とそわそわしていたのに…。
――船着き場には、人っ子一人いなかった。
屋根の輪郭がかすむ。霧の中、 どこかから、異臭と煙。
(…?なんだ??)
(…やたら村がくせぇな?)
がしゃがしゃと、ザックを鳴らしながら、俺は不安な中、次第次第に駆け足になっていった。
――遠く爆ぜる木端の臭い。冥府の吐息みてぇな町の気配。ぽつぽつと焼かれた家が並ぶ中、枯れ木の天辻がところどころ靄を貫いていた。
村に何かあったのか。 霧の中、俺は走る、走る、走る。心の臓が叫ぶように胸をたたく。寒ぃ汗がだらだら流れた。
つんのめって走る。靄の中、村はずれ、灰に染まったような、我が家がぽつん。俺が中途半端に増築したままの姿で、がたりと建っていた。
――前金で少しだけ買った畑は、枯れていた。
「マチルカ!」
――ドアを乱雑にあけると、家全体がガタガタと震えた。
「おふくろ!?」「親父!?」
火のともらない家。がらんどうだった。なんだこれ、なんだこれ、何が起こった。いったい何が…。
家の中は、まだそんな蜘蛛の巣みてぇなのは、張ってねぇ。ヒトが消えてからそんなに経ってねぇはずだ。
土産が入ったザックを、ガタつくテーブルに乱雑に投げ置いた。ザックの端、がらんと、柄にもねぇようなでっけぇリボンのかかった包みや、西の海域産の缶詰。マチルカに買った藍白ラムネの丸い瓶がこぼれた先――
風に舞って、テーブルから落ちちまった様相の、おふくろが書いたと思しき手紙を見つけた。風化しにくい、キト紙の封筒だった。
≪――――――るチロタへ。≫
「くそ…俺の名前しか読めねぇ…」
落ちたものいっさいがっさいポケットに突っ込み、ふらふらと走った。この世とあの世を隔てる、分厚い壁のような曇り空の中、走った。
「誰か…」
手紙が読めるニンゲンを、震えながら、探した、探した。よたよたと、彷徨うように。
人なんか、喋れそうなヤツなんか、見渡す限り残ってなかった。
────そうだ煙の方向だ。火を起こしてるヤツがいるはずだ。
ふらふらと、岩だらけの採石場の入口、くすぶった炎が上がる。煙の主は俺を見つけてこういった。
「よぅ…英雄………」
「……凱旋……か…」
抜けっ歯だらけ、めくれた皮膚の浮く男。疲れ切ったような笑い。
「ちょうど、いい…」
「俺を、焼いては、くれねぇか…」
何を言ってるのか、左耳から右にそのままぬけていくように、意味がわからなかった。
「まっさきに…逃げた…役人に…」
「焼、かれ…、るのは…癪…じゃねぇか…?」
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――流行病がプラミオネ島をさらったあとだった。
役人。村で金を持ってるやつ。動ける奴は、皆早々に他の島に逃げた。
――島に取り残されたのは、発症者と、生活能力の薄い貧乏人。
体が不自由な、大人――
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俺は霧の中、声にならない声を絞って走る。わからねぇ。わからねぇ。俺は、俺は…。
これはいったいどういうことだ。どうしてこんなことになってしまったんだ。
空っぽの故郷を走る、走る。声にならない枯れた、絶叫、絶叫。後悔、懺悔、悔悟。わからねぇ、わからねぇ。俺は、俺は…。
流行病?なんだそりゃ、聞いてねぇ、聞いてねぇぞ、俺の許可をとってから流行ってくれ。
山を抜け、駆けて駆けて、捨てても、埋めても、殴って捨ててもついてくる亡霊。しつこい亡霊を振り切るように。いままで自分についてきた嘘。言い訳。言い訳。すべて、全て、振り切るかのように。走った。
何故俺は、人の、いや、大切な人達の話を、聞かなかった。聞かなかった!?
