31話-「剣か盾か、花か光か」
。゜
+.
.
*
***side”チロタ”***
精一杯アホ面で笑いながら、傭兵志願者を詰め込んだ小型船の上、16歳の俺。海の向こう、霞んですぐに霧の向こうに消し飛んじまった。
この抜け作を、ユーハルディアに引き返させる方法はねぇか。ねぇのか、なんか…。と、分厚い白のもやの中、俺は走る。走る。せらせらと笑う霧を引き連れて。
ここはだいたいどこだったよ、ユーハルディア…いや、トオイトオイ…俺にはたしか、やらねぇといけねぇ、重大な仕事が…。たしか…心配の、塊みてぇな娘を助けてる途中…。いや、俺は……。どうしてここへ。
ぜぃぜぃと走る。なんだここは。…霧を抜けると、頭上には満天の星、輝く”南皇女座”が見えた。俺はどこかのでけぇ船の脇っちょに常備されてる救命筏の上に、ゆらり、立っていた。
「げぇ…」 「ヴぉろろろろろ」
マコール海軍の虎のエンブレム。山吹色の旗がはためく大帆船。見上げれば少し向こうに傭兵のタコ部屋の丸窓。やたら青臭いぇ面の男が顔を出して、海に向かって
――――吐いていた。
ぼさぼさの金炎のなげぇ髪をテキトーに編んで束ねた、こいつは…今の俺よりもうちっとだけ細い…。刀傷もほとんどついてねぇ、"新品の俺”だった。
(あー…これは…)
――俺は、茫然とこの風景を眺めてて、なんか、わかっちまった。ここは現実じゃねぇ、と。
――何の嫌がらせだ。
「でけぇの、戦は初か」後ろからしょんべんに起きるついでだろうか、ベテランらしき傭兵が声をかける。 奥から「ゲロうるせぇ」「甲板行け」だのヤジも聴こえた。
初陣だったやつらは皆、吐いていた。敵軍だろうがなんだろうが、ニンゲンが血を流し、海に叩き込まれていく様を初めてみたようなヤツラだった。
”新品の俺”は、海に向かって顔をパンパンに腫らし、鼻っ先に涙と鼻水を貯めながら「…てめえ…らの面に…、げ、ろ巻き散らか。うぇ…。して…いいならな」と、減らず口をたたいた。
そうだ、これは、初陣の夜。
俺は「自分さえ人を殺さなきゃなんとかなる」だとかアサハカな考えで傭兵志願した、間抜けな俺に心底うんざりしながら――吐いていた。
――俺は、バカだ。
こいつはセンソウって仕事だ。 たとえ俺が当身で見逃したところで、結局踏まれたり、海に叩き込まれたり…。
そうだ、センソウっていうのは、敵も味方も、故郷に帰れば家族がいる奴らが、体を張って、金のため、人を殺す仕事をしにくる場所なんだ。
。゜
+.
.
*
うちは鉱山集落一貧しい、あばら家というより板切れを寄せ集めたような掘立小屋だった。俺が知識もなしにやみくもに増築したりしていたからだ。
親父の爺さんが残した借金を一気に返して、マチルカを学校にやるには、この傭兵の募集に乗るしかなかった。
女の子なんだ、ただ学べりゃいいってわけじゃねぇ。俺は、マチルカが笑われねぇよう、人並みのきれいな服や、流行の筆箱なんかも買ってやりたかった。
正直、プラミオネ島の分校ぐれぇなら通わせてやれる金は、貯まっていた。
が…。
俺は出来ればユーハルディア諸島の3つの島のうち、細工物で人気の白い石、名籠石が採れる一番裕福な鉱山島。ヴェストラ島のキンプソン寄宿学校にやりてぇなぁ、なんていう野望があった。
――この小さな妹に惨めな思いだけは、させたくなかった。
――俺は、2年間。このマコール海軍で、剣をふるって、”盾”をやりきるしかなかった。
ここまで来て、報酬を持って帰らねぇなんて、ばかみてーだろ。
”新品”の方がそんな風に胃を痛めつつ、マコールの虎どもの壁役を懸命にこなしてるさまを、少し遠くから、あきれながら、俺は眺めてるしかなかった。
俺は盾なんて重てぇモンは装備せず、大剣で攻撃を受けて、弾いて当身を食らわし、剣圧でぶっ飛ばして、”壁”になる、よくわかんねぇ自己流の戦術が得意だった。
横で見てると、俺の立ち回りは、なんていうか隙がなく、自分で思ってたより、存外素早かった。
多少切り付けられてもかすり傷で済んでいた。筋肉が硬すぎて剣がとおらねぇ感じだ。俺はよっぽどの傷以外はテキトーになめて治していた。
(…ケダモノかよ。)
――俺は、意地でも、剣を”人の人生を奪うため”だけには、使わなかった。
――大義名分。俺は、直接殺さねぇよう。――逃げてるだけだった。
はたから見る”俺”の姿にイライラしながら、文字通り手も足も出せねぇ状態で俺は傍観しとくしかなかった。わりぃ夢なら覚めてくれ、早く。
。゜
+.
.
*
***side”ミカダ”***
****
―わたしは特別、わたしは”違う”わたしはお前らなんかと違う?―
―劣等感、劣等感、惨め、孤独――
―なんでだ、もっとだ。どれだけやれば救われる?―
****
****
気づけば紅い夕日が西の海に沈みかけていた。
「はい、今週の分」
疲れた蛭柳のような風貌のおかみさんが、ちいさな”わたし”にめんどくさそうに封筒をよこしていた。あれ、ここは…?
観光客に人気の空海原の浜辺。ダイダイヤシそよぐ麻羽根を高く編んだ風通しのいい三角屋根の食事処。わたしが昔働いてた厨房の………裏だった。
(ここは……いつ)
今度は野菜の木箱が積まれる、裏口のすこし遠く。ゆらり、夕焼けの中、陽炎のように立ち尽くしていた。
ちいさな”わたし”の青白い横顔。
――ちいさな…というか、一瞬でいきなり育っていた。もう”中ぐらい”と言った方がいいぐらいだ。
一気に髪が短くなっていた。切ったのはたしか祝福の試練の半年ぐらい前だったっけ。11~12歳あたりだろうか。時間が急に飛びすぎててよく分からない。
――――ざんばらの短い髪。宙を泳ぐ空洞の黒紅色の瞳。
たしか、急にイライラして、家にあったナイフでばっさり切ったんだった。小さい時は少しは女の子らしくしていたのに。どうして切ったんだったっけ。
厨房の仕事を終え、給料袋を確認している場面なようだ。
「じゃ…」
そういっておかみさんが退散しようと、裏口のドアを閉めそうになった瞬間、中ぐらいのわたしは視線は封筒に向けたまま、バシンと扉の隙間に足を挟んで止め、
もそりと
「…金額をあらためるまで雇用人が立ち会うのって義務ですよ?」
眉ひとつ動かさず言い放ち、ひぃふぅみぃ。はい揃っています。ではまた。と深々と頭を下げ、港の方に急ぐ。
残されたおかみさんは
「ったくやりにくいったら…」
腹立ちまぎれに大きな音を立てて扉を閉めた。 厨房の奥の旦那さんに「聞いてよあんた」と。
(ああ………こいつ…)
(給料ピンハネしてた人…)
――――あんなに素直だったわたしは
――――たった数年で見るも無残に、ねじくれていた。
。゜
+.
.
*
****
今日は実技の練習で、コーリィ桟橋まで船を借りに行くようだ。
「…ジルバ」
――チカチカチカ…。
腰の革袋から飛び出してくる、瞬く翠の光。唯一のトモダチ。やっと話せる。そんな感じだ。
「…ねぇジルバ」
「…わたし、舟、何年ぐらいで買えるかな……?」
指先に止まりチカチカチカと、顔を見合わせ。
≪気が早いね?≫
そんなニュアンスだ。中ぐらいのわたしは、やっと少し笑った。
自分の舟で配達できるようになれば、だいぶ実入りがよくなる。
「……お金いーっぱい入ったら」
「ジルバには、そうだな」
ジルバの革袋の紐をぷらぷらさせて、
「この紐を飾る…綺麗な宝石とか?」
黄色く点滅しながら続く。
≪そんなのいらないよ≫
しばらく軽い姉妹げんかみたいな掛け合いが続いたあと、二人で笑い出した。
(そうだった)
(ジルバには、何を言われたって…)
(…………安心して…)
(あれこれ言えた…な)
海岸線が遠く近く夕の色にゆらゆらと沈む。
同じタイミングで、中ぐらいのわたしは、ふと立ち止まって、風を嗅ぎ始めた。
セカイ中が逆光の中沈んでいく。湾曲した入り江の先。岬から灯台が暮らしを見守っていた。遠くの往来には、家路を急ぐ大人たち。家族が待っているんだろう。
ヨーンヨーンとウミワタリの声。
「…そうだな……」
「…お金が…いーっぱい、入ったら…」
虚ろな目を泳がせ、独り言。
「…お…母さんには…」
吐き出しきれないような、ため息。
「いいお花を…」
「野草じゃなくて…」
「き、綺麗な…お花屋さんの切り花を…」
「一回でいいから…」「…いっぱい…」「……………………… 」
。゜
+.
.
*
――――お母さんは”旅”にでたんだ。
。゜
+.
.
*
…チカチカチカ…。
夕焼け空の一角をジルバが暖かく大きく海色に包む。わたし達の周りだけ、まるで、深海だった。
ジルバは、わたしにとって、宝物というより、”家”だった。わたしは、ジルバがいてくれるから、どんなことがあってもわたしはわたしに帰ってこれる。この海がかならず受け入れてくれる。
「「……ありがとう」」
大きなわたしと、中ぐらいのわたしの、声が重なって、海の色、ゆらり、溶けた。二人でジルバを手に包み、頬ずりした。わたしは上からそっと手をかざしただけだったけど…。
優しかったお母さんの笑顔が滲みながら、瞬いた。
――「”セカイ”を決めるのって、他の人じゃなくてね、自分なんだよ」
お母さんがいつも唱えていた呪文。
「…お、母さん」
両方のわたし、同時に、目の真ん中から大粒の”水”がこぼれた。
お母さん、お母さん、どうして、どうして…わたしを、おいて…。
なんで…。どうして…。
(…そうだった)
”あの日”の夕暮れは深緋に沈んでいた。 まるで彩神さまへの供物のような”紅”だった。
家の前に、知らない大人が大勢、なんだろう。口々にああでもないみたいに話している。
「!…ミカダさん」
読み書き会の先生がわたしの姿を見つけ「しばらくうちで泊まりなさい」といって、手を引いて無理やり連れて帰った。
数日後、先生から
「お母さんは、旅にでたんだ」
――数ヶ月後、近所の子供たちからなんとはなしに聞かされた。
「――をかばったって」
「ばかじゃねぇの」
。゜
+.
.
*
お母さんが、とっさに小さな黄色い花を護ろうと、
積み荷の下敷きになってしまったことを――――。
目からこぼれる大粒の水は止まらない。はらはらと、舗装された白い煉瓦畳の道、空っぽの心に、丸く点々としみ込んだ。
セカイが滲んで、橙ととも、ぐしゃぐしゃに溶けていった。
。゜
+.
.
*