傭兵出発前のマチルカの声がどこかから、響く。責めるように。
――「家族みんないっしょなら、きっとなんでもだいじょぶなんだよ」
俺が家族と一緒なら、筏だろうが、密航だろうが、なんでもやって、島から助けることが、出来たはずだ、出来たはずだろ。俺はなんで家を空けた。
二年も…。二年も…。人を殺しながら、誰かの人生を、奪いながら。二年も…。娼婦たちを傷つけながら…。
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ぎりぎりと音を立て瞑る目から、大量の涙があふれた。あふれた涙だけが、熱かった。
───気づけば俺は、山の中、どこかの浅い小川で転んでいた。
「……痛…」
すりむいた膝、小さな傷に清水がしみてやたらと痛く感じた。川のささやかな流れは、俺の体温を急激に奪っていった。
――もういい、このまま、俺もそろそろ、ラクになろう…。
(なんのために…俺は…)
涙以外、なにもかもが、冷たかった。
(…アホ…くせぇ…人生…)
目を瞑ると、これまで渡ってきた人生が、ざあざぁざんざと音を立てながらめまぐるしく流れては消えて、消えては流れた。
(これが…走馬灯ってやつか…)
汚れ腐ったボロを着た、狼の子どもみてぇな、ガキの頃の、俺が視えた。
――「なぁ、俺っちほんとに親父とおふくろの子なのかよ?」ガタつくテーブルの上、薄いスープをすすりながら聞いた夜。
――家族の中で、俺だけ頭の色も違ってて…。体も…おかしなぐれぇ、ひとりだけでかくて…。俺は、内心、なんか、わかってた、俺には、多分違う血が、流れてるって。
――親父は、悪い足を引きずりながら、わざわざ俺の目の前まで来てこう怒鳴った。
「こんなくそ可愛いヤツが、俺の子供じゃないわけないだろうが‼バカヤロウ‼」親父が泣くほど怒ったのは、後にも先にもその晩しかなかった。
――マチルカが生まれた時、金もねぇのに、家族全員で、喜んで、歓迎して。
慣れねぇ手つきで抱っこしたら、泣かれて困ったっけ…。しばらくすると、小さな手で、俺の指をつかんで、くしゃくしゃと笑った。
――俺はこの”宝物”に、恩返しが、したかった。
(マチルカ…)
(…お前の話を、聴けば、よかったな)冷たい小川で夜空を仰ぎながら、情けねぇ嗚咽をもらす。
――「家族みんないっしょなら、きっとなんでもだいじょぶなんだよ」
そうだ、お前が正しい、マチルカ。兄ちゃんは、周りを見る余裕が、なかったみてぇだ…。
小さなお前と一緒に過ごせる、かけがえのねぇような、2年間。人殺しばかりしてただなんて――。でけぇ俺の体の隅々全てがまるで錆びた鉄くずのように感じる。
――流行のドレスを着せたお前の想像図が、
――あんときの俺には、生きがいみてぇに、輝いてみえたんだ…。
後悔という名の鉄くずの塊。腐れて腐れて、蒸発して、天に向って上っていっく。やけに美しい藍の空。彗星が連続で流れた。ひぃふぅみぃ…4人家族の流れ星。
(…早く……)
(――早く迎えに来ては、くれねぇか…?)
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ふいに、温かい南南西からの風が鼻先をかすめた。
金恋花みてぇないい匂いがした。
(なんだ?)
体を起こす気もなく、そのまま浸かってると、顎の向こう、胸元に碧い光の、三角形の何か、光が視えた。
胸んとこが妙にあったかく感じた。これは、たしか、どこかで、大切な誰かから、もらった…。
手で探ると、なにか針で刻んだような字が書かれた皮紐で結わえてある、何かの、碧く光る石だった。
(――首飾り?)
(…いや、御守か?)
――どこかの誰かが、俺の頭を撫で、抱きしめてくれた気がした。
俺は、いったい、どこで、どうして…。
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